日本伝治乱要決 / 應亂卷・兵糧の備えと戦場での水の確保
兵粮第二十戰は國家の大事にして兵を起す國其費用あげてかぞへ難し、兵器全しと雖粮食不足なる時は征拒共に功をなしがたく、却て敗亡の基なり、故に名將治亂によらず五穀の有餘をなして變に備ふ、地戰に食たるといへども征伐に粮食續くべからず、運漕の便のみにして一度通路ふさがるときは三軍立所に餓死に及、兵家の難とする所なり、しかれども戰國の名將歳々征戰して食に乏しからざる、見つべし、凡征戰の位といへども敵地を從へずふみ越てみだりに進まんや、粮食のみにあらず、前後に敵を請る時は三軍死亡に至る、行に里數を積り、味方地によつて進み、敵地に至れば攻從へて服從せしめ、而後に道をとる、至る所人の所在なり、糧食なき事あたはず、皆其地に取て我用とす、一城降れば直に糧食に有餘あり、加ふるに其地に近き味將よりこれを送り、尤領國の運漕も地によつて遲速ありとも必やいたる、何の愁るとかあらむ、水手第廿一戰陣の大事水にあり、糧食數多といへども水に手をつく時は人馬忽ち勞病す、呑水あり、つかひ水あり、用水あり、此覺悟にくらき時は忽變に折く、たとへ今水ありとも涸るゝ事あり、敵より水の手を斷事あり、井水流水天水を始として、人數に應じてあらかじめ是を調へ、心に決得せずんば、水用の自在を失ふべし、
新字:兵粮第二十戦は国家の大事にして兵を起す国其費用あげてかぞへ難し、兵器全しと雖粮食不足なる時は征拒共に功をなしがたく、却て敗亡の基なり、故に名将治乱によらず五穀の有余をなして変に備ふ、地戦に食たるといへども征伐に粮食続くべからず、運漕の便のみにして一度通路ふさがるときは三軍立所に餓死に及、兵家の難とする所なり、しかれども戦国の名将歳々征戦して食に乏しからざる、見つべし、凡征戦の位といへども敵地を従へずふみ越てみだりに進まんや、粮食のみにあらず、前後に敵を請る時は三軍死亡に至る、行に里数を積り、味方地によつて進み、敵地に至れば攻従へて服従せしめ、而後に道をとる、至る所人の所在なり、糧食なき事あたはず、皆其地に取て我用とす、一城降れば直に糧食に有余あり、加ふるに其地に近き味将よりこれを送り、尤領国の運漕も地によつて遅速ありとも必やいたる、何の愁るとかあらむ、水手第廿一戦陣の大事水にあり、糧食数多といへども水に手をつく時は人馬忽ち労病す、呑水あり、つかひ水あり、用水あり、此覚悟にくらき時は忽変に折く、たとへ今水ありとも涸るゝ事あり、敵より水の手を断事あり、井水流水天水を始として、人数に応じてあらかじめ是を調へ、心に決得せずんば、水用の自在を失ふべし、
書き下し
兵粮第二十戰は國家の大事にして兵を起す國其費用あげてかぞへ難し、兵器全しと雖粮食不足なる時は征拒共に功をなしがたく、却て敗亡の基なり、故に名將治亂によらず五穀の有餘をなして變に備ふ、地戰に食たるといへども征伐に粮食續くべからず、運漕の便のみにして一度通路ふさがるときは三軍立所に餓死に及、兵家の難とする所なり、しかれども戰國の名將歳々征戰して食に乏しからざる、見つべし、凡征戰の位といへども敵地を從へずふみ越てみだりに進まんや、粮食のみにあらず、前後に敵を請る時は三軍死亡に至る、行に里數を積り、味方地によつて進み、敵地に至れば攻從へて服從せしめ、而後に道をとる、至る所人の所在なり、糧食なき事あたはず、皆其地に取て我用とす、一城降れば直に糧食に有餘あり、加ふるに其地に近き味將よりこれを送り、尤領國の運漕も地によつて遲速ありとも必やいたる、何の愁るとかあらむ、水手第廿一戰陣の大事水にあり、糧食數多といへども水に手をつく時は人馬忽ち勞病す、呑水あり、つかひ水あり、用水あり、此覺悟にくらき時は忽變に折く、たとへ今水ありとも涸るゝ事あり、敵より水の手を斷事あり、井水流水天水を始として、人數に應じてあらかじめ是を調へ、心に決得せずんば、水用の自在を失ふべし、
現代語訳
兵粮第二十。戦は国家の大事であり、兵を起こす国のその費用は挙げて数えがたいものです。兵器が全くても兵糧が不足する時は、征も拒もともに功をなしがたく、かえって敗亡のもとになります。ゆえに名将は治世か乱世かによらず、五穀に余りを持たせて変事に備えます。地戦では食が足りても、征伐では兵糧が続くとは限りません。運び込む便だけに頼り、一度通路がふさがれると全軍がたちまち餓死に及ぶので、兵家の難とするところです。しかし戦国の名将が年ごとに征戦して食に乏しくないのは、見てのとおりです。およそ征戦の位といっても、敵地を従えずに踏み越えてみだりに進むことがありましょうか。兵糧だけではなく、前後に敵を受ける時は全軍が死亡に至ります。行くには里数を積み、味方の地によって進み、敵地に至れば攻めて従わせ服させ、その後に道を取ります。至るところに人が住んでいます。糧食のないことはありえません。皆その地で取って我が用とします。一城が降れば直ちに糧食に余りが出ます。加えてその地に近い味方の将からこれを送り、領国からの運送も地によって遅い早いはあっても必ず届きます。何を憂えることがありましょうか。水手第廿一。戦陣の大事は水にあります。糧食が数多くあっても、水に手をつけられない時は、人馬がたちまち疲れ病みます。呑む水があり、使う水があり、用いる水があります。この覚悟にくらい時は、たちまち変事に挫けます。たとえ今水があっても涸れることがあり、敵から水の手を断たれることもあります。井戸水・流れる水・天水をはじめとして、人数に応じてあらかじめ備え、心に会得していなければ、水を自在に使う力を失うでしょう。
解説

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孫子・地形篇夫れ地形は、兵の助けなり。敵を料りて勝を制し、険厄遠近を計るは、上将の道なり。此を知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、此を知らずして戦いを用うる者は必ず敗る。
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孫子・軍争篇是の故に軍に輜重無ければ則ち亡び、糧食無ければ則ち亡び、委積無ければ則ち亡ぶ。故に諸侯の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。
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孫子・火攻篇凡そ火攻に五有り。一に曰く火人、二に曰く火積、三に曰く火輜、四に曰く火庫、五に曰く火隊。
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史記 魏豹彭越列伝千余人を得たり。沛公の碭より北のかた昌邑を撃つや、彭越之を助く。昌邑未だ下らず、沛公兵を引きて西す。彭越も亦其の衆を将ゐて鉅野の中に居り、魏の散卒を収む。項籍関に入り、諸侯に王とし、還り帰る。彭越の衆万余人属する所毋し。漢の元年秋、斉王田栄項王に畔き、乃ち人をして彭越に将軍の印を賜はしめ、済陰を下して以て楚を撃たしむ。楚、蕭公角をして兵を将ゐて越を撃たしむ。越大いに楚軍を破る。漢王の二年春、魏王豹及び諸侯と東のかた楚を撃つ。彭越其の兵三万余人を将ゐて漢に外黄に帰す。漢王曰く、「彭将軍魏の地を収めて十余城を得、急ぎ魏の後を立てんと欲す。今西魏王豹も亦魏王咎の従弟なり。真の魏の後なり」と。乃ち彭越を拝して魏の相国と為し、其の兵を擅に将ゐて、梁の地を略定せしむ。漢王の彭城に敗れて解けて西するや、彭越皆復た其の下す所の城を亡ひ、独り其の兵を将ゐて北のかた河上に居る。漢王の三年、彭越常に往来して漢の游兵と為り、楚を撃ち、其の後糧を梁の地に絶つ。漢の四年冬、項王と漢王と滎陽に相距ぐ。彭越睢陽・外黄の十七城を攻め下す。項王之を聞き、乃ち曹咎をして成皋を守らしめ、自ら東して彭越の下す所の城邑を収め、皆復た楚と為す。越其の兵を将ゐて北のかた穀城に走る。漢の五年秋、項王の南のかた陽夏に走るや、彭越復た昌邑の旁の二十余城を下し、穀十余万斛を得て、以て漢王の食に給す。漢王敗れ、使をして彭越を召して力を并せて楚を撃たしめんとす。越曰く、「魏の地初めて定まり、尚ほ楚を畏る。未だ去るべからず」と。漢王楚を追ひ、項籍の為に碧陵に敗らる。乃ち留侯に謂ひて曰く、「諸侯の兵従はず。之を為すこと柰何」と。留侯曰く、「斉王信の立つは、君王の意に非ず。信も亦自ら堅からず。
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『長短経』水火経に曰く「水を以て攻を佐くる者は強く、火を以て攻を佐くる者は明らかなり」と。是に知る、水火なる者は、兵の助けなり。故に火攻に五有り。一に曰く人を火く〔敵の傍近の草、風に因りて之を焼く〕。二に曰く積を火く〔其の積蓄を焼く〕。三に曰く輜を火く〔其の輜重を焼く〕。四に曰く庫を火く〔当に間人をして敵営に之かしめ、其の兵庫を焼かしむべし〕。五に曰く燧を火く〔燧は、墮なり。火を以て敵人の営中に墮すなり。大頭の法は、鉄を以て火を盈たし、箭頭に著け、強弩もて敵の営中に射て、糧道を焼絶するなり〕。