日本伝治乱要決 / 應亂卷・船軍の心得と死戦に臨む覚悟
船軍第十八陸の反なり、非常なり、陸地によく騎を馳する所拙き者は海路に船をやると難し、陸戰に巧なりといへども蓋し船軍に拙きはあらん、蹈所違へばなり、船を頼んで戰ふにあらず、船によつて其業を靈利にして不意に起て大功をあらはす、向ふ所見る所ある時は行く間は皆道なり、海陸ともに厭ふとなし、正に船に乘る時勝利決然として備る、敵の在所へ神通ずる時は大風波浪平地を行がごとし、故に船業に委しくして水戰をなさんとするは愚將のなづむ所なり、いかんぞ神速の功をあらはさゞ、死戰第十九運に窮達あり、明將といへども運窮する時は重圍を受て術計盡るに至る、命數のある所如何ともせんや、いさぎよく死を善道にまもるべし、彼は逆にして我は正なり、何ぞ手を空して逆徒の手に死すべけんや、三軍に決死をつたへ、隱する者を離散せしめ、糧を燒き歸路を斷、上下一連死生共に忘れて、逆徒一人を討をも快として、憤激して突戰し、敵將を討を目當として、縱橫に馳ちらし、一歩も退かず、切死なす義者の働、爰を失ふ時は常戰も亦危ふかるべし、かゝる時一人の鋒先數十人に對す、窮寇の犯刃恐らくは猛勢避易してもろく敗亡なす事あらん、
新字:船軍第十八陸の反なり、非常なり、陸地によく騎を馳する所拙き者は海路に船をやると難し、陸戦に巧なりといへども蓋し船軍に拙きはあらん、蹈所違へばなり、船を頼んで戦ふにあらず、船によつて其業を霊利にして不意に起て大功をあらはす、向ふ所見る所ある時は行く間は皆道なり、海陸ともに厭ふとなし、正に船に乗る時勝利決然として備る、敵の在所へ神通ずる時は大風波浪平地を行がごとし、故に船業に委しくして水戦をなさんとするは愚将のなづむ所なり、いかんぞ神速の功をあらはさゞ、死戦第十九運に窮達あり、明将といへども運窮する時は重囲を受て術計尽るに至る、命数のある所如何ともせんや、いさぎよく死を善道にまもるべし、彼は逆にして我は正なり、何ぞ手を空して逆徒の手に死すべけんや、三軍に決死をつたへ、隠する者を離散せしめ、糧を焼き帰路を断、上下一連死生共に忘れて、逆徒一人を討をも快として、憤激して突戦し、敵将を討を目当として、縦横に馳ちらし、一歩も退かず、切死なす義者の働、爰を失ふ時は常戦も亦危ふかるべし、かゝる時一人の鋒先数十人に対す、窮寇の犯刃恐らくは猛勢避易してもろく敗亡なす事あらん、
書き下し
船軍第十八陸の反なり、非常なり、陸地によく騎を馳する所拙き者は海路に船をやると難し、陸戰に巧なりといへども蓋し船軍に拙きはあらん、蹈所違へばなり、船を頼んで戰ふにあらず、船によつて其業を靈利にして不意に起て大功をあらはす、向ふ所見る所ある時は行く間は皆道なり、海陸ともに厭ふとなし、正に船に乘る時勝利決然として備る、敵の在所へ神通ずる時は大風波浪平地を行がごとし、故に船業に委しくして水戰をなさんとするは愚將のなづむ所なり、いかんぞ神速の功をあらはさゞ、死戰第十九運に窮達あり、明將といへども運窮する時は重圍を受て術計盡るに至る、命數のある所如何ともせんや、いさぎよく死を善道にまもるべし、彼は逆にして我は正なり、何ぞ手を空して逆徒の手に死すべけんや、三軍に決死をつたへ、隱する者を離散せしめ、糧を燒き歸路を斷、上下一連死生共に忘れて、逆徒一人を討をも快として、憤激して突戰し、敵將を討を目當として、縱橫に馳ちらし、一歩も退かず、切死なす義者の働、爰を失ふ時は常戰も亦危ふかるべし、かゝる時一人の鋒先數十人に對す、窮寇の犯刃恐らくは猛勢避易してもろく敗亡なす事あらん、
現代語訳
船軍第十八。陸の反対です。常ならぬことです。陸地で馬を駆けさせるのが下手な者は、海路で船を操るのも難しいでしょう。陸戦に巧みであっても、船軍が下手なことはあるでしょう。踏むところが違うからです。船を頼みにして戦うのではありません。船によってその業を鋭く有利にし、不意に起こって大功を現すのです。向かうところ、見るところがある時は、行く間は皆道です。海も陸もともに嫌うことはありません。まさに船に乗る時、勝利を決然と備え、敵のいる所へ心が通じる時は、大風や波浪も平地を行くようです。ゆえに船の業に詳しくなって水戦をしようとするのは、愚かな将がとらわれることです。どうして神速の功を現せないことがありましょうか。死戦第十九。運には窮と達があります。明将といえども運が窮まる時は、重囲を受けて術も計も尽きるに至ります。命数のあるところは、どうにもなりません。いさぎよく死を善い道のうちに守るべきです。彼は逆で我は正です。どうして手をこまねいて逆徒の手にかかって死ねましょうか。全軍に決死を伝え、隠れる者は離散させ、兵糧を焼き、帰り道を断ち、上下一つになり、死生をともに忘れ、逆徒一人を討つのも快として、憤り激して突き戦い、敵将を討つのを目当てに縦横に駆け散らし、一歩も退かず、斬り死にする義者の働きです。ここを失えば通常の戦もまた危うくなります。このような時、一人の鋒先が数十人に対します。追い詰められた敵が刃を向ければ、おそらく猛き勢いも避けて脆く敗れることがあるでしょう。
解説

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