配所残筆 / 配所殘筆15
然ども軍法兵法之議論被仕候者、其方前にて口の明可申樣者不存候、就夫當年五十三歲に至り耻入候得共、今日初て誓詞仕、其方兵學の弟子に成申度由御申候故、私申候者、私事左樣に被思召被下候事、別而忝奉存候、古戰物語武功者度々御咄承候て、拙者儀不淺大慶仕候、何事にも御相傳など有之儀者不存寄候由申候得共、達而御望故、任御意宗古老御誓詞候、其時分林九郎右衞門事彌三郎と申候て、宗古念頃にて居被申候故、能可被存候、寬文六年午十月三日未上刻北條安房守殿より手紙被差越候、 切紙自筆 可相尋御用之事候間、早々私宅迄可被參候以上、 十月三日 北條安房守 山鹿甚五左衞門殿 切紙之御答御手紙被成下、謹而奉拜見候、御尋可被成御用之儀御坐候間、早々貴宅迄參上可仕候旨、畏奉存候、追付參上可仕候、以上、 十月三日 山鹿甚五左衞門 房州樣如斯相認遣候、夕料理未被下候故、食事心快認候而行水仕、定而只事にて有之間敷存、乍立遺書相調殘置候、尤死罪被仰付候はゞ公儀へ一通差上可相果、是又相認令懷中候、此外五六ヶ所へ小翰相調、態と老母方へ不申遣、宗三寺へ參詣仕、下人成程はぶき、若黨兩人召連、馬上にて房州公へ參候、四日には津輕公へ可被召寄兼約御座候つるを、
新字:然ども軍法兵法之議論被仕候者、其方前にて口の明可申様者不存候、就夫当年五十三歳に至り耻入候得共、今日初て誓詞仕、其方兵学の弟子に成申度由御申候故、私申候者、私事左様に被思召被下候事、別而忝奉存候、古戦物語武功者度々御咄承候て、拙者儀不浅大慶仕候、何事にも御相伝など有之儀者不存寄候由申候得共、達而御望故、任御意宗古老御誓詞候、其時分林九郎右衛門事弥三郎と申候て、宗古念頃にて居被申候故、能可被存候、寛文六年午十月三日未上刻北条安房守殿より手紙被差越候、 切紙自筆 可相尋御用之事候間、早々私宅迄可被参候以上、 十月三日 北条安房守 山鹿甚五左衛門殿 切紙之御答御手紙被成下、謹而奉拝見候、御尋可被成御用之儀御坐候間、早々貴宅迄参上可仕候旨、畏奉存候、追付参上可仕候、以上、 十月三日 山鹿甚五左衛門 房州様如斯相認遣候、夕料理未被下候故、食事心快認候而行水仕、定而只事にて有之間敷存、乍立遺書相調残置候、尤死罪被仰付候はゞ公儀へ一通差上可相果、是又相認令懐中候、此外五六ヶ所へ小翰相調、態と老母方へ不申遣、宗三寺へ参詣仕、下人成程はぶき、若党両人召連、馬上にて房州公へ参候、四日には津軽公へ可被召寄兼約御座候つるを、
書き下し
然ども軍法兵法之議論被仕候者、其方前にて口の明可申樣者不存候、就夫當年五十三歲に至り耻入候得共、今日初て誓詞仕、其方兵學の弟子に成申度由御申候故、私申候者、私事左樣に被思召被下候事、別而忝奉存候、古戰物語武功者度々御咄承候て、拙者儀不淺大慶仕候、何事にも御相傳など有之儀者不存寄候由申候得共、達而御望故、任御意宗古老御誓詞候、其時分林九郎右衞門事彌三郎と申候て、宗古念頃にて居被申候故、能可被存候、寬文六年午十月三日未上刻北條安房守殿より手紙被差越候、 切紙自筆 可相尋御用之事候間、早々私宅迄可被參候以上、 十月三日 北條安房守 山鹿甚五左衞門殿 切紙之御答御手紙被成下、謹而奉拜見候、御尋可被成御用之儀御坐候間、早々貴宅迄參上可仕候旨、畏奉存候、追付參上可仕候、以上、 十月三日 山鹿甚五左衞門 房州樣如斯相認遣候、夕料理未被下候故、食事心快認候而行水仕、定而只事にて有之間敷存、乍立遺書相調殘置候、尤死罪被仰付候はゞ公儀へ一通差上可相果、是又相認令懷中候、此外五六ヶ所へ小翰相調、態と老母方へ不申遣、宗三寺へ參詣仕、下人成程はぶき、若黨兩人召連、馬上にて房州公へ參候、四日には津輕公へ可被召寄兼約御座候つるを、
現代語訳
しかし、軍法兵法の議論をする者で、あなたの前で口を開いてやり込められないような者は思い当たりません。ついては、今年五十三歳になり、恥ずかしいことですが、今日初めて誓詞をして、あなたの兵学の弟子になりたい、と言われました。私は、そのようにお思いくださることは特にありがたく、古戦の物語や武功の方々のお話をたびたびうかがい、私も大変ありがたく存じております、何事についても相伝などというものは心当たりがありません、と申しました。けれども強いてのお望みでしたので、御意に任せて、宗古老が誓詞をなさいました。その時、林九郎右衛門が、弥三郎と申して、宗古老と親しくしておられたので、よくご存じでしょう。寛文六年午の十月三日の未の上刻に、北條安房守殿から手紙が来ました。切紙の自筆で、お尋ねしたい用事があるので、早々私宅までお越しください、以上、十月三日、北條安房守、山鹿甚五左衛門殿、とありました。切紙へのお答えの手紙として、拝見いたしました、お尋ねの御用のことで貴宅まで参上するようにとの旨、承知いたしました、すぐに参上いたします、以上、十月三日、山鹿甚五左衛門、房州様、とこのように書いて遣わしました。夕食をまだいただいていなかったので、食事を気持ちよく済ませて行水し、きっと普通の用事ではあるまいと思い、立ったまま遺書を調えて残しました。死罪を仰せ付けられるなら、公儀へ一通差し上げて果てるつもりで、これも書いて懐中しました。このほか五、六か所へ短い手紙を調え、わざと老母には知らせず、宗三寺へ参詣し、下人はできるだけ少なくし、若党二人を連れて、馬上で房州公のもとへ参りました。四日には津軽公に召し寄せられる約束がありましたが、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『酔古堂剣掃』集峭・生死の關先づ破る窮通の境未だ遭はざるに、主持の局已に定まり;老病の勢未だ催さざるに、生死の關先づ破る。之を今の世に求むるに、誰か此れを語るに堪へん。
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葉隠・聞書第二権之丞(ごんのじょう)殿へ話に、只今がその時、その時が只今なり。二つに合点している故(ゆえ)、そ、今日御前(ごぜん)へ召出(めしいだ)され、「これこれの儀を、そこにて云うて見よ。」と仰付(おおせつ)けられ候時、多分迷惑なるべし。上方(かみがた)にて置くというは、終(つい)に御前にても、公儀(こうぎ)の御城にて公方様(くぼうさま)の御前にても、さっぱりと云うて済ます様に、広間(ひろま)の隅にて言い習うて置く事なり。万事かくの如きなり。准(じゅん)じて吟味すべし。今日の不覚悟、皆知らるるかとなり。
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『南洲翁遺訓』第四十一条身を修し己れを正して、君子の体を具ふるとも、処分の出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。譬へば数十人の客不意に入り来んに、仮令何程饗応したく思ふとも、兼て器具調度の備無ければ、唯心配するのみにて、取賄ふ可き様有間敷ぞ。常に備あれば、幾人なりとも、数に応じて賄はるる也。夫れ故平日の用意は肝腎ぞとて、古語を書て賜りき。
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葉隠・聞書第十一自火(じか)の仕組(しくみ)、公私共に兼(かね)て仕置くべき事なり。歴々(れきれき)御大名方にても、自火の時、外聞(がいぶん)悪しき事これ有り候。肝要は諸道具一色(ひといろ)も直し申さず、焼き捨て候覚悟にて、粉骨火を消し、手に及ばざる時、丸焼(まるやけ)仕り候えば、仕損(しそん)有るまじく候。いかようの急火にても、うろたえ申さず候わば、身拵(みごしら)えの間(ま)とれ無き事はあるまじく候。兼々(かねがね)家内(かない)の男女共に、能く申聞かせ召置かるべき事に候。江戸御屋敷にても、仕組、衆々(しゅうじゅう)能く有るべき事に候。大事の物仕分け、直し置くべき事なり。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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