日本伝治乱要決 / 應亂卷・備形は水のごとく、城塁は要を知る
備形第七百萬の衆ありとも敵を受て危所ある時は、なんぞ戰をなすにたらん、ひきゐ出る人數を以て八方に敵を受けて勝負に屈せざる、よく備ると謂つべし、其形の如きは古今名將の備兵家のつねに談ずる所なり、其事跡に委しくとも何をかなさむ、凡備は水のごとし、水は器によつて形をなす、その主たる所ひきゝに下れるにあるのみ、備に形なし、地によつて形をなす、其主とする所敵を破るにあり、爰に徹する時は、無量の形一橋の下に自在ならん、城壘第八城は萬物流通して人主の社稷を護る所なり、故に城を制するは居宅を營むが如し、人家つねの用を通達して變に應ずるを矩とす、城の大段も此上に出る事なし、賊に逢ふて其兵を折く、城の堅固なるによつてなり、外より見る事あたわずして我はよく見切、外より來ることあたわずして我はよく出づ、守れば敵攻る所を知らず、出で戰ば敵防ぐ所を失なふ、勝負に益ある事十倍の人數に匹敵すべし、其業數多なりといへども、要を知らずして形を制する時は、巧匠の術とひとしく、勝負の大事におのづから疎なるべし、
新字:備形第七百万の衆ありとも敵を受て危所ある時は、なんぞ戦をなすにたらん、ひきゐ出る人数を以て八方に敵を受けて勝負に屈せざる、よく備ると謂つべし、其形の如きは古今名将の備兵家のつねに談ずる所なり、其事跡に委しくとも何をかなさむ、凡備は水のごとし、水は器によつて形をなす、その主たる所ひきゝに下れるにあるのみ、備に形なし、地によつて形をなす、其主とする所敵を破るにあり、爰に徹する時は、無量の形一橋の下に自在ならん、城塁第八城は万物流通して人主の社稷を護る所なり、故に城を制するは居宅を営むが如し、人家つねの用を通達して変に応ずるを矩とす、城の大段も此上に出る事なし、賊に逢ふて其兵を折く、城の堅固なるによつてなり、外より見る事あたわずして我はよく見切、外より来ることあたわずして我はよく出づ、守れば敵攻る所を知らず、出で戦ば敵防ぐ所を失なふ、勝負に益ある事十倍の人数に匹敵すべし、其業数多なりといへども、要を知らずして形を制する時は、巧匠の術とひとしく、勝負の大事におのづから疎なるべし、
書き下し
備形第七百萬の衆ありとも敵を受て危所ある時は、なんぞ戰をなすにたらん、ひきゐ出る人數を以て八方に敵を受けて勝負に屈せざる、よく備ると謂つべし、其形の如きは古今名將の備兵家のつねに談ずる所なり、其事跡に委しくとも何をかなさむ、凡備は水のごとし、水は器によつて形をなす、その主たる所ひきゝに下れるにあるのみ、備に形なし、地によつて形をなす、其主とする所敵を破るにあり、爰に徹する時は、無量の形一橋の下に自在ならん、城壘第八城は萬物流通して人主の社稷を護る所なり、故に城を制するは居宅を營むが如し、人家つねの用を通達して變に應ずるを矩とす、城の大段も此上に出る事なし、賊に逢ふて其兵を折く、城の堅固なるによつてなり、外より見る事あたわずして我はよく見切、外より來ることあたわずして我はよく出づ、守れば敵攻る所を知らず、出で戰ば敵防ぐ所を失なふ、勝負に益ある事十倍の人數に匹敵すべし、其業數多なりといへども、要を知らずして形を制する時は、巧匠の術とひとしく、勝負の大事におのづから疎なるべし、
現代語訳
備形第七 百万の大軍があっても、敵を受けて危ういところがあるならば、どうして戦うに足りるでしょうか。率い出た人数で八方に敵を受けて勝負に屈しないことを、よく備えると言うべきです。その形のようなものは、古今の名将や備えの兵法家がいつも語るところです。その事跡に詳しくても何になるでしょう。およそ備えは水のようなものです。水は器によって形をなします。その主とするところは、低いところに下ることにあるだけです。備えに形はありません。地によって形をなします。その主とするところは、敵を破ることにあります。ここに徹するときは、無量の形が一つの橋の下で自在になるでしょう。城塁第八 城は万物が流通して、君主の社稷(国家)を護る所です。ゆえに城を作るのは居宅を営むようなものです。人家が常の用を通じて変に応じることを矩(基準)とします。城の大筋もこれより外に出ることはありません。賊に逢ってその兵を挫くのは、城が堅固だからです。外からは見ることができず、我はよく見切り、外からは来ることができず、我はよく出ることができます。守れば敵は攻める所を知らず、出て戦えば敵は防ぐ所を失います。勝負に益のあることは、十倍の人数に匹敵するでしょう。その業は数多くても、要を知らずに形を作るときは、巧匠の術と等しく、勝負の大事においてはおのずから疎かになるでしょう。
解説

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史記 高祖本紀地は方二千里、戟を持つもの百万、県隔すること千里の外、斉十に二を得たり。故に此れ東西の秦なり。親子弟に非ずんば、斉に王たらしむべき莫し。」と。高祖曰く、「善し。」と。黄金五百斤を賜ふ。後十余日、韓信を封じて淮陰侯と為し、其の地を分かちて二国と為す。高祖曰く将軍劉賈数(しばしば)功有りと、以て荊王と為し、淮東に王とす。弟交を楚王と為し、淮西に王とす。子肥を斉王と為し、七十余城に王とし、民の能く斉の言をなす者は皆斉に属す。乃ち功を論じ、諸列侯と符を剖きて封を行ふ。韓王信を太原に徙す。七年、匈奴韓王信を馬邑に攻む、信因りて与に謀りて太原に反す。白土の曼丘臣・王黄故の趙の将趙利を立てて王と為して以て反す、高祖自ら往きて之を撃つ。会々天寒く、士卒の指を墮す者什に二三、遂に平城に至る。匈奴我を平城に囲む、七日にして後罷め去る。樊噲をして止まりて代の地を定めしむ。兄劉仲を立てて代王と為す。二月、高祖平城より趙・雒陽を過ぎ、長安に至る。長楽宮成る、丞相已下徙りて長安に治す。八年、高祖東のかた韓王信の余反寇を東垣に撃つ。蕭丞相未央宮を営作し、東闕・北闕・前殿・武庫・太倉を立つ。高祖還り、宮闕の壮なること甚だしきを見て、怒り、蕭何に謂ひて曰く、「天下匈匈として苦戦すること数歳、成敗未だ知るべからず、是れ何ぞ宮室を治むること度を過ぐるや。」と。蕭何曰く、「天下方に未だ定まらず、故に因りて遂に宮室を就すべし。且つ夫れ天子は四海を家と為す、壮麗に非ずんば以て威を重くする無し、且つ後世をして以て加ふる有らしむる無からん。」と。高祖乃ち説ぶ。高祖の東垣に之くや、柏人を過ぐ、趙の相貫高等高祖を弑せんと謀る、高祖心動き、因りて留まらず。代王劉仲国を棄てて亡げ、自ら雒陽に帰る、廃して以て合陽侯と為す。九年、趙の相貫高等の事発覚し、三族を夷ぐ。
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孫子・勢篇故に善く戦う者は、之を勢に求めて人に責めず。故に能く人を択びて勢に任ず。
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孫子・作戦篇其の戦を用うるや、勝つを貴ぶ。久しければ則ち兵を鈍らせ鋭を挫き、城を攻むれば則ち力屈し、久しく師を暴せば則ち国用足らず。
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葉隠・聞書第一万(よろ)づの芸能も、武道奉公(ぶどうほうこう)の為にと心に構えてすれば、用に立ちてよきなり。多分(たぶん)芸好(げいずき)になるものなり。学問など就中(なかんずく)危(あや)うきなり。
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説苑・修文射る者は必ず心平らかに體正しく、弓矢を持すること審かに固く、然る後射る者能く以て中つ。詩に云う、「大侯既に抗げ、弓矢斯に張る。射夫既に同じくして、爾が發の功を獻ず。」此を之れ謂うなり。弧の言たる豫なり、豫とは吾が意を豫めするなり。故に古は兒生まれて三日、桑弧蓬矢もて六たび天地四方を射る、天地四方とは、男子の事有る所なり、必ず其の事有る所を意うこと有りて、然る後敢えて穀を食う、故に曰く、「素飧せず。」此を之れ謂うなり。