説苑 / 修文
射者必心平體正,持弓矢審固,然後射者能以中。詩云:「大侯既抗,弓矢斯張;射夫既同,獻爾發功。」此之謂也。弧之為言豫也,豫者豫吾意也。故古者兒生三日,桑弧蓬矢六射天地四方,天地四方者,男子之所有事也,必有意其所有事,然後敢食穀,故曰:「不素飧兮。」此之謂也。
新字:射者必心平体正,持弓矢審固,然後射者能以中。詩云:「大侯既抗,弓矢斯張;射夫既同,献爾発功。」此之謂也。弧之為言予也,予者予吾意也。故古者児生三日,桑弧蓬矢六射天地四方,天地四方者,男子之所有事也,必有意其所有事,然後敢食穀,故曰:「不素飧兮。」此之謂也。
書き下し
射る者は必ず心平らかに體正しく、弓矢を持すること審かに固く、然る後射る者能く以て中つ。詩に云う、「大侯既に抗げ、弓矢斯に張る。射夫既に同じくして、爾が發の功を獻ず。」此を之れ謂うなり。弧の言たる豫なり、豫とは吾が意を豫めするなり。故に古は兒生まれて三日、桑弧蓬矢もて六たび天地四方を射る、天地四方とは、男子の事有る所なり、必ず其の事有る所を意うこと有りて、然る後敢えて穀を食う、故に曰く、「素飧せず。」此を之れ謂うなり。
現代語訳
弓を射る者は必ず心を平静にし体を正しく保ち、弓矢を確かにしっかりと持って、初めてよく的に中てることができる。詩経に「大きな的が掲げられ、弓矢がここで張られる。射手たちが皆一つになって集まり、あなたの射の功績を献上する」とあるのはこのことを言うのである。「弧(弓)」という言葉は「豫(あらかじめ)」を意味し、豫とはあらかじめ自分の志を定めておくことである。だから古代には、子が生まれて三日目に、桑の弓とよもぎの矢で天地四方を射る儀式を六回行った。天地四方とは、男子が将来関わるべき事業の象徴である。必ずその将来関わるべき事業について志を定めてから、初めて穀物を食べることが許された。だから「働かずして飯を食うことはしない」というのは、このことを言うのである。
解説
生まれてわずか三日の赤子に対して、天地四方を象徴的に射させる儀式を行うという慣習は、人生の目的意識を可能な限り早い段階から意識づけようとする古代人の教育観を映し出している。単に「頑張れ」という精神論ではなく、志を定めてから初めて糧を食むべきだという発想は、目的意識を持たずに漫然と過ごすことへの戒めとして、現代の若者教育やキャリア形成の議論にも通じる示唆を持つ。心を平静に保ち体を正しくして初めて的に中るという射の教えも、目標達成には技術以前に心身の整えが不可欠であることを教えている。
この章句が説くこと
志心身の整え目的意識
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