日本伝治乱要決 / 治基卷・治基巻・平衡と撰任の道
平衡第四國に萬民萬物あり、皆自然の有物にて國用をなさずといふ事なし、人立場を失なへば相害し相賊ふ、物所をたがへば用を失なひ永く棄物となる、天の自然なんぞしかならん、春風春雨の【ど/ご】くならば何物か其澤を蒙らざらん、大地に河を汎ぐ【ど/ご】くならばなんの流通せざる所あらんや、異敎鋒先のごとく起るとも悉く我有とならざるはなし、よく看得なすべきことなり、撰任第五國家の事は多端なり、明將上に位なせども一人の智以て海内に及ぶ事なし、故に賢者を撰んで官を授け位をあたへ其長ずる所によつて職を命ず、爰において群臣其事に智力を盡して國益をなす、人主手を拱して至治をなす、賢に任ずるによつてなり、撰に勞して任ずるに易し、我愛憎を放れて道によつて撰むときは人々其妍媸を掩ふとあたはず、任じて疑はざる時は人々よく力を盡す、治術の天下に擴充する事撰任のあたれるによれり、
新字:平衡第四国に万民万物あり、皆自然の有物にて国用をなさずといふ事なし、人立場を失なへば相害し相賊ふ、物所をたがへば用を失なひ永く棄物となる、天の自然なんぞしかならん、春風春雨の【ど/ご】くならば何物か其沢を蒙らざらん、大地に河を汎ぐ【ど/ご】くならばなんの流通せざる所あらんや、異教鋒先のごとく起るとも悉く我有とならざるはなし、よく看得なすべきことなり、撰任第五国家の事は多端なり、明将上に位なせども一人の智以て海内に及ぶ事なし、故に賢者を撰んで官を授け位をあたへ其長ずる所によつて職を命ず、爰において群臣其事に智力を尽して国益をなす、人主手を拱して至治をなす、賢に任ずるによつてなり、撰に労して任ずるに易し、我愛憎を放れて道によつて撰むときは人々其妍媸を掩ふとあたはず、任じて疑はざる時は人々よく力を尽す、治術の天下に擴充する事撰任のあたれるによれり、
書き下し
平衡第四國に萬民萬物あり、皆自然の有物にて國用をなさずといふ事なし、人立場を失なへば相害し相賊ふ、物所をたがへば用を失なひ永く棄物となる、天の自然なんぞしかならん、春風春雨の【ど/ご】くならば何物か其澤を蒙らざらん、大地に河を汎ぐ【ど/ご】くならばなんの流通せざる所あらんや、異敎鋒先のごとく起るとも悉く我有とならざるはなし、よく看得なすべきことなり、撰任第五國家の事は多端なり、明將上に位なせども一人の智以て海内に及ぶ事なし、故に賢者を撰んで官を授け位をあたへ其長ずる所によつて職を命ず、爰において群臣其事に智力を盡して國益をなす、人主手を拱して至治をなす、賢に任ずるによつてなり、撰に勞して任ずるに易し、我愛憎を放れて道によつて撰むときは人々其妍媸を掩ふとあたはず、任じて疑はざる時は人々よく力を盡す、治術の天下に擴充する事撰任のあたれるによれり、
現代語訳
平衡第四。国には万民と万物があり、みな自然に備わったもので、国の用にならないものはありません。人が立つ場を失えば互いに害し合い傷つけ合い、物が所を違えれば用を失って永く捨てられるものとなります。天の自然がどうしてそのようなものでしょうか。春の風や春の雨のようであれば、どの物がその恵みを蒙らないでしょうか。大地に河を流すようであれば、どこが流れ通じないでしょうか。異教が切っ先のように起こっても、ことごとくわが有とならないものはありません。よく見て悟らねばなりません。撰任第五。国家の事は多端です。明らかな将が上に位していても、一人の智で国内に及ぶことはありません。そのため賢者を選んで官を授け位を与え、その長じるところによって職を命じます。ここにおいて群臣はその事に智力を尽くして国の益をなし、君主は手を拱いて(何もせずとも)至治を行います。賢者に任せるからです。選ぶことには労しますが、任せるのは容易です。自分の愛憎を離れて道によって選ぶときは、人々は美しい者も醜い者も隠すことができません。任せて疑わないときは、人々はよく力を尽くします。治術が天下に広がるのは、撰任が当たっているかどうかによります。
解説

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