呻吟語 / 外篇・詞章・狂迷醉夢の語
聖人終日信口開闔,千言萬語,隨事問答,無一字不可為訓。賢者深沉而思,稽留而應,平氣而言,易心而語,始免於過。出此二者,而恣口放言,皆狂迷醉夢語也,終日言無一字近道,何以多為?
新字:聖人終日信口開闔,千言万語,随事問答,無一字不可為訓。賢者深沈而思,稽留而応,平気而言,易心而語,始免於過。出此二者,而恣口放言,皆狂迷酔夢語也,終日言無一字近道,何以多為?
書き下し
聖人は終日信口開闔し、千言萬語、事に隨ひて問答するも、一字として訓と為す可からざる無し。賢者は深沉して思ひ、稽留して應じ、氣を平らかにして言ひ、心を易へて語り、始めて過ちを免る。此の二者を出でて、口を恣にし言を放つは、皆な狂迷醉夢の語なり。終日言ひて一字も道に近き無し。何を以て多きを為さん。
現代語訳
聖人は一日中口に任せて開き閉じ、千言万語、事に応じて問答しても、一字として教えにならないものがありません。賢者は深く沈んで思い、間を置いて応じ、気を平らかにして言い、心を入れ替えて語り、初めて過ちを免れます。この二つの外で、口を恣にし言葉を放つのは、みな狂い迷い酔い夢の語です。一日中言っても一字も道に近づきません。どうして多く言う必要があるでしょうか。
解説
言葉の在り方を三つに分けます。聖人は口に任せて一字も無駄が無く、賢者は沈思し間を置いて初めて過ちを免れます。二人の差が、手間の有無に出ているのが要点です。そして三つ目が、恣に放つ言葉で、狂い酔った語だとされます。一日中話して一字も道に近づかないなら、多く言う意味がないと締められています。一日中話して一字も近づかないなら、意味がありません。
この章句が説くこと
聖人賢者沈思放言無駄
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