日本伝治乱要決 / 序・序・自然の道を見失った日本
夫道は天地に充塞して、我國開けてよりおのづから存す、國初の人自然のまゝにして其道を蹈んで立つ、然れども人は有心にして情欲のためにひかれ、自然の天心を掩ふて、正所に不立、天の命ずる道を失ふ、正所に立とあたわざれば、人の人たる所に至らず、禽獸の行をなす、是をして天命の自然に違はず立しむるものは、敎の存する所にあり、上古は人心自然淳朴にして、名將天に代て我國の性のまゝに治をなす、敎なしといへども、外に對する事なければ、物を賴むに心なし、後來異敎來てより、其密なるにひかれて、人情遂に我國の道をいやしむ、代を追てます〱聖人の道盛に行れ、人々黨を立て其理に酩酊して我國の道あることを知らず、もとより日本は上古より口授を以て傳へ其敎の書ある事なし、後來に至つて和學の名目ありといへども、外敎によつて唯心氣を治むるの術を說き、治國平天下の大道をおしゆる事なし、故に日を積年を重ねていよいよ外敎盛にして、國躰を辨ずるものなし、于若日本傳の敎は、上杉謙信公戰國の間に長となつて、治に立つて國を治め、亂に立つて逆を制の要、外敎を借らず、我國の用あらんとを苦思熟想して、干戈の間に精撰す、最よく國基を說、
新字:夫道は天地に充塞して、我国開けてよりおのづから存す、国初の人自然のまゝにして其道を蹈んで立つ、然れども人は有心にして情欲のためにひかれ、自然の天心を掩ふて、正所に不立、天の命ずる道を失ふ、正所に立とあたわざれば、人の人たる所に至らず、禽獣の行をなす、是をして天命の自然に違はず立しむるものは、教の存する所にあり、上古は人心自然淳朴にして、名将天に代て我国の性のまゝに治をなす、教なしといへども、外に対する事なければ、物を頼むに心なし、後来異教来てより、其密なるにひかれて、人情遂に我国の道をいやしむ、代を追てます〱聖人の道盛に行れ、人々党を立て其理に酩酊して我国の道あることを知らず、もとより日本は上古より口授を以て伝へ其教の書ある事なし、後来に至つて和学の名目ありといへども、外教によつて唯心気を治むるの術を説き、治国平天下の大道をおしゆる事なし、故に日を積年を重ねていよいよ外教盛にして、国体を弁ずるものなし、于若日本伝の教は、上杉謙信公戦国の間に長となつて、治に立つて国を治め、乱に立つて逆を制の要、外教を借らず、我国の用あらんとを苦思熟想して、干戈の間に精撰す、最よく国基を説、
書き下し
夫道は天地に充塞して、我國開けてよりおのづから存す、國初の人自然のまゝにして其道を蹈んで立つ、然れども人は有心にして情欲のためにひかれ、自然の天心を掩ふて、正所に不立、天の命ずる道を失ふ、正所に立とあたわざれば、人の人たる所に至らず、禽獸の行をなす、是をして天命の自然に違はず立しむるものは、敎の存する所にあり、上古は人心自然淳朴にして、名將天に代て我國の性のまゝに治をなす、敎なしといへども、外に對する事なければ、物を賴むに心なし、後來異敎來てより、其密なるにひかれて、人情遂に我國の道をいやしむ、代を追てます〱聖人の道盛に行れ、人々黨を立て其理に酩酊して我國の道あることを知らず、もとより日本は上古より口授を以て傳へ其敎の書ある事なし、後來に至つて和學の名目ありといへども、外敎によつて唯心氣を治むるの術を說き、治國平天下の大道をおしゆる事なし、故に日を積年を重ねていよいよ外敎盛にして、國躰を辨ずるものなし、于若日本傳の敎は、上杉謙信公戰國の間に長となつて、治に立つて國を治め、亂に立つて逆を制の要、外敎を借らず、我國の用あらんとを苦思熟想して、干戈の間に精撰す、最よく國基を說、
現代語訳
そもそも道は天地に満ちふさがり、わが国が開けてからおのずと存在しています。国の初めの人は自然のままに、その道を踏んで立っていました。けれども人は心があって情欲に引かれ、自然の天心を覆って、正しい所に立てず、天の命じる道を失います。正しい所に立つことができなければ、人が人である所に至らず、禽獣の行いをします。これを天命の自然に違わず立たせるものは、教えのあるところです。上古は人の心が自然で飾り気がなく、名将が天に代わってわが国の性のままに治めました。教えがなくても、外に対することがなかったので、物を頼む心がありませんでした。のちに異教が来てから、その細かな説に引かれて、人情はついにわが国の道を卑しめました。代を追うごとにますます聖人の道が盛んに行われ、人々は党を立ててその理に酔い、わが国に道があることを知りません。もとより日本は上古から口授で伝え、教えの書というものがありません。のちに和学という名目はできたものの、外の教えによってただ心気を治める術を説くだけで、国を治め天下を平らかにする大道を教えることがありません。そのため、年月を積むほどにいよいよ外の教えが盛んになり、国体を弁える者がいません。ところで日本伝の教えは、上杉謙信公が戦国の間に長となって、治にあっては国を治め、乱にあっては逆を制する要として、外の教えを借りず、わが国の用に立つようにと苦思熟想し、戦いの間に精選したものです。もっともよく国の基を説き、
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
-
『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
-
『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
-
『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
-
『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
-
『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。