日本伝治乱要決 / 高山健貞傳・高山健貞の経歴と二つの著作
健貞、姓は高山氏、名は正英、字は剛弼又豪弼、通稱は辨左衞門、健貞と號す、常陸の人、矢田部侯源興晴健貞を延ひて其誨を聴くこと年あり、健貞、侯の爲めに「日本傳守行矩」一卷を著はす、寶曆年間に生榮す、又別に「日本傳治亂要決」の著あり、本書中に井上頼圀氏所藏の「治亂要決」「守行矩」各一卷を收載す、
新字:健貞、姓は高山氏、名は正英、字は剛弼又豪弼、通称は弁左衛門、健貞と号す、常陸の人、矢田部侯源興晴健貞を延ひて其誨を聴くこと年あり、健貞、侯の為めに「日本伝守行矩」一巻を著はす、宝暦年間に生栄す、又別に「日本伝治乱要決」の著あり、本書中に井上頼圀氏所蔵の「治乱要決」「守行矩」各一巻を収載す、
書き下し
健貞、姓は高山氏、名は正英、字は剛弼又豪弼、通稱は辨左衞門、健貞と號す、常陸の人、矢田部侯源興晴健貞を延ひて其誨を聴くこと年あり、健貞、侯の爲めに「日本傳守行矩」一卷を著はす、寶曆年間に生榮す、又別に「日本傳治亂要決」の著あり、本書中に井上頼圀氏所藏の「治亂要決」「守行矩」各一卷を收載す、
現代語訳
高山健貞は、姓は高山氏、名は正英、字は剛弼または豪弼、通称は弁左衛門で、健貞と号しました。常陸の人です。矢田部侯の源興晴は、健貞を招いてその教えを聴くこと、年に及びました。健貞は侯のために『日本傳守行矩』一巻を著しました。宝暦年間に栄えました。また別に『日本傳治亂要決』の著があります。本書の中に、井上頼圀氏が所蔵する『治亂要決』と『守行矩』を各一巻、収めています。
解説

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『日本伝治乱要決』・序・序・師の志と本書が示すもの此書を盡さゞる時は、諸子百家の書を讀む共、何ぞ我朝の裨あるに足らんや、是を盡す時は、雜書といへども見るに從がひ國用ならざる事なし、況や聖老佛等の書をや、能其基立てばなり、惜ひかな百數年日本傳の書を傳るものありといへども作者の眞意に徹せず、理を臆にとつて名と實と符合せず、むなしく兵家の一書となつて唯心術戰法のみとす、嗚呼寶山に入て手を空するが如し、我師健貞剛弼好て數年書をよみひろく和漢の事跡に達し、日本傳の書によつて作者の眞意を操り、我國に於いて治亂の大道たることを悟し、國躰の矩を立、其名によつて其實を示し、初て撰者の器量をあらはす、我朝治亂の要また此書に詳なることを以て諸子に敎導す、其意温厚叮嚀、叉誰か何ぞこゝにしかん、此書の文易簡にして、文字ものを借りて意をなす、これによつて人々近く其微を得しがたし、故に此書に附して今春治亂要決を著作し、外敎をからずして治國制亂の要こゝに出ざることをしめず、我朝數千歳の上より未かくの如き書あることをきかず、嗚呼剛弼我國に功ある哉、これを以てひろく横目の民に蒙らしめ四海に補あらむことを希ふのみ、于時寶曆十三癸未春三月源興晴序
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『日本伝治乱要決』・跋・治乱要決三巻を著した師への跋治亂要決三本は我 師の著はす所なり、日本傳の要此書に盡せり、藏す時は袖裏に收るにたらず、行時は六合に滿て餘りあり 守者これによつてまなびば、我邦の治術戰法掌上に看るがごとく、且つ 健翁守德の大なる、庶くは其一端を窺ふにたらむか、謹跋、寶曆癸未季冬瑞證三宅生英
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『日本伝守行矩』・跋・門人が記す跋と日本伝の規矩我國に自然の大道あり、人の道を得るや敎による、おしへに眞妄あり、敎の眞をうるや、其規矩のたゞしきによる、日本傳は則其眞敎なり、其規矩は則我師の著はす所其正也、世に日本傳を唱ふるもの多しといへども、いまだ其眞を得るものなき歟、かつて其道をとくものをきかず、我 健貞豪彌、末世に出て、能傳意を考究し、古にさかのぼりて、その粹を得る事、古今に卓絶す、於是、我國の大道、炳然としてあきらかなる事、猶雲霧を拂て山嶽に對するがごとし、近ごろ、師、此矩言を著はして、これを指さす、苟も目あるものは、みなよくこれを見る、門に從ふものゝ幸ひのみならんや、我國の人いづちへかゆかむ、實に天下萬人の幸ひなる哉、今歳、矢田部侯、師にこふて、是を剞劂氏に命じ、梓に行はしむ、僕等もとより希ふこと久し、聊かその事を記して、書の後に附す、寶曆壬午春正月門人 三上景德謹識
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『日本伝守行矩』・序・守行矩を著し信疑論を添えた序の結び大功によれるのみ、其門に遊ぶもの、三尺の童子といへども、能經濟を論じ、よく虛實に達す、その敎を信ずるもの、其性によつて各其才德をなす、於是、其大道たる事彰々たり、惜かな今世に行はれず、徒らに兵書の名目におちいつて、廣く海内に達せず、嗚呼天命のしからしむる歟、いかんともすべからず、美玉の土中に埋るが如く、日月の雲に掩るゝに似たり、豪彌去年守行矩一篇を著はして、同守にしめす、これ道の根元、敎導の死活を辨ず、此書によつて日本傳を守行なす時は、我國治亂の要を會せずといふ事なし、附して信疑論を著して、守者の一助とす、廣く四海におこなわれ、我國の補あらん事を希ふ、余が微意爰にあり、故に序をなして廣く同志に告るのみ、寶曆十二年壬午正月源 興時
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『日本伝守行矩』・序・日本伝の名と実を結ぶ師の教え夫日本天勝速日傳の名目、世に行はるゝ事年久しく、上杉一家の兵學として、專ばら心術を說き、戰法を談じ、雜兵家の雄となるを眉目として、竟に日本治亂の大道たることを辨まへず、此故に日本傳の名目のみ有て、其實行はるゝ事なし、これ理を臆にとり、大道をしらずして、言を傳えて得たりとし、國體につくの眞眼を開くものなければなり、作者の差謬にあらず、世々傳ふる所の者、古人の意に徹せざるによれるか、我師健貞豪彌、數年此書の眞なるを知覺して、其名によつて其實を求め、我國治亂の要を縮る事、日本傳の書に全き事を敎示す、此時に至て其書の名と實と符合して、國家を治る自然の大經、逆敵を制する勝負の活路、現然として白日に黑白を分つがごとし、實に豪彌天 縱の才を震ふの、
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『日本伝守行矩』・本文・戦国の言葉の奥にある章題と伝段○しかりといへども、日本傳の敎其眞粹を知る事かたし、いかんとなれば、本文戰國の間の言にして、其時世に依て、文章をなす、故に亂世の語多くして、人々雜兵家とひとしく、たゞ勝負をとくとおもへり、其道を講ずる者すらしかるときは、門外の、一家の書とする事宜なり、書の眞粹は傳段章題にあり、本文は僅かに一端の手がかりのみ、本文をつくして、章題にさかのぼり、章題を合せて傳段を考る時は、治亂の大道たる事昭々たり、作者の意、爰にあり、故に具眼の者、傳段章題より見る時は、本文の立づところ、また自然の道を失はず、萬世不朽の眞敎と謂つべし、學者は文章の拙さによつて輕視し、世智の者は兵學として、急務にあらずとす、數十年空しく兵家といひ稱せらるゝこと悲むべし、修者道理を談じ、席上人に誇らんとならば、ひろく文學をまなばんにしかず、若し我國の治道を盡し、治亂に國躰を失はず、國家の補益をなさんとならば、志を起して、日本傳に入て守行すべし、道の本然、敎の眞なる充棟汗牛の書、と〳〵二十二傳の用をなさずといふとなし、守者つとめよや、おこたる事なかれ、むしろ、日本傳の庸人となるとも、異敎の君子となるとなかれ、