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弁名 / 理氣人欲

如包犧氏爲網罟。葢取諸離。神農氏爲耒耜。葢取諸益。易本有取象作器之義。故云爾。形而上者。謂器未成形以前。唯有易道耳。至於其成形之後。始有其器也。皆主制器言之。下文遂曰。化而裁之。謂之變。推而行之。謂之通。擧而措之天下之民。謂之事業。是皆贊易之言。道器變通事業。皆以易言之耳。如上章曰。闔戶謂之坤。闢戶謂之乾。一闔一闢謂之變。往來不窮謂之通。見乃謂之象。形乃謂之器。制而用之謂之法。利用出入民咸用之謂之神。是又不以道器對言。其義可以見已。豈非大謬乎。

新字:如包犠氏為網罟。葢取諸離。神農氏為耒耜。葢取諸益。易本有取象作器之義。故云爾。形而上者。謂器未成形以前。唯有易道耳。至於其成形之後。始有其器也。皆主制器言之。下文遂曰。化而裁之。謂之変。推而行之。謂之通。挙而措之天下之民。謂之事業。是皆賛易之言。道器変通事業。皆以易言之耳。如上章曰。闔戸謂之坤。闢戸謂之乾。一闔一闢謂之変。往来不窮謂之通。見乃謂之象。形乃謂之器。制而用之謂之法。利用出入民咸用之謂之神。是又不以道器対言。其義可以見已。豈非大謬乎。

書き下し

包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。

現代語訳

伏羲(包犠氏)が網を作ったのは離の卦に象を取り、神農氏が鋤を作ったのは益の卦に象を取った、というように、易にはもともと象を取って器を作るという意義がある。だからそう言ったのである。形より上とは、器がまだ形を成す前で、ただ易の道があるだけの段階を言う。形を成した後になってはじめて器がある。みな器を作ることを主にして言っている。下の文では続けて「変化させて裁つのを変といい、推し進めて行うのを通といい、取り上げて天下の民に施すのを事業という」と言う。これはみな易をたたえる言葉で、道・器・変・通・事業は、みな易について言ったものにすぎない。前の章の「戸を閉じるのを坤といい、戸を開くのを乾という。一たび閉じ一たび開くのを変といい、行き来して窮まらないのを通という。現れたものを象といい、形になったものを器という。作って用いるのを法といい、出し入れして利用し民がみな用いるのを神という」というのも、道と器を対にしていない。その意味は見て取れる。どうして大きな誤りでないことがあろうか。

解説

徂徠は「形而上・形而下」を文脈の中に戻す。易には、聖人が卦の象に倣って網や鋤などの道具を作ったという伝承がある。形而上とは、器がまだ形になる前の、易の道だけがある段階、形而下とは形になった器のことで、どちらも易が道具作りの源であることをたたえる言葉だというのである。前後の章の言葉づかいを並べて、道と器を対立する二元とする読みを崩す。名句を一行だけ抜き出すと意味が大きく変わる。引用の前後を読む習慣は、報告書や契約書を読むときにもそのまま役立つ。

この章句が説くこと

道器易変通事業聖人

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