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無門関 / 第二十三則 不思善惡

【無門曰】六祖可謂。是事出急家。老婆心切。譬如新荔支剝了殼。去了核送在爾口裏。只要爾嚥一嚥。【頌曰】描不成兮畫不就 贊不及兮休生受 本來面目沒處藏 世界壞時渠不朽

新字:【無門曰】六祖可謂。是事出急家。老婆心切。譬如新荔支剥了殼。去了核送在爾口裏。只要爾嚥一嚥。【頌曰】描不成兮画不就 賛不及兮休生受 本来面目没処蔵 世界壊時渠不朽

書き下し

無門曰く、六祖謂つべし、是の事は急家より出でて、老婆心切なりと。譬えば新しき荔支の殻を剥ぎ了り、核を去り了って、爾が口裏に送在して、只だ爾が嚥一嚥せんことを要するが如し。頌に曰く、描けども成らず画けども就らず、賛むるも及ばず生受することを休めよ。本来の面目処として蔵すに没し、世界壊する時も渠は朽ちず。

現代語訳

無門は言う。六祖(唐の禅僧、六祖慧能)は、事が差し迫ったところから出た、老婆のような親切心の人だと言える。たとえば、とれたての荔枝(ライチ)の殻を剥き、種を取り除いて、お前の口の中に入れてやり、ただお前がひと呑みするのを待っているようなものだ。頌に言う。描こうとしても描けず、絵にしようとしても絵にならない。褒めようとしても褒めきれないから、あれこれ受け取ろうとするのはやめよ。本来の面目は隠れる場所がどこにも無く、世界が壊れる時にも、それは朽ちない。

解説

五祖弘忍の法を継いだ慧能を追ってきた明上座に、慧能が「善も思わず悪も思わず、まさにその時、何がお前の本来の面目か」と示した第二十三則への評唱である。「本来の面目」は、分別以前の自分そのものを指す禅語として広く知られる。衣鉢を奪いに来た相手に、慧能は争わず、最も大切なものを差し出した。無門はそれを、ライチの殻を剥き種まで取って口に入れてやり、あとは呑み込むだけにしてやる老婆心だと評する。追われる身でありながらの急場の親切である。頌は、本来の面目は描くことも褒めることもできず、隠れようもなく、世界が滅んでも朽ちないと歌う。仕事でも、対立する相手にこそ、相手が本当に欲しいものを差し出すことで局面が変わることがある。

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