格言聯璧 / 悖凶類・何を苦しみて必ず惡を為す
使為惡而父母愛之,兄弟悅之,子孫榮之,宗族鄉黨敬信之,如此而為惡,可也。 為惡則父母怒之,兄弟怨之,子孫羞之,宗族鄉黨賤惡之,何苦而必為惡!
新字:使為悪而父母愛之,兄弟悦之,子孫栄之,宗族郷党敬信之,如此而為悪,可也。 為悪則父母怒之,兄弟怨之,子孫羞之,宗族郷党賤悪之,何苦而必為悪!
書き下し
使し惡を為して父母之を愛し、兄弟之を悅び、子孫之を榮とし、宗族鄉黨之を敬信せば、此の如くにして惡を為すは、可なり。 惡を為せば則ち父母之を怒り、兄弟之を怨み、子孫之を羞ぢ、宗族鄉黨之を賤しみ惡む、何を苦しみて必ず惡を為す。
現代語訳
もし悪を行って、父母が愛し、兄弟が喜び、子孫が誇りとし、一族や郷里の人々が敬い信頼するのなら、そのようなときに悪を行うのもよいでしょう。 ところが悪を行えば、父母は怒り、兄弟は恨み、子孫は恥じ、一族や郷里の人々は卑しみ憎みます。どうして好きこのんでわざわざ悪を行うのでしょうか。
解説
前の単位と鏡合わせになった一則で、今度は悪の側から同じ論法を使っています。もし悪を行って家族や郷里に愛され敬われるのなら悪をしてもよいが、実際には怒られ恨まれ恥じられるのだから、悪を行う理由はないというのです。前の単位の愛・悦・栄・敬信と、怒・怨・羞・賤悪が、そっくり入れ替わっているのが見どころです。仮定をわざと極端に置くことで、読む人に自分で結論を出させる、説得の工夫が凝らされています。必為惡の「必」は、わざわざ、あえての意です。何かに迷ったとき、その行いを家族や子どもが知ったらどう思うかを想像してみるのは、今でも簡単で確かな判断の物差しになります。
この章句が説くこと
善悪家族恥郷党修身
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『格言聯璧』悖凶類・何を苦しみて善を為さざる使し善を為して父母之を怒り、兄弟之を怨み、子孫之を羞ぢ、宗族鄉黨之を賤しみ惡まば、此の如くにして善を為さざるは、可なり。 善を為せば則ち父母之を愛し、兄弟之を悅び、子孫之を榮とし、宗教鄉黨之を敬信す、何を苦しみて善を為さざる。
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云く、善悪と云ふこと定め難し、世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ、麁布糞掃衣をわるしと云ふ、仏法には此れをよしとし、清しとし、金銀錦綾をわるしとし、けがれたりとす、かくの如く、一切のことにわたりて皆然り、予が如きも、聊か韻声をとゝのへ、文字をかきすぐるゝを、俗人等は尋常ならぬことに云もあり、亦有人は出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり、いづれをか定めて善として取り、悪としてすつへきぞ、
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