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初学訓 / 巻之五

一尙書に、善をすれば、天より百の祥を降し、不善をすれば、百の禍を降し給ふといへり。又、善惡のむくい、影の形に隨ひ、響の音に應ずるが如く、必ず其しるし有ることを、聖人說き給ふ。又、天道は善に福し、淫に禍すといへり。天より、善人には福をあたへ、惡人には禍し給ふなり。易にも、積善の家には、必ず餘慶あり、積不善の家には必ず餘殃ありといへり。久しく善をつめる家にはさいはひ多く、久しく惡をつめる家には禍多しといふ意なり。是、天道の常理なることを說き給ふ。是皆、聖人のをしへなれば、いつはり違あるべからず。必ず其しるしあり、疑ふべからず。又古語に、天道は好還といへり。天道は、善人に幸し惡人に禍し給ふ道理にて、善惡ともに、必ず其報を好み給ふを、かへすことを好むといへり。

新字:一尚書に、善をすれば、天より百の祥を降し、不善をすれば、百の禍を降し給ふといへり。又、善悪のむくい、影の形に随ひ、響の音に応ずるが如く、必ず其しるし有ることを、聖人説き給ふ。又、天道は善に福し、淫に禍すといへり。天より、善人には福をあたへ、悪人には禍し給ふなり。易にも、積善の家には、必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃ありといへり。久しく善をつめる家にはさいはひ多く、久しく悪をつめる家には禍多しといふ意なり。是、天道の常理なることを説き給ふ。是皆、聖人のをしへなれば、いつはり違あるべからず。必ず其しるしあり、疑ふべからず。又古語に、天道は好還といへり。天道は、善人に幸し悪人に禍し給ふ道理にて、善悪ともに、必ず其報を好み給ふを、かへすことを好むといへり。

書き下し

一尚書に、善をすれば、天より百の祥を降し、不善をすれば、百の禍を降し給ふといへり。又、善悪のむくい、影の形に随ひ、響の音に応ずるが如く、必ず其しるし有ることを、聖人説き給ふ。又、天道は善に福し、淫に禍すといへり。天より、善人には福をあたへ、悪人には禍し給ふなり。易にも、積善の家には、必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃ありといへり。久しく善をつめる家にはさいはひ多く、久しく悪をつめる家には禍多しといふ意なり。是、天道の常理なることを説き給ふ。是皆、聖人のをしへなれば、いつはり違あるべからず。必ず其しるしあり、疑ふべからず。又古語に、天道は好還といへり。天道は、善人に幸し悪人に禍し給ふ道理にて、善悪ともに、必ず其報を好み給ふを、かへすことを好むといへり。

現代語訳

『尚書』に「善をすれば天から百の吉祥を降し、不善をすれば百の禍を降される」とあります。また、善悪の報いは、影が形に従い、響きが音に応じるように、必ずそのしるしがあることを、聖人は説かれています。また「天道は善に福を与え、淫らな者に禍を与える」とあります。天から、善人には福を与え、悪人には禍を与えられるのです。『易経』にも「善を積む家には必ず余った慶びがあり、不善を積む家には必ず余った禍がある」とあります。長く善を積んだ家には幸いが多く、長く悪を積んだ家には禍が多いという意味です。これは天道の常の理であることを説かれています。これらはみな聖人の教えなので、偽りや違いがあるはずはありません。必ずそのしるしがあり、疑ってはいけません。また古語に「天道は還すことを好む」とあります。天道は、善人に幸いし悪人に禍される道理であって、善悪ともに必ずその報いをされるのを、還すことを好むというのです。

解説

善悪には必ず報いがあることを、『尚書』伊訓篇の「善を作せば之に百祥を降し、不善を作せば之に百殃を降す」、湯誥篇の「天道は善に福し淫に禍す」、『易経』坤卦文言伝の「積善の家には必ず余慶有り」など、古典の言葉を重ねて説きます。影が形に従うように報いは離れないという喩えも『尚書』に見えるものです。すぐに結果が見えなくても、善を積む家には長い時間をかけて幸いが集まる。一代では見えなくとも、家族や組織の文化として受け継がれていくものがあるのです。

この章句が説くこと

善悪報い積善尚書易経

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