無門関 / 第八則 奚仲造車
【無門曰】若也直下明得。眼似流星。機如掣電。【頌曰】機輪轉處 達者猶迷 四維上下 南北東西
新字:【無門曰】若也直下明得。眼似流星。機如掣電。【頌曰】機輪転処 達者猶迷 四維上下 南北東西
書き下し
無門曰く、若也し直下に明らめ得ば、眼は流星に似、機は掣電の如し。頌に曰く、機輪転ずる処、達者も猶お迷う。四維上下、南北東西。
現代語訳
無門は言う。もしこの場ですぐに明らかにできたなら、その眼は流れ星のように速く、その働きは稲妻のように鋭い。頌に言う。心の車輪が回り出すところでは、道に達した者でさえなお迷う。四隅と上下、南北東西、どこへでも自在に回っていく。
解説
月庵和尚が「奚仲は百輻の車を造ったが、両輪を外し軸も抜いたら、何が明らかになるか」と問うた第八則への評唱である。奚仲は中国で車を発明したとされる伝説の人物だ。車を分解していけば、最後に「車」はどこにも無い。部品の寄せ集めに名前を付けたものだという仏教の無我の考えに通じる問いである。無門は理屈を説かず、ただ「すぐに分かれば眼は流星、働きは稲妻」とだけ言う。頌の機輪は心の働きの喩えで、固定した中心を持たずにあらゆる方角へ回る。分析して分かったつもりになると、かえって回る車輪そのものを見失う。組織も、部署や役職をばらしていけば実体は見えなくなる。分解で理解した後に、動いている全体をもう一度つかめるかどうかが問われる。
関連する章句
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『無門関』第八則 奚仲造車月庵和尚、僧に問ふ、「奚仲(けいちゅう)車を造ること一百輻(ぷく)。兩頭を拈却し、軸を去却す。甚麼(なん)の邊事(へんじ)をか明らむ」。
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『無門関』自序仏語は心を宗と為し、無門を法門と為す。既に是れ無門、且く作麼生か透らん。豈に道うことを見ずや、門より入る者は是れ家珍にあらず、縁に従って得る者は始終成壊すと。恁麼の説話、大いに風無きに浪を起こし、好肉に瘡を剜るに似たり。何ぞ況んや言句に滞り、解会を覓むるをや。棒を掉って月を打ち、靴を隔てて痒きを爬く、甚の交渉か有らん。慧開、紹定戊子の夏、東嘉の龍翔に首衆たり。衲子の請益に因って、遂に古人の公案を将て、門を敲く瓦子と作し、機に随って学者を引導す。竟爾として抄録し、覚えず集を成す。初めより前後を以て叙列せず、共に四十八則と成し、通じて無門関と曰う。若し是れ箇の漢ならば、危亡を顧みず単刀直入せん、八臂の那吒も他を攔えて住めず。縦使い西天の四七、東土の二三も、只だ風を望んで命を乞うことを得ん。設し或いは躊躇せば、也た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼を貶き得来たれば、早已に蹉過せん。頌に曰く、大道無門、千差路有り。此の関を透得せば、乾坤に独歩せん。
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『無門関』第二十六則 二僧卷簾清涼の大法眼、僧の齋前に上參するに因る。眼、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去きて簾を卷く。眼曰く、「一得一失」。
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『無門関』第四十七則 兜率三關無門曰く、若し能く此の三転語を下し得ば、便ち以て随処に主と作り、縁に遇うて即ち宗なるべし。其れ或いは未だ然らずんば、麤餐(そさん)は飽き易く、細嚼(さいしゃく)は飢ゑ難し。頌に曰く、一念普く観ず無量劫、無量劫の事即ち如今(じょこん)。如今箇の一念を覷破(しょは)すれば、如今覷る底(てい)の人を覷破す。
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『無門関』第四十八則 乾峰一路無門曰く、一人は深深たる海底に向かって、簸土揚塵(はどようじん)を行じ、一人は高高たる山頂に於いて、白浪滔天(はくろうとうてん)を立す。把定(はじょう)放行(ほうぎょう)、各々一隻手を出して宗乗を扶豎(ふじゅ)す。大いに両箇の馳子(ちし)の相撞著(どうじゃく)するに似たり。世上、応(まさ)に直底(じきてい)の人無かるべし。正眼に観来たれば、二大老、総に未だ路頭を識らざる在り。頌に曰く、未だ歩を挙げざる時、先に已に到る。未だ舌を動ぜざる時、先に説き了る。直饒(たとい)著著(ちゃくちゃく)機先に在るも、更に須らく向上の竅(きょう)有ることを知るべし。
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『無門関』第三十八則 牛過窗櫺無門曰く、若し者裏(しゃり)に向かって顛倒(てんどう)して一隻眼を著け得、一転語を下し得ば、以て上(かみ)四恩に報じ、下(しも)三有(さんう)を資(たす)くべし。其れ或いは未だ然らずんば、更に須らく尾巴(びは)を照顧して始めて得べし。頌に曰く、過ぎ去れば坑塹(こうざん)に堕ち、回り来たれば卻(かえ)って壊(やぶ)らる。者些(しゃさ)の尾巴子、直に是れ甚だ奇怪なり。
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