無門関 / 第八則 奚仲造車
月庵和尚。問僧。奚仲造車一百輻。拈卻兩頭。去卻軸。明甚麼邊事。
新字:月庵和尚。問僧。奚仲造車一百輻。拈却両頭。去却軸。明甚麼辺事。
書き下し
月庵和尚、僧に問ふ、「奚仲(けいちゅう)車を造ること一百輻(ぷく)。兩頭を拈却し、軸を去却す。甚麼(なん)の邊事(へんじ)をか明らむ」。
現代語訳
月庵和尚が僧に問うた。「奚仲は百輻の車を造った。その両輪を取り去り、軸も外してしまう。さて、これは何を明らかにしているのか」。
解説
車から輪と軸を外せば、それはもう車ではない。機能を成り立たせている当のものを取り払ったとき、何が残るのかという問いである。無門は「若しも直下に明らめ得ば、眼は流星に似て、機は掣電の如し」と言う。頌は「機輪の轉ずる處、達者も猶ほ迷ふ」。仕組みが回っているあいだ、仕組みを設計した本人ですら、何がそれを回しているのかを見失う。事業でいえば、売上を生んでいる本当の軸は何か。組織図や制度を全部外したとき、残るものが本体である。
この章句が説くこと
奚仲の車軸を外す仕組みの本体機輪転ずる処
関連する章句
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『無門関』第八則 奚仲造車無門曰く、若也し直下に明らめ得ば、眼は流星に似、機は掣電の如し。頌に曰く、機輪転ずる処、達者も猶お迷う。四維上下、南北東西。
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