史記 / 六国年表
獨有秦記,又不載日月,其文略不具。然戰國之權變亦有可頗采者,何必上古。秦取天下多暴,然世異變,成功大。傳曰「法後王」,何也?以其近己而俗變相類,議卑而易行也。學者牽於所聞,見秦在帝位日淺,不察其終始,因舉而笑之,不敢道,此與以耳食無異。悲夫!余於是因秦記,踵春秋之後,起周元王,表六國時事,訖二世,凡二百七十年,著諸所聞興壞之端。後有君子,以覽觀焉。
新字:独有秦記,又不載日月,其文略不具。然戦国之権変亦有可頗采者,何必上古。秦取天下多暴,然世異変,成功大。伝曰「法後王」,何也?以其近己而俗変相類,議卑而易行也。学者牽於所聞,見秦在帝位日浅,不察其終始,因舉而笑之,不敢道,此与以耳食無異。悲夫!余於是因秦記,踵春秋之後,起周元王,表六国時事,訖二世,凡二百七十年,著諸所聞興壊之端。後有君子,以覧観焉。
書き下し
独り秦記有り、又日月を載せず、其の文略にして具はらず。然れども戦国の権変も亦頗る采るべき者有り、何ぞ必ずしも上古ならん。秦の天下を取ること暴多し、然れども世異なりて変じ、功を成すこと大なり。伝に曰く「後王に法れ」と、何ぞや。其の己に近くして俗の変ずること相類し、議卑くして行ひ易きを以てなり。学者は聞く所に牽かれ、秦の帝位に在ること日浅きを見て、其の終始を察せず、因りて挙げて之を笑ひ、敢へて道はず、此れ耳を以て食らふと異なる無し。悲しいかな。余是に於いて秦記に因り、春秋の後を踵ぎ、周の元王より起こし、六国の時事を表し、二世に訖る、凡そ二百七十年、聞く所の興壊の端を著す。後に君子有らば、以て覧観せよ。
現代語訳
残ったのは『秦記』だけで、しかも日付や月を記しておらず、文は簡略で詳しくない。それでも戦国時代の臨機応変の策略には、大いに採るべきものがある。どうして必ずしも上古だけを手本にする必要があろうか。秦が天下を取るやり方には暴虐が多かった。しかし時代が変われば事態も変わり、その成し遂げた功績は大きい。伝に「後の王に法れ」とあるのはなぜか。それは時代が自分に近く、風俗の移り変わりも似ていて、議論が身近で実行しやすいからである。学者は聞き伝えに縛られ、秦が帝位にあった期間が短いのを見て、その始めから終わりまでを考察せず、みなで笑いものにして、あえて論じようとしない。これは耳で食べ物を味わうのと変わらない。悲しいことだ。そこでわたしは『秦記』にもとづき、『春秋』の後を継いで、周の元王から始め、六国の時事を表にし、秦の二世皇帝までの、およそ二百七十年について、聞き及んだ興亡の端緒を記した。後に君子があれば、これを見てほしい。
解説
関連する章句
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史記 六国年表太史公、秦記を読み、犬戎の幽王を敗り、周東のかた洛邑に徙り、秦の襄公始めて封ぜられて諸侯と為り、西畤を作りて上帝に用事するに至りて、僭の端見はる。礼に曰く、「天子は天地を祭り、諸侯は其の域内の名山大川を祭る」と。今秦は戎翟の俗を雑へ、暴戾を先にし、仁義を後にし、位は藩臣に在りて郊祀を臚ぶ、君子懼る。文公の隴を踰え、夷狄を攘ひ、陳宝を尊び、岐雍の間を営むに及び、而して穆公政を修め、東のかた竟に河に至れば、則ち斉桓・晋文の中国の侯伯と侔し。是の後陪臣政を執り、大夫世々禄し、六卿晋の権を擅にし、征伐会盟、威は諸侯より重し。田常の簡公を殺して斉国に相たるに及び、諸侯晏然として討たず、海内戦功を争ふ。三国之を終へて卒に晋を分かち、田和も亦斉を滅ぼして之を有し、六国の盛んなること此より始まる。務めは彊兵并敵に在り、謀詐用ひられて従衡短長の説起こる。矯称蜂出し、誓盟信ならず、質を置き符を剖くと雖も猶約束する能はざるなり。秦は始め小国にして僻遠、諸夏之を賓とし、戎翟に比す。献公の後に至りて常に諸侯に雄たり。秦の徳義を論ずれば魯衛の暴戾なる者に如かず、秦の兵を量れば三晋の彊きに如かず、然れども卒に天下を并す。必ずしも険固便形勢の利あるに非ず、蓋し天の助くる所の若し。或ひと曰く「東方は物の始めて生ずる所、西方は物の成熟す」と。夫れ事を作す者は必ず東南に於いてし、功実を収むる者は常に西北に於いてす。故に禹は西羌に興り、湯は亳に起こり、周の王たるや豊鎬を以て殷を伐ち、秦の帝たるは雍州を用て興り、漢の興るは蜀漢よりす。秦既に意を得て、天下の詩書を焼き、諸侯の史記尤も甚だし、其の刺譏する所有るが為なり。詩書の復た見はるる所以の者は、多く人家に蔵すればなり。而して史記は独り周室に蔵す、故を以て滅ぶ。惜しいかな、惜しいかな。
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史記 秦楚之際月表太史公、秦楚の際を読みて曰く、初めて難を作すは陳渉に発し、虐戾にして秦を滅ぼすは項氏よりし、乱を撥め暴を誅し、海内を平定し、卒に帝祚を践むは漢家に成る。五年の間に、号令三たび嬗る。生民より以来、未だ始めより命を受くること斯くの若く亟やかなる有らざるなり。昔虞・夏の興るや、善を積み功を累ぬること数十年、徳百姓に洽く、政事を摂行し、之を天に考へ、然る後に位に在り。湯・武の王たるは、乃ち契・后稷より仁を修め義を行ふこと十余世に由り、期せずして孟津に会する八百の諸侯あるも、猶以て未だ可ならずと為し、其の後乃ち放弒す。秦は襄公より起こり、文・繆に章はれ、献・孝の後、稍く以て六国を蚕食し、百有余載にして、始皇に至りて乃ち能く冠帯の倫を并す。徳を以てすること彼の若く、力を用ふること此の如し、蓋し一統は斯くの若く難きなり。秦既に帝を称し、兵革の休まざるは、諸侯有るを以てなりと患ひ、是に於いて尺土の封も無く、名城を堕壊し、鋒鏑を銷し、豪桀を鉏き、万世の安きを維がんとす。然れども王跡の興るは、閭巷より起こり、合従して討伐し、三代に軼ぐ。郷の秦の禁は、適々以て賢者の為に駆除の難を資くるに足るのみ。故に憤発して其の天下の雄と為る所、安んぞ土無くして王たらざるに在らんや。此れ乃ち伝の所謂大聖か。豈に天に非ずや、豈に天に非ずや。大聖に非ずんば孰か能く此に当たりて命を受けて帝たらんや。
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史記 太史公自序漢興りて五世、隆んなること建元に在り。外は夷狄を攘ひ、内は法度を修め、封禅し、正朔を改め、服色を易ふ。今上本紀第十二を作る。維れ三代は尚し。年紀考ふ可からず。蓋し之を譜牒の旧聞に取り、茲に本づき、是に於いて略々推す。三代世表第一を作る。幽・厲の後、周室衰微し、諸侯政を専らにし、春秋紀さざる所有り。而して譜牒経略し、五覇更々盛衰す。周の世の相先後するの意を睹んと欲し、十二諸侯年表第二を作る。春秋の後、陪臣政を秉り、彊国相王たり。以て秦に至り、卒に諸夏を并せ、封地を滅ぼし、其の号を擅にす。六国年表第三を作る。秦既に暴虐にして、楚人難を発し、項氏遂に乱し、漢乃ち義を扶けて征伐す。八年の間、天下三たび嬗(うつ)り、事繁く変衆し。故に詳らかに秦楚之際月表第四を著す。漢興りてより已来、太初に至るまで百年、諸侯の廃立分削、譜紀明らかならず、有司踵ぐ靡し。彊弱の原は世を以てすと云ふ。漢興已来諸侯年表第五を作る。維れ高祖の元功、輔臣股肱、符を剖きて爵し、沢は苗裔に流る。其の昭穆を忘れ、或いは身を殺し国を隕す。高祖功臣侯者年表第六を作る。恵・景の間、維れ功臣宗属の爵邑を申ぶ。恵景間侯者年表第七を作る。北は彊胡を討ち、南は勁越を誅し、夷蛮を征伐し、武功爰に列す。建元以来侯者年表第八を作る。諸侯既に彊く、七国従を為す。子弟衆多にして、爵封邑無し。恩を推し義を行ひ、其の埶銷弱し、徳は京師に帰す。王子侯者年表第九を作る。国に賢相良将有るは、民の師表なり。維れ漢興以来の将相名臣の年表を見るに、賢者は其の治を記し、不賢者は其の事を彰す。漢興以来将相名臣年表第十を作る。
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史記 十二諸侯年表呂不韋なる者は、秦の荘襄王の相なり。亦上は尚古を観、春秋を刪拾し、六国の時事を集め、以て八覧・六論・十二紀を為り、呂氏春秋と為す。荀卿・孟子・公孫固・韓非の徒の如きに及びては、各々往往にして春秋の文を捃摭して以て書を著す、勝げて紀すべからず。漢の相張蒼は五徳を歴譜し、上大夫董仲舒は春秋の義を推し、頗る文を著す。太史公曰く、儒者は其の義を断じ、馳説者は其の辞を騁せ、其の終始を綜ぶることを務めず。歴人は其の年月を取り、数家は神運を隆び、譜諜は独り世謚を記し、其の辞略にして、一たび諸要を観んと欲するも難し。是に於いて十二諸侯を譜し、共和より孔子に訖るまで、春秋・国語の学者の譏る所の盛衰の大指を表見して篇に著し、成学の古文を治むる者の為に要刪す。
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史記 秦始皇本紀秦海内を并せ、諸侯を兼ね、南面して帝と称し、以て四海を養ふ。天下の士斐然として風に郷ふ。是の若きは何ぞや。曰く、近古の王無きこと久し。周室卑微にして、五霸既に歿し、令天下に行はれず。是を以て諸侯力政し、彊は弱を侵し、衆は寡を暴し、兵革休まず、士民罷敝す。今秦南面して天下に王たり、是れ上に天子有るなり。既に元元の民其の性命を安んずるを得んことを冀ひ、心を虚しくして上を仰がざる莫し。此の時に当たり、威を守り功を定むるは、安危の本此に在り。秦王貪鄙の心を懐き、自奮の智を行ひ、功臣を信ぜず、士民に親しまず、王道を廃し、私権を立て、文書を禁じて刑法を酷にし、詐力を先にして仁義を後にし、暴虐を以て天下の始めと為す。夫れ并兼する者は詐力を高び、安定する者は順権を貴ぶ。此れ取ると守ると術を同じくせざるを言ふなり。秦戦国を離れて天下に王たるも、其の道易へず、其の政改めず。是れ其の之を取る所以と之を守る所以と異なる無きなり。孤独にして之を有つ、故に其の亡ぶこと立ちて待つ可し。借使秦王上世の事を計り、殷周の跡を并せ、以て其の政を制御せば、後に淫驕の主有りと雖も、未だ傾危の患ひ有らざるなり。故に三王の天下を建つるや、名号顕美にして、功業長久なり。今秦の二世立つや、天下領を引きて其の政を観ざる莫し。夫れ寒ゆる者は裋褐を利とし、饑うる者は糟糠を甘しとす。天下の嗷嗷たるは、新主の資なり。此れ労民の仁を為し易きを言ふなり。
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史記 秦始皇本紀故に周は五序其の道を得て、千余歳絶えず。秦は本末并びに失ふ、故に長久ならず。此に由りて之を観れば、安危の統相去ること遠し。野諺に曰く「前事の忘れざるは、後事の師なり」と。是を以て君子の国を為むるや、之を上古に観、之を当世に験し、参ふるに人事を以てし、盛衰の理を察し、権勢の宜しきを審らかにし、去就序有り、変化時有り。故に日を曠しくすること長久にして社稷安し。秦の孝公殽函の固めに拠り、雍州の地を擁し、君臣固く守りて周室を窺ふ。天下を席巻し、宇内を包挙し、四海を囊括するの意、八荒を并呑するの心有り。是の時に当たり、商君之を佐け、内は法度を立て、耕織を務め、守戦の備へを修め、外は連衡して諸侯を闘はしむ。是に於て秦人手を拱きて西河の外を取る。孝公既に没し、恵王・武王故業を蒙り、遺冊に因り、南のかた漢中を兼ね、西のかた巴・蜀を挙げ、東のかた膏腴の地を割き、要害の郡を収む。諸侯恐懼し、会盟して秦を弱めんことを謀り、珍器重宝肥美の地を愛まず、以て天下の士を致し、合従して交はりを締び、相与に一と為る。是の時に当たり、斉に孟嘗有り、趙に平原有り、楚に春申有り、魏に信陵有り。此の四君は、皆明知にして忠信、寛厚にして人を愛し、賢を尊び士を重んじ、従を約し衡を離し、韓・魏・燕・楚・斉・趙・宋・衛・中山の衆を并す。是に於て六国の士に寧越・徐尚・蘇秦・杜赫の属之が為に謀る有り、斉明・周最・陳軫・昭滑・楼緩・翟景・蘇厲・楽毅の徒其の意を通じ、呉起・孫臏・帯佗・兒良・王廖・田忌・廉頗・趙奢の朋其の兵を制す。常に十倍の地、百万の衆を以て、関を叩きて秦を攻む。秦人関を開きて敵を延く。九国の師逡巡遁逃して敢へて進まず。
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