無門関 / 第二則 百丈野狐
【無門曰】不落因果。為甚墮野狐。不昧因果。為甚脫野狐。若向者裏著得一隻眼。便知得。前百丈贏得。風流五百生。【頌曰】不落不昧 兩采一賽 不昧不落 千錯萬錯
新字:【無門曰】不落因果。為甚堕野狐。不昧因果。為甚脱野狐。若向者裏著得一隻眼。便知得。前百丈贏得。風流五百生。【頌曰】不落不昧 両采一賽 不昧不落 千錯万錯
書き下し
無門曰く、不落因果、甚としてか野狐に堕す。不昧因果、甚としてか野狐を脱す。若し者裏に向かって一隻眼を著け得ば、便ち前百丈、風流五百生を贏ち得たることを知り得ん。頌に曰く、不落と不昧と、両采一賽。不昧と不落と、千錯万錯。
現代語訳
無門は言う。「因果に落ちない」と答えて、なぜ野狐に堕ちたのか。「因果をくらまさない」と答えて、なぜ野狐を脱したのか。もしここに一つの眼を開くことができれば、前の百丈(野狐になった昔の住職)が、なんとも風流な五百生を勝ち取っていたことが分かるだろう。頌に言う。「落ちない」と「くらまさない」、二つの賽の目は同じ一振りから出たものだ。「くらまさない」と「落ちない」、どちらにしても千の誤り、万の誤りだ。
解説
百丈懐海のもとに現れた老人が、「修行を極めた人も因果に落ちるか」という問いに「落ちない」と答えて五百生の野狐になり、百丈の「因果をくらまさない」の一言で救われたという話への評唱である。普通なら「不落」は誤り、「不昧」は正解と読みたくなる。ところが無門は、野狐の五百生は罰どころか「風流」な暮らしだったと言い、頌では両者を同じ賽の目、どちらも千錯万錯と切り捨てる。正解と不正解を分けた途端に、また新しい野狐の穴に落ちるという皮肉である。組織でも、失敗の原因を一言の誤答に帰して正解を暗記させるだけでは、同じ構造の失敗が形を変えて繰り返される。言葉の正誤ではなく、因果を見つめる眼そのものが問われている。
関連する章句
-
『無門関』第二則 百丈野狐百丈和尚、凡(およ)そ參ずる次(ついで)、一老人有り、常に眾に隨ひて法を聽く。眾人退けば老人も亦た退く。忽ち一日退かず。師遂に問ふ、「面前に立つ者は復た是れ何人ぞ」。老人云く、「諾。某甲(それがし)は人に非ざるなり。過去迦葉佛の時に於て、曾て此の山に住す。學人問ふに因る、『大修行底(だいしゅぎょうてい)の人、還って因果に落つるや也(ま)た無しや』と。某甲對へて云く、『因果に落ちず』と。五百生野狐の身に墮す。今和尚に請ふ、一轉語に代はりて、野狐を脫せんことを」。遂に問ふ、「大修行底の人、還って因果に落つるや也た無しや」。師云く、「因果を昧(くら)まさず」。老人言下に大悟し、禮を作(な)して云く、「某甲已に野狐の身を脫し、山後に住在す。敢へて和尚に告ぐ、亡僧の事例に依らんことを乞ふ」。師、維那(いの)をして白槌(びゃくつい)して眾に告げしむ、「食後に亡僧を送らん」。大眾言議す、「一眾皆な安く、涅槃堂に又た人の病む無し。何が故に是(かく)の如き」。食後、只だ見る、師眾を領して山後の巖下に至り、杖を以て一死野狐を挑(かか)げ出し、乃ち火葬に依るを。師晚に至りて上堂し、前の因緣を舉す。黃蘗便ち問ふ、「古人一轉語を錯り祇對(しつい)して、五百生野狐の身に墮す。轉轉錯らずんば、合(まさ)に箇の甚麼(なに)とか作るべき」。師云く、「近前(きんぜん)し來れ、伊(かれ)が與(ため)に道(い)はん」。黃蘗遂に近前して、師に一掌を與ふ。師手を拍ちて笑ひて云く、「將(まさ)に謂へり、胡の鬚赤しと。更に赤鬚の胡有り」。
-
『無門関』第二十六則 二僧卷簾清涼の大法眼、僧の齋前に上參するに因る。眼、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去きて簾を卷く。眼曰く、「一得一失」。
-
『無門関』第二十六則 二僧卷簾無門曰く、且く道え、是れ誰か得、誰か失す。若し者裏に向かって一隻眼を著け得ば、便ち清涼国師の敗闕の処を知らん。是の如くなりと雖然も、切に忌む得失裏に向かって商量することを。頌に曰く、巻起すれば明明として太空に徹す、太空も猶お未だ吾が宗に合わず。争でか似かん空より都て放下して、綿綿密密風を通ぜざらんには。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一或時奘問て云く、如何是不味因果底道理、師云く、不動因果なり、云く、なんとしてか脫落せん、師云く、因果歴然なり、云くかくの如くならば因、果を引起すや、果、因を引起すや、師云く、総てかくの如くならばかの南泉の猫児を斬るがごとき、大衆既に道ひ得ず、便ち猫児を斬却しおはりぬ、後に趙州頭に草鞋を戴きて出たりし、亦一段の儀式なり、
-
『無門関』第五則 香嚴上樹無門曰く、縦い懸河の弁有るも、総に用い著かず。一大蔵教を説き得るも、亦た用い著かず。若し者裏に向かって対し得著せば、従前の死路頭を活却し、従前の活路頭を死却せん。其れ或いは未だ然らずんば、直に当来を待って弥勒に問え。頌に曰く、香厳は真に杜撰、悪毒尽限無し。衲僧の口を啞却して、通身に鬼眼を迸らしむ。
-
『無門関』第十六則 鐘聲七條無門曰く、大凡参禅学道は、切に忌む声に随い色を逐うことを。縦使い声を聞いて道を悟り、色を見て心を明らむるも、也た是れ尋常なり。殊に知らず、衲僧家は声に騎り色を蓋い、頭頭上に明らかに、著著上に妙なることを。然も是の如くなりと雖も、且く道え、声の耳畔に来たるか、耳の声辺に往くか。直饒い響寂双び忘ずるも、此に到って如何か話会せん。若し耳を将て聴かば応に会し難かるべし、眼処に声を聞いて方に始めて親し。頌に曰く、会すれば則ち事同一家、会せざれば万別千差。会せざれば事同一家、会すれば則ち万別千差。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る