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夢中問答集 / 『夢中問答集』世情があっても工夫を捨てない

問世情の上にうかべる喜怒憎愛のやまぬ程は、ひとへに此の念を對治することを心にかけて、かやうの凡情皆やみて後に、始めて本分の工夫をばなすべきやらん。 答たま〱人界の生をうけて、あひがたき佛法にあひながら、今生にこれを明らめずば何れの生をか待つべきや。人の命は出入の息をたのみがたし。暫時なりとも世事に心をうつさんやと、かやうに志をはげます人は世情にひかれて工夫をわするゝことあるべからず。たとひ境界にあふ時、世情の起る事あれども、其の憎愛の念の起る所について猛烈に工夫をなす故に、憎愛の念もなか〱修行の力となるべし。しかれども道心の深切ならぬ故に、順逆の緣に轉せられて一向に工夫をわするゝ人のために、先づ淺近の道理にて世情をやはらぐることをすゝむるなり。さればとて先づ此世情をつくしはてて、然うして後に始めて本分の修行をなすべしとにはあらず。羅漢果を證せる人は順逆の緣にあふても、憎愛の念は起らずといへども、これを得法の人とは名けず。薄地の凡夫より悟入する人は喜怒の情はいまだつきざれども、これをば得法の人と名けたり。されば先づ世情をつくして後に、悟るべしとは申すべからず。妄情の起る時、これをやはらぐる道理を思ひ出したる處にも、本分の工夫をば捨つべからず。道心親切なる人は寢事をもわすれ、食することをもわするといへり。かやうの人は時々は困ずることもあり。飢たることもあれども、工夫の中にやすみ、工夫の中に食する故に、寢食の時もさまたげなし。それまでの道心はなき人の飢をしのび、睡りをたへぬれば、身もつかれ病も起りて、なか〱道行の障となる故に、飢をやめんために物を食し、身をやすめんために枕をせよとすゝむれども、寢食の時はしばらく工夫をなすことなかれとにはあらず。古人の云く、行の時は行の處を看取せよ。坐の時は坐の處を看取せよ。臥の時は臥の所を看取せよ。見聞の時は見聞の處を看取せよ。覺知の時は覺知の處を看取せよ。喜の時は喜の所を看取せよ。瞋の時は瞋の所を看取せよと云云。此は是れ古人苦口叮嚀の垂誡なり。かやうに修行せば悟らずといふ事なけん。

新字:問世情の上にうかべる喜怒憎愛のやまぬ程は、ひとへに此の念を対治することを心にかけて、かやうの凡情皆やみて後に、始めて本分の工夫をばなすべきやらん。 答たま〱人界の生をうけて、あひがたき仏法にあひながら、今生にこれを明らめずば何れの生をか待つべきや。人の命は出入の息をたのみがたし。暫時なりとも世事に心をうつさんやと、かやうに志をはげます人は世情にひかれて工夫をわするゝことあるべからず。たとひ境界にあふ時、世情の起る事あれども、其の憎愛の念の起る所について猛烈に工夫をなす故に、憎愛の念もなか〱修行の力となるべし。しかれども道心の深切ならぬ故に、順逆の縁に転せられて一向に工夫をわするゝ人のために、先づ浅近の道理にて世情をやはらぐることをすゝむるなり。さればとて先づ此世情をつくしはてて、然うして後に始めて本分の修行をなすべしとにはあらず。羅漢果を証せる人は順逆の縁にあふても、憎愛の念は起らずといへども、これを得法の人とは名けず。薄地の凡夫より悟入する人は喜怒の情はいまだつきざれども、これをば得法の人と名けたり。されば先づ世情をつくして後に、悟るべしとは申すべからず。妄情の起る時、これをやはらぐる道理を思ひ出したる処にも、本分の工夫をば捨つべからず。道心親切なる人は寝事をもわすれ、食することをもわするといへり。かやうの人は時々は困ずることもあり。飢たることもあれども、工夫の中にやすみ、工夫の中に食する故に、寝食の時もさまたげなし。それまでの道心はなき人の飢をしのび、睡りをたへぬれば、身もつかれ病も起りて、なか〱道行の障となる故に、飢をやめんために物を食し、身をやすめんために枕をせよとすゝむれども、寝食の時はしばらく工夫をなすことなかれとにはあらず。古人の云く、行の時は行の処を看取せよ。坐の時は坐の処を看取せよ。臥の時は臥の所を看取せよ。見聞の時は見聞の処を看取せよ。覚知の時は覚知の処を看取せよ。喜の時は喜の所を看取せよ。瞋の時は瞋の所を看取せよと云云。此は是れ古人苦口叮嚀の垂誡なり。かやうに修行せば悟らずといふ事なけん。

書き下し

問世情の上にうかべる喜怒憎愛のやまぬ程は、ひとへに此の念を對治することを心にかけて、かやうの凡情皆やみて後に、始めて本分の工夫をばなすべきやらん。 答たま〱人界の生をうけて、あひがたき佛法にあひながら、今生にこれを明らめずば何れの生をか待つべきや。人の命は出入の息をたのみがたし。暫時なりとも世事に心をうつさんやと、かやうに志をはげます人は世情にひかれて工夫をわするゝことあるべからず。たとひ境界にあふ時、世情の起る事あれども、其の憎愛の念の起る所について猛烈に工夫をなす故に、憎愛の念もなか〱修行の力となるべし。しかれども道心の深切ならぬ故に、順逆の緣に轉せられて一向に工夫をわするゝ人のために、先づ淺近の道理にて世情をやはらぐることをすゝむるなり。さればとて先づ此世情をつくしはてて、然うして後に始めて本分の修行をなすべしとにはあらず。羅漢果を證せる人は順逆の緣にあふても、憎愛の念は起らずといへども、これを得法の人とは名けず。薄地の凡夫より悟入する人は喜怒の情はいまだつきざれども、これをば得法の人と名けたり。されば先づ世情をつくして後に、悟るべしとは申すべからず。妄情の起る時、これをやはらぐる道理を思ひ出したる處にも、本分の工夫をば捨つべからず。道心親切なる人は寢事をもわすれ、食することをもわするといへり。かやうの人は時々は困ずることもあり。飢たることもあれども、工夫の中にやすみ、工夫の中に食する故に、寢食の時もさまたげなし。それまでの道心はなき人の飢をしのび、睡りをたへぬれば、身もつかれ病も起りて、なか〱道行の障となる故に、飢をやめんために物を食し、身をやすめんために枕をせよとすゝむれども、寢食の時はしばらく工夫をなすことなかれとにはあらず。古人の云く、行の時は行の處を看取せよ。坐の時は坐の處を看取せよ。臥の時は臥の所を看取せよ。見聞の時は見聞の處を看取せよ。覺知の時は覺知の處を看取せよ。喜の時は喜の所を看取せよ。瞋の時は瞋の所を看取せよと云云。此は是れ古人苦口叮嚀の垂誡なり。かやうに修行せば悟らずといふ事なけん。

現代語訳

問:世情の上に浮かぶ喜怒憎愛がやまないあいだは、ひとえにこの念を対治することを心にかけ、そうした凡情がすべてやんだ後に、初めて本分の工夫をすべきなのか。 答:せっかく人間界に生を受け、めったに会えない仏法に会いながら、今生でこれを明らめなければ、いつの世を待つというのか。人の命は出入りの息さえあてにならない。わずかの間でも世事に心を移してよいものか。そのように志を励ます人は、世情に引かれて工夫を忘れることはない。たとえ境界に会うときに世情が起こることがあっても、その憎愛の念が起こる所について猛烈に工夫をするので、憎愛の念もかえって修行の力となるだろう。しかし道心が切実でないために、順境・逆境の縁に転ぜられて、まったく工夫を忘れてしまう人のために、まず浅近の道理で世情を和らげることを勧めるのである。だからといって、まずこの世情を尽くし終えて、その後に初めて本分の修行をせよというのではない。羅漢果を証した人は、順境・逆境の縁に会っても憎愛の念は起こらないというが、これを法を得た人とは呼ばない。薄地の凡夫から悟り入る人は、喜怒の情がまだ尽きないが、これを法を得た人と呼ぶ。だから、まず世情を尽くして後に悟れ、と言ってはならない。妄情が起こったとき、それを和らげる道理を思い出したところでも、本分の工夫を捨ててはならない。道心の切実な人は、寝ることも忘れ、食べることも忘れるという。このような人は、ときには疲れることもあり、飢えることもあるが、工夫の中で休み、工夫の中で食べるので、寝るときも食べるときも妨げにならない。そこまでの道心がない人が、飢えをこらえ眠りに耐えれば、身も疲れ病も起こって、かえって修行の障りとなるので、飢えをやめるために物を食べ、身を休めるために枕をせよと勧めるのだが、寝食のときはしばらく工夫をするな、というのではない。古人は言う。歩くときは歩く所を見て取れ。坐るときは坐る所を見て取れ。臥すときは臥す所を見て取れ。見聞きするときは見聞きする所を見て取れ。覚知するときは覚知する所を見て取れ。喜ぶときは喜ぶ所を見て取れ。怒るときは怒る所を見て取れ、と。これは古人が苦しい口ぶりで丁寧に与えた戒めである。このように修行すれば、悟らないということはないだろう。

解説

怒りや愛憎が静まってから本格的に修行すべきか、それとも今すぐか。夢窓は、感情が尽きるのを待つ必要はないと答えます。羅漢のように感情の動かない人より、凡夫のまま悟り入る人のほうが法を得た人だとされる点が、この問答の肝です。感情が起こった、そのところに猛烈に工夫すれば、憎愛も修行の力に変わります。歩くときは歩く所を、怒るときは怒る所を見て取れという古人の言葉は、日常の動作の最中に気づきを置く教えです。仕事でも、気持ちが整うまで取り組みを先送りせず、乱れた気持ちごと現場で向き合う姿勢に通じます。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

世情憎愛対治工夫看取道心

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