夢中問答集 / 『夢中問答集』順境も逆境も輪廻のもと(一)
問若人上根にして直に本分を悟りなば、境界とて障をなす物あるべからず。たとひ直にさとることはなくとも、道心堅固ならば境界にさへらるゝことなかるべし。しかれ共、下根の人は道心も堅固ならぬ故にたま〱佛法を信ずれども、名利の心もたへず。逆順の境も相侵す故に坐禪工夫純一ならず。かやうの人をすゝめて、先づ世情をやはらぐる方便はあるまじきやらん。 答境界に二種あり順と逆となり、我が心にかなへることをば順境界となづく。我が心にそむけることをば逆境界といへり。逆境界をばこれを憎み、順境界をばこれを愛す。愛によりて生をひき、憎みによりて死をうく。然らば卽ち順逆の境界は、倶に是れ生死輪廻の因緣なり。愚人はこれをしらず。我が心にあはざることをば厭ひ捨て、我が心にかなへる事のみをねがひ求む娑婆と、いへるは梵語なり。此には缺減と翻せり。此の世界に生ずる人は皆宿善うすき故に何事も心にかなふて滿足することあるまじき謂れなり。しかるを此の娑婆界にありながら、心にかなふ事を求むるは火の中に入れて涼しきことを求むるがごとし。何事も心にかなふ事を得んと思はゞ、速に娑婆を出離する計事をめぐらすべし。此の缺減せかいの中にして、心にかなふことを求むるほどに、朝夕に身心を苦勞して、つひには當來の惡果を感ず。古歌に云く、うかれたゞありはつまじき世の中に、心のとまる人もこそあれ。若し人此の理をしるならば此せかいに生れて、何事も心に叶はざるは諸人のために出離をすゝむる善知識なり。若し人心にかなふことを愛せずば、心にそむく事もあるべからず。然らば卽ち我をなやます者は外境にあらず。偏に是れ自心のとがなり。予昔田舍の小院に住せし時、共住みの僧の中に鬪諍をこのむ人ありき。有る時、此の僧來りて懺悔して云く、我にかゝる癖あり。如何か對治すべきや。予が云く、鬪諍をよくするやうをしりぬれば鬪諍の心はおこらぬなり。鬪諍をよくするやうを敎へ奉らん世間に兵さをよくする人は、先づ其敵の大將軍に目をかけて葉武者をばかへりみず、大將軍をだに打取りぬれば、葉武者は自然にほろぶる故なり。御邊の心にそむける敵人の中に、何れか其の大將軍なると目をかけて見らるべし。たとひ他人に罵られ打たれたりとも、それによりて地獄におつる事はあるべからず。かゝる惡緣にあふて起るところの一念の瞋恚は倶胝劫の善根を燒き失ふて、つひには我を地獄に墮すべし。しかれば我を損害する大將軍は他人にあらず。只是れ自心なり。鬪諍の心おこらん時、先づ此の心に目をかけて打取るべし。此の僧これを聞て落淚して出ぬ。其の後はひきかへて柔和の僧になりたりき。其の比かの小院いまだ溫室をつくらず。近隣に敎院のあるに往いて湯をばあびき。其の湯屋の搔器は竹の筒の五寸ばかりなる中に節をこめて、兩方にて湯をくむやうにつくれり。湯を多くくませじとの計ごとなり。
新字:問若人上根にして直に本分を悟りなば、境界とて障をなす物あるべからず。たとひ直にさとることはなくとも、道心堅固ならば境界にさへらるゝことなかるべし。しかれ共、下根の人は道心も堅固ならぬ故にたま〱仏法を信ずれども、名利の心もたへず。逆順の境も相侵す故に坐禅工夫純一ならず。かやうの人をすゝめて、先づ世情をやはらぐる方便はあるまじきやらん。 答境界に二種あり順と逆となり、我が心にかなへることをば順境界となづく。我が心にそむけることをば逆境界といへり。逆境界をばこれを憎み、順境界をばこれを愛す。愛によりて生をひき、憎みによりて死をうく。然らば即ち順逆の境界は、倶に是れ生死輪廻の因縁なり。愚人はこれをしらず。我が心にあはざることをば厭ひ捨て、我が心にかなへる事のみをねがひ求む娑婆と、いへるは梵語なり。此には欠減と翻せり。此の世界に生ずる人は皆宿善うすき故に何事も心にかなふて満足することあるまじき謂れなり。しかるを此の娑婆界にありながら、心にかなふ事を求むるは火の中に入れて涼しきことを求むるがごとし。何事も心にかなふ事を得んと思はゞ、速に娑婆を出離する計事をめぐらすべし。此の欠減せかいの中にして、心にかなふことを求むるほどに、朝夕に身心を苦労して、つひには当来の悪果を感ず。古歌に云く、うかれたゞありはつまじき世の中に、心のとまる人もこそあれ。若し人此の理をしるならば此せかいに生れて、何事も心に叶はざるは諸人のために出離をすゝむる善知識なり。若し人心にかなふことを愛せずば、心にそむく事もあるべからず。然らば即ち我をなやます者は外境にあらず。偏に是れ自心のとがなり。予昔田舎の小院に住せし時、共住みの僧の中に闘諍をこのむ人ありき。有る時、此の僧来りて懺悔して云く、我にかゝる癖あり。如何か対治すべきや。予が云く、闘諍をよくするやうをしりぬれば闘諍の心はおこらぬなり。闘諍をよくするやうを教へ奉らん世間に兵さをよくする人は、先づ其敵の大将軍に目をかけて葉武者をばかへりみず、大将軍をだに打取りぬれば、葉武者は自然にほろぶる故なり。御辺の心にそむける敵人の中に、何れか其の大将軍なると目をかけて見らるべし。たとひ他人に罵られ打たれたりとも、それによりて地獄におつる事はあるべからず。かゝる悪縁にあふて起るところの一念の瞋恚は倶胝劫の善根を焼き失ふて、つひには我を地獄に堕すべし。しかれば我を損害する大将軍は他人にあらず。只是れ自心なり。闘諍の心おこらん時、先づ此の心に目をかけて打取るべし。此の僧これを聞て落涙して出ぬ。其の後はひきかへて柔和の僧になりたりき。其の比かの小院いまだ温室をつくらず。近隣に教院のあるに往いて湯をばあびき。其の湯屋の搔器は竹の筒の五寸ばかりなる中に節をこめて、両方にて湯をくむやうにつくれり。湯を多くくませじとの計ごとなり。
書き下し
問若人上根にして直に本分を悟りなば、境界とて障をなす物あるべからず。たとひ直にさとることはなくとも、道心堅固ならば境界にさへらるゝことなかるべし。しかれ共、下根の人は道心も堅固ならぬ故にたま〱佛法を信ずれども、名利の心もたへず。逆順の境も相侵す故に坐禪工夫純一ならず。かやうの人をすゝめて、先づ世情をやはらぐる方便はあるまじきやらん。 答境界に二種あり順と逆となり、我が心にかなへることをば順境界となづく。我が心にそむけることをば逆境界といへり。逆境界をばこれを憎み、順境界をばこれを愛す。愛によりて生をひき、憎みによりて死をうく。然らば卽ち順逆の境界は、倶に是れ生死輪廻の因緣なり。愚人はこれをしらず。我が心にあはざることをば厭ひ捨て、我が心にかなへる事のみをねがひ求む娑婆と、いへるは梵語なり。此には缺減と翻せり。此の世界に生ずる人は皆宿善うすき故に何事も心にかなふて滿足することあるまじき謂れなり。しかるを此の娑婆界にありながら、心にかなふ事を求むるは火の中に入れて涼しきことを求むるがごとし。何事も心にかなふ事を得んと思はゞ、速に娑婆を出離する計事をめぐらすべし。此の缺減せかいの中にして、心にかなふことを求むるほどに、朝夕に身心を苦勞して、つひには當來の惡果を感ず。古歌に云く、うかれたゞありはつまじき世の中に、心のとまる人もこそあれ。若し人此の理をしるならば此せかいに生れて、何事も心に叶はざるは諸人のために出離をすゝむる善知識なり。若し人心にかなふことを愛せずば、心にそむく事もあるべからず。然らば卽ち我をなやます者は外境にあらず。偏に是れ自心のとがなり。予昔田舍の小院に住せし時、共住みの僧の中に鬪諍をこのむ人ありき。有る時、此の僧來りて懺悔して云く、我にかゝる癖あり。如何か對治すべきや。予が云く、鬪諍をよくするやうをしりぬれば鬪諍の心はおこらぬなり。鬪諍をよくするやうを敎へ奉らん世間に兵さをよくする人は、先づ其敵の大將軍に目をかけて葉武者をばかへりみず、大將軍をだに打取りぬれば、葉武者は自然にほろぶる故なり。御邊の心にそむける敵人の中に、何れか其の大將軍なると目をかけて見らるべし。たとひ他人に罵られ打たれたりとも、それによりて地獄におつる事はあるべからず。かゝる惡緣にあふて起るところの一念の瞋恚は倶胝劫の善根を燒き失ふて、つひには我を地獄に墮すべし。しかれば我を損害する大將軍は他人にあらず。只是れ自心なり。鬪諍の心おこらん時、先づ此の心に目をかけて打取るべし。此の僧これを聞て落淚して出ぬ。其の後はひきかへて柔和の僧になりたりき。其の比かの小院いまだ溫室をつくらず。近隣に敎院のあるに往いて湯をばあびき。其の湯屋の搔器は竹の筒の五寸ばかりなる中に節をこめて、兩方にて湯をくむやうにつくれり。湯を多くくませじとの計ごとなり。
現代語訳
問:もし人が上根で、直ちに本分を悟るなら、境界(環境)といって妨げをなすものはあるはずがない。たとえ直ちに悟ることはなくても、道心が堅固であれば、境界に妨げられることはないだろう。しかし下根の人は道心も堅固でないので、たまたま仏法を信じても名利の心は絶えず、逆境・順境も入り乱れて侵すので、坐禅の工夫が純一にならない。そのような人に勧めて、まず世情を和らげさせる方便はないものか。 答:境界には二種ある。順と逆である。自分の心にかなうものを順境界と呼び、自分の心にそむくものを逆境界という。逆境界は憎み、順境界は愛する。愛によって生を引き、憎しみによって死を受ける。そうであれば、順と逆の境界はともに生死輪廻の因縁である。愚かな人はこれを知らない。自分の心に合わないことは嫌って捨て、自分の心にかなうことだけを願い求める。娑婆というのは梵語で、ここでは欠減と訳す。この世界に生まれる人は、みな過去の善根が薄いので、何事も心にかなって満足することはあり得ない道理である。それなのにこの娑婆界にいながら心にかなうことを求めるのは、火の中に入って涼しさを求めるようなものだ。何事も心にかなうことを得たいと思うなら、すみやかに娑婆を離れる計らいをめぐらすべきである。この欠減した世界の中で、心にかなうことを求めるばかりに、朝夕に身心を苦労させ、ついには来世の悪い果報を招く。古歌に、浮かれたままでいつまでも住みおおせるはずのない世の中に、心の留まる人もいるものだ、とある。もし人がこの理を知るなら、この世に生まれて何事も心にかなわないことは、人々のために出離を勧める善知識である。もし人が心にかなうことを愛さなければ、心にそむくこともあり得ない。そうであれば、自分を悩ますものは外の境界ではない。ひとえに自分の心の咎である。私は昔、田舎の小さな寺に住んでいたとき、同じく住む僧の中に争いを好む人がいた。あるとき、この僧がやって来て懺悔して言った。私にはこういう癖があります。どう直したらよいでしょうか。私は言った。争いの上手なやり方を知れば、争う心は起こらなくなる。争いの上手なやり方を教えよう。世間で戦のうまい人は、まず敵の大将軍に目をつけ、雑兵には構わない。大将軍を討ち取ってしまえば、雑兵は自然に滅びるからである。あなたの心にそむく敵のうち、どれが大将軍かと目をつけて見なさい。たとえ他人に罵られ打たれても、それで地獄に落ちることはない。こうした悪縁に遭って起こる一念の怒りは、無数の劫にわたる善根を焼き失い、ついには自分を地獄に落とすであろう。ならば、自分を損なう大将軍は他人ではない。ただ自分の心である。争う心が起こったら、まずこの心に目をつけて討ち取りなさい。この僧はこれを聞いて涙を流して出て行った。その後は打って変わって穏やかな僧になった。そのころ、その小さな寺はまだ浴室を作っていなかった。近所の教院に行って湯を浴びていた。その湯屋の湯を汲む器は、竹の筒の五寸ほどの中に節を残して、両側で湯を汲めるように作ってあった。湯を多く汲ませないための工夫である。
解説

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