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夢中問答集 / 『夢中問答集』霊験に誇る心が魔を招く

問惡見等を起すによりて、魔道に入ることは其の謂れあり。智德靈驗のあるによりて、魔道に入る事は何の故ぞや。 答たとへば世間に合戰の忠をいたし奉公の功をつめるによりて、恩賞にあづかる事餘人に勝れたる人あり。此の人もし其の恩賞にはこりて過分のふるまひをする時はかならず、誅罰にあふが如し。是れ卽ち恩賞のとがにはあらず、たゞ偏に恩賞によりてはこる心起せる故なり。佛法も亦かくの如し、學道の人修練の功のつもるに隨つて行德も日來にはかはり、靈驗も餘人にはすぐれたる事あり。此の人もし其の小智小驗にほこりて高慢の心を起す時は、魔道に入る事疑なし。此の故に古來敎禪の行人の中にも魔道に入る人あり。淨土の行を修する人にも魔往生といへる事あり。皆是れ佛法のとがにはあらず。たゞ偏に行德靈驗にほこりて慢心を起す故なり。其の中にもし邪見を起して、因果を撥無し、我慢を高くして人法を誹謗する者は魔道に入るまでもなし。直に地獄に墮すべし。淨業障經に六波羅蜜を修して、佛道の障となる故を說きて云く、檀施を行ずる人は他人の慳貪なるを見て是をにくみ、持戒の人は破戒の人を見てこれをそしる。乃至禪定を修する人は散亂の人を厭ひ、智慧ある人は愚癡の者をかろしむ。若し人かやうの心を生ずる時は、六波羅蜜の功德かへりて佛道を障る因緣たりと云云。是れも亦六波羅蜜を修するが魔業なるにはあらず。有所得の心に住して、自を是し他を非する故に佛道の障となれるなり。菩提心を發して六度を行ずるだにも、若し有所得の心に住すれば魔業を成す。況や世間の名利のために智辨をもとめ、神通をねがふ者をやかやうの心を起すは皆な是れ內魔なり。此內魔のある故に外魔其便を得て、其の人に拓して假に智辨をあたへ、神用をほどこさしむ。其の人迷倒して魔の所爲とは知らず、我が道德なりと思ふて彌高慢を起してつひに魔道に入る。

新字:問悪見等を起すによりて、魔道に入ることは其の謂れあり。智徳霊験のあるによりて、魔道に入る事は何の故ぞや。 答たとへば世間に合戦の忠をいたし奉公の功をつめるによりて、恩賞にあづかる事余人に勝れたる人あり。此の人もし其の恩賞にはこりて過分のふるまひをする時はかならず、誅罰にあふが如し。是れ即ち恩賞のとがにはあらず、たゞ偏に恩賞によりてはこる心起せる故なり。仏法も亦かくの如し、学道の人修練の功のつもるに随つて行徳も日来にはかはり、霊験も余人にはすぐれたる事あり。此の人もし其の小智小験にほこりて高慢の心を起す時は、魔道に入る事疑なし。此の故に古来教禅の行人の中にも魔道に入る人あり。浄土の行を修する人にも魔往生といへる事あり。皆是れ仏法のとがにはあらず。たゞ偏に行徳霊験にほこりて慢心を起す故なり。其の中にもし邪見を起して、因果を撥無し、我慢を高くして人法を誹謗する者は魔道に入るまでもなし。直に地獄に堕すべし。浄業障経に六波羅蜜を修して、仏道の障となる故を説きて云く、檀施を行ずる人は他人の慳貪なるを見て是をにくみ、持戒の人は破戒の人を見てこれをそしる。乃至禅定を修する人は散乱の人を厭ひ、智慧ある人は愚痴の者をかろしむ。若し人かやうの心を生ずる時は、六波羅蜜の功徳かへりて仏道を障る因縁たりと云云。是れも亦六波羅蜜を修するが魔業なるにはあらず。有所得の心に住して、自を是し他を非する故に仏道の障となれるなり。菩提心を発して六度を行ずるだにも、若し有所得の心に住すれば魔業を成す。況や世間の名利のために智弁をもとめ、神通をねがふ者をやかやうの心を起すは皆な是れ内魔なり。此内魔のある故に外魔其便を得て、其の人に拓して仮に智弁をあたへ、神用をほどこさしむ。其の人迷倒して魔の所為とは知らず、我が道徳なりと思ふて弥高慢を起してつひに魔道に入る。

書き下し

問惡見等を起すによりて、魔道に入ることは其の謂れあり。智德靈驗のあるによりて、魔道に入る事は何の故ぞや。 答たとへば世間に合戰の忠をいたし奉公の功をつめるによりて、恩賞にあづかる事餘人に勝れたる人あり。此の人もし其の恩賞にはこりて過分のふるまひをする時はかならず、誅罰にあふが如し。是れ卽ち恩賞のとがにはあらず、たゞ偏に恩賞によりてはこる心起せる故なり。佛法も亦かくの如し、學道の人修練の功のつもるに隨つて行德も日來にはかはり、靈驗も餘人にはすぐれたる事あり。此の人もし其の小智小驗にほこりて高慢の心を起す時は、魔道に入る事疑なし。此の故に古來敎禪の行人の中にも魔道に入る人あり。淨土の行を修する人にも魔往生といへる事あり。皆是れ佛法のとがにはあらず。たゞ偏に行德靈驗にほこりて慢心を起す故なり。其の中にもし邪見を起して、因果を撥無し、我慢を高くして人法を誹謗する者は魔道に入るまでもなし。直に地獄に墮すべし。淨業障經に六波羅蜜を修して、佛道の障となる故を說きて云く、檀施を行ずる人は他人の慳貪なるを見て是をにくみ、持戒の人は破戒の人を見てこれをそしる。乃至禪定を修する人は散亂の人を厭ひ、智慧ある人は愚癡の者をかろしむ。若し人かやうの心を生ずる時は、六波羅蜜の功德かへりて佛道を障る因緣たりと云云。是れも亦六波羅蜜を修するが魔業なるにはあらず。有所得の心に住して、自を是し他を非する故に佛道の障となれるなり。菩提心を發して六度を行ずるだにも、若し有所得の心に住すれば魔業を成す。況や世間の名利のために智辨をもとめ、神通をねがふ者をやかやうの心を起すは皆な是れ內魔なり。此內魔のある故に外魔其便を得て、其の人に拓して假に智辨をあたへ、神用をほどこさしむ。其の人迷倒して魔の所爲とは知らず、我が道德なりと思ふて彌高慢を起してつひに魔道に入る。

現代語訳

問:悪見などを起こして魔道に入るのは、そのわけがわかる。智徳や霊験があるために魔道に入るのは、どういうわけか。 答:たとえば世間で、合戦で忠を尽くし、奉公の功を積んだために、恩賞にあずかることが他人より勝る人がいる。この人がもしその恩賞に驕って分に過ぎたふるまいをすれば、必ず誅罰に遭う。これは恩賞の咎ではなく、ひとえに恩賞によって驕る心を起こしたためである。仏法もまたこのとおりで、道を学ぶ人は、修練の功が積もるにつれて行の徳も以前と変わり、霊験も他人よりすぐれることがある。この人がもしその小さな智や小さな験に誇って高慢の心を起こせば、魔道に入ることは疑いない。このため古来、教宗・禅宗の行者の中にも魔道に入る人がある。浄土の行を修める人にも、「魔往生」ということがある。これらはみな仏法の咎ではない。ただひとえに、行徳や霊験に誇って慢心を起こしたためである。その中で、もし邪見を起こして因果を否定し、我慢を高くして人や法をそしる者は、魔道に入るまでもなく、直ちに地獄に堕ちる。浄業障経には、六波羅蜜を修めて仏道の障りとなる理由を説いて言う。布施を行う人は、他人のけちなのを見てこれを憎み、持戒の人は、戒を破る人を見てこれをそしる。さらに、禅定を修める人は心の乱れた人を嫌い、智慧のある人は愚かな者を軽んじる。もし人がこのような心を生じるなら、六波羅蜜の功徳がかえって仏道を妨げる因縁となる、と。これもまた、六波羅蜜を修めること自体が魔業なのではない。有所得の心にとどまって、自分を是とし他人を非とするので、仏道の障りとなるのである。菩提心を起こして六度を行うことでさえ、もし有所得の心にとどまれば魔業となる。まして世間の名利のために智弁を求め、神通を願う者はなおさらである。このような心を起こすのは、みな内魔である。この内魔があるので、外魔がその隙を得て、その人に取りついて仮に智弁を与え、神通のはたらきを施させる。その人は迷い倒れて魔のしわざとは知らず、自分の道徳だと思い、ますます高慢を起こして、ついに魔道に入る。

解説

智徳や霊験がかえって魔道を招くのはなぜか、という問いに、夢窓は恩賞に驕って罰を受ける武士にたとえて答えます。恩賞が悪いのではなく、それに驕る心が咎であるように、修行の成果が悪いのではなく、小さな智や験に誇る慢心が魔を呼ぶのです。六波羅蜜でさえ、自分を是とし他を非とする心があれば仏道の妨げになると、浄業障経を引いて示します。実績を積んだ人ほど自分を過信し、周りを見下しやすいという、現代の組織にもそのまま当てはまる戒めです。
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この章句が説くこと

霊験慢心有所得六波羅蜜内魔魔往生

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