孟子 / 離婁章句上
孟子曰:「道在邇,
書き下し
孟子曰く、「道は邇(ちか)きに在り、
現代語訳
孟子は言った。「人の踏むべき道は身近なところにある。(それなのに人はこれを遠くに求める)
解説
「道は邇きに在り」は、日本でもことわざとして親しまれてきた言葉です。孟子は、人として踏むべき道は遠く高いところではなく、ごく身近なところにあると言います。章の続きでは、それなのに人は道を遠くに求め、やさしいことを難しく考えてしまうと嘆き、誰もが自分の親を親として大切にし、年長者を年長者として敬えば、天下は平らかに治まると結論します。孟子の考える王道は、家族への情愛という身近な心を広げていくところから始まります。性善説に立つ孟子にとって、善の芽はすでに一人ひとりの中にあるものでした。仕事でも、大きな改革を探すより、目の前の相手への挨拶や約束を守ることが、実は組織を立て直す近道になることがあります。
関連する章句
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孟子・離婁章句上而るに諸を遠きに求む。事は易きに在り、而るに諸を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長とすれば、而ち天下平らかなり。」
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「天下大いに悅びて將に己に歸せんとす。天下悅びて己に歸するを視ること、猶ほ草芥のごときは、惟だ舜をのみ然りと為す。親に得られずんば、以て人と為す可からず。親に順われずんば、以て子と為す可からず。舜、親に事うるの道を盡くして、瞽瞍、豫びを底せり。瞽瞍、豫びを底して天下化せり。瞽瞍、豫びを底して、天下の父子為る者定まれり。此を之れ大孝と謂う。」
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「人、恒の言有り。皆曰く、『天下國家。』天下の本は國に在り、國の本は家に在り、家の本は身に在り。」
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『慎思録』巻之四道は本近きに在りて、及ぶ所の者は遠し。道は本浅きに在りて、極むる所の者は深し。道は本卑きに在りて、積む所の者は高し。孟子曰く、道は邇きに在りて之を遠きに求め、事は易きに在りて之を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長とすれば、天下平らかなり、と。蓋し道の在る所は、乃ち其の親を親とし、其の長を長とす。是れ孝弟のみ。此れ日用常行の事にして、至つて浅近にして且つ卑しと謂ふべし。故に愚夫愚婦と雖も、知り易く行ひ易し。苟も孝弟を舎てて道を高遠に求むるは、是れ道を無き所に求むるなり。猶ほ木に縁りて魚を求むるがごとし。孝弟の道は身に積みて及ぶべからず、之を高しと謂ふ。孝弟の理は神明に通じて窺ひ測るべからず、之を深しと謂ふ。孝弟の理は天下に達す、之を遠しと謂ふ。此れ君子の道の、高深にして且つ遠き所以なり。故に曰く、夫婦の愚も以て与り知るべし。其の至りに及びては、聖人と雖も亦た知らざる所有り。夫婦の不肖も以て能く行ふべし。其の至りに及びては、聖人と雖も亦た能はざる所有り、と。異学の説は、孝弟を捨てて務めず、独り孝弟倫常の外に於て其の高深なる者を求めんと欲す。孝弟倫常の外に高深なる者無きことを知らず。苟も此の外に於て高深なる者を求むるは、譬へば風を繋ぎ影を捕ふるが如し。此れ実有を捨てて空無を取るなり。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁なる者は、人なり。合せて之を言えば、道なり。」
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