孟子 / 離婁章句上
孟子曰、自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有為也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也。仁人之安宅也。義人之正路也。曠安宅而弗居、舍正路而不由、哀哉。
新字:孟子曰、自暴者、不可与有言也。自棄者、不可与有為也。言非礼義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也。仁人之安宅也。義人之正路也。曠安宅而弗居、舎正路而不由、哀哉。
書き下し
孟子曰く、「自暴する者は、與に言う有る可からざるなり。自棄する者は、與に為す有る可からざるなり。言、禮義を非る、之を自暴と謂うなり。吾が身、仁に居り義に由ること能わざる、之を自棄と謂うなり。仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。安宅を曠しくして居らず、正路を舎てて由らず、哀しきかな。」
現代語訳
孟子は言った。 「自ら己を害う者とは、俱に語り合うことはできない。自ら己を棄てて顧みない者とは、俱に事を為すことはできない。口を開けば礼義を謗る。これを自暴というのである。仁義と言うものを知っていながら、己はとても実行出来ないと思い、怠惰にに暮らしている。これを自棄と言うのである。仁というのは、人が心を安らかに落ち着かせる家であり、義というのは、人が進むべき正しい道である。それなのに仁という安住の家に住まず、義という正しい道に進もうとしない。何と哀しいことではないか。」
解説
自分自身の可能性を信じず、「どうせ自分にはできない」と最初から諦めてしまうこと(自暴自棄)は、最も悲しい生き方です。人間には、思いやり(仁)という安らげる場所と、正しい行い(義)という進むべき道が用意されています。それにもかかわらず、自らそこから外れ、努力を放棄してしまうのはもったいないことです。自分を大切にし、正しい道を歩む努力を忘れないでください。
この章句が説くこと
自暴自棄思いやり正しい道自己肯定
関連する章句
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