孟子 / 離婁章句上
是由惡醉而強酒。」
新字:是由悪酔而強酒。」
書き下し
是れ由ほ酔ふを悪みて酒を強ふるがごときなり。」
現代語訳
(死や滅亡を嫌がりながら不仁を楽しむのは、)酔うことを嫌がりながら、無理に酒を飲むのと同じである。」
解説
三代の興亡を仁と不仁で説いた章を結ぶたとえです。死や滅亡を嫌いながら不仁な振る舞いを好むのは、酔いたくないと言いながら無理に酒をあおるようなものだと孟子は言います。原因を自分で作りながら結果だけを嫌がる矛盾を、誰にでも身に覚えのある酒の場面で鮮やかに示しています。戦国の君主たちは国の滅亡を恐れつつ、重税や戦争で民を苦しめ続けました。孟子は、国を保ちたいなら仁政を行うほかないと繰り返し説いています。現代でも、健康を気にしながら生活を改めない、離職を嫌いながら職場の空気を変えないといった場面は多いものです。望まない結果の原因を、自分が握っていないか振り返る一句です。
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「三代の天下を得るや仁を以てし、其の天下を失ふや不仁を以てす。国の廃興存亡する所以の者も亦た然り。天子不仁なれば、四海を保たず。諸侯不仁なれば、社稷を保たず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず。士庶人不仁なれば、四体を保たず。今死亡を悪みて不仁を楽しむは、
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「不仁者は、与に言ふべけんや。其の危ふきを安しとして其の菑(わざはひ)を利とし、其の亡ぶる所以の者を楽しむ。不仁にして与に言ふべくんば、則ち何の国を亡ぼし家を敗ることか之れ有らん。孺子有り歌ひて曰く、『滄浪の水清まば、以て我が纓を濯ふべし。滄浪の水濁らば、以て我が足を濯ふべし。』と。孔子曰く、『小子之を聴け。清めば斯に纓を濯ひ、濁れば斯に足を濯ふ、自ら之を取るなり。』と。夫れ人必ず自ら侮りて、然る後に人之を侮る。家必ず自ら毀ちて、而る後に人之を毀つ。国必ず自ら伐ちて、而る後に人之を伐つ。太甲に曰く、『天の作せる孽は、猶ほ違くべし。自ら作せる孽は、活くべからず。』と、此の謂なり。」
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち栄え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを悪みて不仁に居るは、是れ猶ほ湿を悪みて下きに居るがごときなり。如し之を悪まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、国家閑暇なり。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大国と雖も、必ず之を畏れん。詩に云ふ、『天の未だ陰雨せざるに迨びて、彼の桑土を徹りて、牖戸を綢繆す。今此の下民、或ひは敢へて予を侮らんや』と。孔子曰く、『此の詩を為る者は、其れ道を知れるか。能く其の国家を治めば、誰か敢へて之を侮らん』と。今国家閑暇なり。是の時に及びて般楽怠敖するは、是れ自ら禍ひを求むるなり。禍福は己より之を求めざる者無し。詩に云ふ、『永く言に命に配し、自ら多福を求む』と。太甲に曰く、『天の作せる孽は、猶ほ違く可し。自ら作せる孽は、活く可からず』と。此の謂なり。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「不仁なるかな、梁の惠王や。仁者は其の愛する所を以て、其の愛せざる所に及ぼし、不仁者は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼす。」公孫丑問いて曰く、「何の謂ぞや。」「梁の惠王は土地の故を以て、其の民を糜爛して之を戰わしめ、大いに敗れたり。將に之を復せんとし、勝つこと能わざるを恐る。故に其の愛する所の子弟を驅りて、以て之に殉ぜしむ。是を之れ謂以其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼすと謂うなり。」
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「天下に道有れば、小德は大德に役せられ、小賢は大賢に役せらる。天下に道無ければ、小は大に役せられ、弱は強に役せらる。斯の二つの者は天なり。天に順う者は存し、天に逆う者は亡ぶ。齊の景公曰く、『既に令すること能わず、又命を受けざるは、是れ物をࡼつなり。』涕出でて呉に女わせり。今や、小國、大國を師として命を受くることを恥づ。是れ猶ほ弟子にして命を先師に受くるを恥づるがごときなり。如し之を恥ぢなば、文王を師とするに若くは莫し。文王を師とせば、大國は五年、小國は七年にして、必ず政を天下に為さん。詩に云う、『商の孫子は、其の麗億のみならず。上帝既に命じて、侯れ周に服せしむ。侯れ周に服せしむ、天命は常靡し。殷士膚敏なるも、京に祼(カン)將す。』孔子曰く、『仁には衆を為す可らず。夫れ國君仁を好めば、天下に敵無し。』今や天下に敵無からんを欲して、而も仁を以てせず。是れ猶ほ熱を執りて而も以て濯せざるがごときなり。詩に云う、『誰か能く熱を執るに、逝(ここに)に以て濯せざらん。』」 <語釈> ○「麗不億」、朱注:「麗」は、「數」なり、十萬を億と曰う。「億」は、古は十万、後に万万になる。○「殷士膚敏」、朱注:「殷士」は、商の孫子の臣なり、「膚」は、「大」なり、「敏」は「達」なり。○「祼將」、朱注:「祼」(カン)、宗廟の祭、鬱鬯の酒を以て地に灌ぎ、神を降すなり、「將」は「助」なり。○「執熱而不以濯」、この句は朱注、趙注共に通釈の意に解しているが、それとは別に、暑熱に接しても水浴びをしない意に解する説もある。
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『慎思録』巻之一孟子曰く、不仁者は与に言ふべけんや。其の危ふきを安しとして其の菑ひを利とし、其の亡ぶる所以の者を楽しむと。蓋し不仁者は必ず知らず。何となれば則ち不仁の人は其の本心を失ひて、是非の心昏し。故に忠言を聞くと雖も信ぜず。之を聴くこと聡ならざるに因るなり。此れ与に言ふべからざるなり。其の知無きに因りて、故に啻だ義理の楽しむべきを知ること能はざるのみに非ず、危菑の懼るべきと雖も、亦知ること能はず。是を以て其の危ふきを安しとして其の菑ひを利とし、荒淫暴虐にして、敗亡を致す所以の者を楽しむ。危菑既に至ると雖も、亦悟らず、終に以て敗亡を取る。昏愚の甚だしきと謂ふべきなり。国語に、古人之を人天禍を覓めて弭めずと謂ふなり。孟子の所謂其の亡ぶる所以の者を楽しむなり。尹起辛曰く、天資乱を好むの人は、覆亡に至らざれば止まずと。亦此の意なり。古来不仁の人、往往皆此くの如し。嗚呼哀しむべきかな。
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