孟子 / 告子章句下
孟子曰、教亦多術矣。予不屑之教誨也者、是亦教誨之而已矣。
書き下し
孟子曰く、「教えも亦た術多し。予、之が教誨するを屑しとせざる者も、是れ亦た之を教誨するのみ。」
現代語訳
孟子は言った。 「教育も亦た多くの方法がある。私がどうしても教える気が無く断った者も、それを機に反省して、自ら学を修めて徳に進むようになれば、此の謝絶も教えの一つだと言えるだろう。」
解説
人を育てる方法は、手取り足取り教えることだけではありません。時にはあえて突き放したり、厳しい態度をとったりすることも、相手の自立心や反省を促す効果的な教育方法になり得ます。ビジネスにおける後輩指導でも、答えをすぐに与えるのではなく、あえて自分で考えさせることで、深い学びに繋がることがあります。表面的な優しさだけでなく、相手の成長を真剣に願うからこそ選ぶ「教えないという教え」も、指導者の重要な選択肢の一つです。
この章句が説くこと
教育の方法突き放す指導自己省察
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孟子・離婁章句上公孫丑曰く、「君子の子を教えざるは、何ぞや。」孟子曰く、「勢い行われざればなり。教うる者は必ず正を以てす。正を以てして行われざれば、之に繼ぐに怒りを以てす。之に繼ぐに怒りを以てすれば、則ち反って夷(そこなう)う。『夫子、我に教うるに正を以てするも、夫子未だ正に出でざるなり。』則ち是れ父子相夷うなり。父子相夷えば、則ち惡し。古は、子を易えて之を教う。父子の間は善を責めず。善を責むれば則ち離る。離るれば則ち不祥、焉より大なるは莫し。」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「君子の教うる所以の者は五あり。時雨の之を化するが如き者有り。德を成さしむる者有り。財を達せしむる者有り。問に答うる者有り。私に淑く艾せしむる者有り。此の五者は、君子の教うる所以なり。」
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『講孟余話』告子下 末章是れ前章、「色に徴し、声に発して而る後に喩る」と云ふに因りて、遂に人を誨ふるの道を云ひて全篇の結をなすなり。不屑は即ち曹交に於ける、本篇第二章、墨者夷之に於ける、滕文公上篇末章の類なり。凡そ有志の士は不屑の教誨を受けて大いに慚奮激昂し、無志の徒は不屑の教誨を受けて大いに羞縮沮喪す。是れ亦前章に割記する桃李松柏の霜雪に於てするの喩の如し。此の篇首章、礼と食色との軽重を弁じ、第三章、小弁・凱風の怨・不怨を弁じ、第四章、義利の得失を弁じ、第五章、季任・儲子を待つの異同を弁ず。以上大抵疑似を弁ずるなり。第七章より第十三章まで、内第十二章を除く、皆経綸の大業を示す。第十四章、去就の義を論じ、第六章斉を去るの義と呼応し、経綸の大業を挟む。而して第六章は又伯夷・伊尹・柳下恵の趨一なるを以て、前章疑似の弁を承くるなり。第十二章は上二章白圭の虚誕を承けて、諒ならざれば執る所なしと云ひて、下章強ならず知慮なく聞識少なくとも、善を好むの楽正子が白圭には勝ると云ふ意なり。第十五章は上章去就の義を承け、己の就くべき所なく、世に不遇なるは乃ち天意なれば、激昂せずんばあらずとて、直ちに末章人を教育するの意に転じ、道行はれざれば人を教へ、道を伝ふるの余地を留む。是れ全章の結たる所以にして語尽きて意尽きざるなり。且つ第二章曹交に対する意を繳す。凡そ十六章。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「梓匠・輪輿は、能く人に規矩を與うるも、人をして巧みならしむること能わず。」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「仁言は、仁聲の人に入るの深きに如かざるなり。善政は、善教の民を得るに如かざるなり。善政は民之を畏れ、善教は民之を愛す。善政は民の財を得、善教は民の心を得。」
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