孟子 / 告子章句下
孟子曰、舜發於畎畝之中、傅說舉於版築之閒、膠鬲舉於魚鹽之中、管夷吾舉於士、孫叔敖舉於海、百里奚舉於市。故天將降大任於是人也、必先苦其心志、勞其筋骨、餓其體膚、空乏其身、行拂亂其所為。所以動心忍性、曾益其所不能。人恒過、然後能改、困於心、衡於慮、而後作、徴於色、發於聲、而後喻。入則無法家拂士、出則無敵國外患者、國恒亡。然後知生於憂患、而死於安樂也。
新字:孟子曰、舜発於畎畝之中、傅説舉於版築之閒、膠鬲舉於魚塩之中、管夷吾舉於士、孫叔敖舉於海、百里奚舉於市。故天将降大任於是人也、必先苦其心志、労其筋骨、餓其体膚、空乏其身、行払乱其所為。所以動心忍性、曽益其所不能。人恒過、然後能改、困於心、衡於慮、而後作、徴於色、発於声、而後喻。入則無法家払士、出則無敵国外患者、国恒亡。然後知生於憂患、而死於安楽也。
書き下し
孟子曰:「舜は畎畝の中より發り、傅說は版築の閒より舉げられ、膠鬲は魚鹽の中より舉げられ、管夷吾は士より舉げられ、孫叔敖は海より舉げられ、百里奚は市より舉げらる。故に天の將に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を勞せしめ、其の體膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、行うこと其の為さんとする所に拂亂せしむ。心を動かし性を忍ばせ、其の能くせざる所を曾益せしむる所以なり。人恒に過ちて、然る後に能く改め、心に困しみ、慮に衡わって、而る後に作り、色に徴れ、聲に發して、而る後に喻る。入りては則ち法家拂士無く、出でては則ち敵國外患無き者は、國恒に亡ぶ。然る後に憂患に生じて、安樂に死することを知るなり。」 <語釈> ○「舜發於畎畝之中~百里奚舉於市」、これらの語句は服部宇之吉氏の解説が分かりやすいので、それを紹介する、「發は與すなり、舉げらるること、畎畝は田畠なり、舜初め歷山に耕し、三十にして徴さる、傅說は殷人、人夫となりて城壁を築く、版は土を夾む工事なり、武丁之を用いて相とす、殷の膠鬲は紂の亂を避けて魚鹽を賣る、後文王に舉げらる、管夷吾(管仲)は魯より囚われて齊に送られ、獄官(士)の中より桓公に擢引せられ、孫叔敖は海濱に居りしが、楚荘王に舉げられて令尹となり、虞人百里奚は市に隱れたるを、秦の穆公に舉げられたり」。○「空乏」、窮乏に同じ。○「拂亂」、そむき乱す。○「曾益其所不能」、「曾益」は「増益」に同じで、よく為すことのできないところを増やす意だが、それではおかしいので、今まで出来なかったことが出来るようになったと解釈するのが一般的であるが、この語句からそのように解釈するのも少し無理があるような気がする。そこで私はこの語句の意をそのまま受けて、出来ないことを増やして試練を与えるという意味に解釈する。○「衡」、趙注:「衡」は、「横」なり。○「入則無法家拂士」、趙注:入るは國内を謂うなり、法度大臣の家、輔拂の士無し。
現代語訳
孟子は言った。 「舜は田野の間から身を起こし天子になり、傅說は城を築く人夫から挙用され、膠鬲は魚や塩の商売人から挙用され、管夷吾は獄官の手の内から取り立てられ、孫叔敖は海辺から取り立てられ、百里奚は市場から挙用された。これらによれば、天はその人に大きな任務を負わせようとするとき、必ず先づその精神を苦しめ、その筋骨を痛めつけ、その肉体は飢えさせ、その身を窮乏に陥らせ、行動はその意志に反するようにさせる。それは心を動かし発奮させ、忍耐強くさせ、出来ないことを増やして試練を与える為である。人という者は恒に間違いをおかすもので、間違ってはじめて改め、心に苦しみ思慮に心を塞がれ苦しんだ後に発奮し、その困苦が顔色や声に現れるほど苦しんだ後に心から悟るものだ。国家でも同じことで、国内には法度を守る譜代の臣や君主を補佐する臣がおらず、国外には対抗する国や他国からの圧力が無かったら、国は必ず滅亡する。こうしてみると、個人も国家も同じで、うれいや悩みがあってこそ生き抜くことができ、安楽の中では死ぬことが分かる。」