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講孟余話 / 告子下 末章

是前章、徵於色、発於声而後喩、ト云フニ因テ、遂ニ人ヲ誨ルノ道ヲ云テ全篇ノ結ヲナス也、不屑ハ即チ曹交ニ於ル、本篇第二章墨者夷之ニ於ル、滕文公上篇末章ノ類也、凢ソ有志ノ士ハ不屑ノ教誨ヲ受テ大ニ慚奮激昂シ、無志ノ徒ハ不屑ノ教誨ヲ受テ大ニ羞縮沮喪ス、是亦前章ニ割記スル桃李松柏ノ霜雪ニ於テスルノ喩ノ如シ、此篇首章、礼ト食色トノ輕重ヲ辨シ、第三章、小弁凱風ノ怨不怨ヲ辨シ、第四章、義利ノ得失ヲ辨シ、第五章、季任儲子ヲ待ツノ異同ヲ辨ス、以上大氏疑似ヲ辨スルナリ、第七章ヨリ第十三章迄、内第十二章ヲ除ク皆経綸ノ大業ヲ示ス、第十四章、去就ノ義ヲ論シ、第六章斉ヲ去ルノ義ト呼應シ、経綸ノ大業ヲ挿ム、而シテ第六章ハ又伯夷伊尹柳下惠ノ趨一ナルヲ以テ、前章疑似ノ弁ヲ承ルナリ、第十二章ハ上二章白圭ノ虛誕ヲ承テ、諒ナラサレハ執ル所ナシト云テ、下章強ナラス知慮ナク聞識少ナクトモ、善ヲ好ムノ樂正子カ白圭ニハ勝ルト云意ナリ、第十五章ハ上章去就ノ義ヲ承ケ、己ノ就クヘキ所ナク、世ニ不遇ナルハ乃チ天意ナレハ、激昂セスハアラズトテ、直ニ末章人ヲ教育スルノ意ニ轉シ、道行ハレサレハ人ヲ教ヘ、道ヲ傳ルノ餘地ヲ畄ム、是全章ノ結タル所以ニシテ語尽テ意尽サルナリ、且第二章曹交ニ對ル意ヲ繳ス、凢ソ十六章

新字:是前章、徴於色、発於声而後喩、ト云フニ因テ、遂ニ人ヲ誨ルノ道ヲ云テ全篇ノ結ヲナス也、不屑ハ即チ曹交ニ於ル、本篇第二章墨者夷之ニ於ル、滕文公上篇末章ノ類也、凢ソ有志ノ士ハ不屑ノ教誨ヲ受テ大ニ慚奮激昂シ、無志ノ徒ハ不屑ノ教誨ヲ受テ大ニ羞縮沮喪ス、是亦前章ニ割記スル桃李松柏ノ霜雪ニ於テスルノ喩ノ如シ、此篇首章、礼ト食色トノ軽重ヲ弁シ、第三章、小弁凱風ノ怨不怨ヲ弁シ、第四章、義利ノ得失ヲ弁シ、第五章、季任儲子ヲ待ツノ異同ヲ弁ス、以上大氏疑似ヲ弁スルナリ、第七章ヨリ第十三章迄、内第十二章ヲ除ク皆経綸ノ大業ヲ示ス、第十四章、去就ノ義ヲ論シ、第六章斉ヲ去ルノ義ト呼応シ、経綸ノ大業ヲ挿ム、而シテ第六章ハ又伯夷伊尹柳下恵ノ趨一ナルヲ以テ、前章疑似ノ弁ヲ承ルナリ、第十二章ハ上二章白圭ノ虚誕ヲ承テ、諒ナラサレハ執ル所ナシト云テ、下章強ナラス知慮ナク聞識少ナクトモ、善ヲ好ムノ楽正子カ白圭ニハ勝ルト云意ナリ、第十五章ハ上章去就ノ義ヲ承ケ、己ノ就クヘキ所ナク、世ニ不遇ナルハ乃チ天意ナレハ、激昂セスハアラズトテ、直ニ末章人ヲ教育スルノ意ニ転シ、道行ハレサレハ人ヲ教ヘ、道ヲ伝ルノ余地ヲ畄ム、是全章ノ結タル所以ニシテ語尽テ意尽サルナリ、且第二章曹交ニ対ル意ヲ繳ス、凢ソ十六章

書き下し

是れ前章、「色に徴し、声に発して而る後に喩る」と云ふに因りて、遂に人を誨ふるの道を云ひて全篇の結をなすなり。不屑は即ち曹交に於ける、本篇第二章、墨者夷之に於ける、滕文公上篇末章の類なり。凡そ有志の士は不屑の教誨を受けて大いに慚奮激昂し、無志の徒は不屑の教誨を受けて大いに羞縮沮喪す。是れ亦前章に割記する桃李松柏の霜雪に於てするの喩の如し。此の篇首章、礼と食色との軽重を弁じ、第三章、小弁・凱風の怨・不怨を弁じ、第四章、義利の得失を弁じ、第五章、季任・儲子を待つの異同を弁ず。以上大抵疑似を弁ずるなり。第七章より第十三章まで、内第十二章を除く、皆経綸の大業を示す。第十四章、去就の義を論じ、第六章斉を去るの義と呼応し、経綸の大業を挟む。而して第六章は又伯夷・伊尹・柳下恵の趨一なるを以て、前章疑似の弁を承くるなり。第十二章は上二章白圭の虚誕を承けて、諒ならざれば執る所なしと云ひて、下章強ならず知慮なく聞識少なくとも、善を好むの楽正子が白圭には勝ると云ふ意なり。第十五章は上章去就の義を承け、己の就くべき所なく、世に不遇なるは乃ち天意なれば、激昂せずんばあらずとて、直ちに末章人を教育するの意に転じ、道行はれざれば人を教へ、道を伝ふるの余地を留む。是れ全章の結たる所以にして語尽きて意尽きざるなり。且つ第二章曹交に対する意を繳す。凡そ十六章。

現代語訳

これは前章の「顔色に表れ、声に出てはじめて人は悟る」という言葉を受けて、ついに人を教える道を述べ、篇全体の結びとしたものである。「相手にしないで教える」というのは、曹交に対するもの(本篇第二章)や、墨家の夷之に対するもの(滕文公上篇末章)のたぐいである。およそ志ある士は、相手にされないという教えを受けて大いに恥じ奮い立ち、志のない者は、それを受けて大いに恥じ縮こまって気落ちする。これもまた前章で記した、桃李と松柏が霜雪にあう喩えと同じである。この篇は、首章で礼と食欲・色欲の軽重を区別し、第三章で『詩経』小弁と凱風の、怨むべきか怨むべきでないかを区別し、第四章で義と利の得失を区別し、第五章で季任と儲子への応対の違いを区別する。以上はおおむね紛らわしいものを区別する章である。第七章から第十三章までは、第十二章を除いてみな国を治める大事業を示す。第十四章は出処進退の義を論じ、第六章の斉を去る義と呼応して、その間に国を治める大事業をはさんでいる。そして第六章はまた、伯夷・伊尹・柳下恵の向かう所が一つであることを述べて、前の紛らわしいものの区別を受けている。第十二章は、前の二章で白圭の大言を受けて、信がなければ拠り所がないと言い、次の章で、強くもなく知恵もなく見聞も少ないが善を好む楽正子のほうが白圭にまさると言う意味である。第十五章は、前章の出処進退の義を受け、自分の就くべき所がなく、世に用いられないのは天の意志なのだから奮い立たずにはいられないと言い、すぐに末章で人を教育するという意味に転じ、道が行われなければ人を教えて道を伝える余地を残す。これが篇全体の結びである理由であり、言葉は尽きても意味は尽きないのである。さらに第二章の曹交に対する意味を締めくくっている。全部で十六章。

解説

告子下篇の最終章で、孟子は「教えにも術が多い。相手にしないことも教えである」と言います。松陰はこの章を篇全体の結びと見て、十六章の構成を一つずつたどり、疑わしいものの区別、国を治める大業、出処進退という流れを示します。そして、世に用いられないのは天意だから、道が行われないなら人を教えて道を伝えよ、という結論を引き出します。獄中で同囚や家族に講義を続けていた松陰自身の生き方と重なる読みです。叱られて奮い立つか縮こまるかは受け手の志次第だという指摘も鋭く、教える側と学ぶ側の両方に響きます。

この章句が説くこと

教育不屑の教志構成楽正子

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