盲安杖 / 第四条・信有て忠孝を勤むべき事
信有て忠孝を勤めよ。名利に使はるゝ時は誠なし。縱ひ主人の心に適ひて親く仕へる人なりとも。誠有るは稀なるべし。唯我身に善からしめん爲の志にて。貪る心に使はるゝなるべし。余所に耻ることなく心に心を耻て。誠あることを知れ。如何なるを誠と云ふとならば。譬へは我が子は愛するとは無けれども。我に誠あれば嬰子も親むべし。人の子は愛すれども。我に誠なければ親む事なし。恥づべし〱。忠孝の道。まこと有るは難かるべし。忽ち一陣に進出で死を致す輩も。名利を思ふ爲なるべし。さる程に譽れを求めて所領を貪り。祿の少きことを怨み。或は人と好惡を爭ひて。人の志を奪はん事を專とす。是偏に義を知らずして欲心に任せて。恥を勤る故あり。信有て忠を盡さば何ぞ我身を顧ん。義を知て武勇をなさば何ぞ人と爭はんや。一命を國土に換へて死する人は稀なるべし。かほど大切なる命なれども。義理の爲には即時に命を捨るは人々の道なり。されば義理ほど重き事あらんや。此理を忘て常に我身に執着し。信の心なき故に終に德有る事を知らず。苦に苦を重ねて空く三途の古鄕に止まる事。淺間しきに非ずや。人と生れたらん思ひ出には。義を重くして一命を輕んじ。己に離れて信の道に入べし。愚なる哉當世の人の有樣を見るに。戲れの物語にも主人を誹り。身の憂き事を云ふ類ひ多し。此言葉の源を見れは。欲心胸に滿ち愚痴心身に餘りて。濫に我と恥と云ひ顯はすのみなり。信有る所まで叶はずとも。何ぞ恥を知ざらんや。縱ひ惡き主人に仕へて遁るゝ所なくとも。更に主人の科に非ず。前世の我が業因を觀ぜよ。却て恥に非ずや。或は一生病人となり亦盲目非人と成て。朝夕苦む人多し。箇樣の者は誰科ありと怨んや。偏に我科あり。返す〱誤る事なく。万事を放下して忠孝の道に入るべし。迷の心に任せて妻子を思ふには。憐みても〱飽ぎたらず。忠を盡し孝を致す事は。學びても〱淺し。されは迷は誠より出るにや。拂へども〱盡ず。仁義を行ふ事は戒めても〱誠なし。是皆六根に遮ぎられ。己に迷ひて信を闇ます故なり。十二時中勤めて己に離れ誠の道に入るべし。誠は更に邪なし。誠の人は唯無事の人あり。歌にたゞありの人は其まゝ佛なり佛を見ればたゞありの人
新字:信有て忠孝を勤めよ。名利に使はるゝ時は誠なし。縦ひ主人の心に適ひて親く仕へる人なりとも。誠有るは稀なるべし。唯我身に善からしめん為の志にて。貪る心に使はるゝなるべし。余所に耻ることなく心に心を耻て。誠あることを知れ。如何なるを誠と云ふとならば。譬へは我が子は愛するとは無けれども。我に誠あれば嬰子も親むべし。人の子は愛すれども。我に誠なければ親む事なし。恥づべし〱。忠孝の道。まこと有るは難かるべし。忽ち一陣に進出で死を致す輩も。名利を思ふ為なるべし。さる程に誉れを求めて所領を貪り。禄の少きことを怨み。或は人と好悪を争ひて。人の志を奪はん事を専とす。是偏に義を知らずして欲心に任せて。恥を勤る故あり。信有て忠を尽さば何ぞ我身を顧ん。義を知て武勇をなさば何ぞ人と争はんや。一命を国土に換へて死する人は稀なるべし。かほど大切なる命なれども。義理の為には即時に命を捨るは人々の道なり。されば義理ほど重き事あらんや。此理を忘て常に我身に執着し。信の心なき故に終に徳有る事を知らず。苦に苦を重ねて空く三途の古郷に止まる事。浅間しきに非ずや。人と生れたらん思ひ出には。義を重くして一命を軽んじ。己に離れて信の道に入べし。愚なる哉当世の人の有様を見るに。戯れの物語にも主人を誹り。身の憂き事を云ふ類ひ多し。此言葉の源を見れは。欲心胸に満ち愚痴心身に余りて。濫に我と恥と云ひ顕はすのみなり。信有る所まで叶はずとも。何ぞ恥を知ざらんや。縦ひ悪き主人に仕へて遁るゝ所なくとも。更に主人の科に非ず。前世の我が業因を観ぜよ。却て恥に非ずや。或は一生病人となり亦盲目非人と成て。朝夕苦む人多し。箇様の者は誰科ありと怨んや。偏に我科あり。返す〱誤る事なく。万事を放下して忠孝の道に入るべし。迷の心に任せて妻子を思ふには。憐みても〱飽ぎたらず。忠を尽し孝を致す事は。学びても〱浅し。されは迷は誠より出るにや。払へども〱尽ず。仁義を行ふ事は戒めても〱誠なし。是皆六根に遮ぎられ。己に迷ひて信を闇ます故なり。十二時中勤めて己に離れ誠の道に入るべし。誠は更に邪なし。誠の人は唯無事の人あり。歌にたゞありの人は其まゝ仏なり仏を見ればたゞありの人
書き下し
信有て忠孝を勤めよ。名利に使はるゝ時は誠なし。縦ひ主人の心に適ひて親く仕へる人なりとも。誠有るは稀なるべし。唯我身に善からしめん為の志にて。貪る心に使はるゝなるべし。余所に耻ることなく心に心を耻て。誠あることを知れ。如何なるを誠と云ふとならば。譬へは我が子は愛するとは無けれども。我に誠あれば嬰子も親むべし。人の子は愛すれども。我に誠なければ親む事なし。恥づべし〱。忠孝の道。まこと有るは難かるべし。忽ち一陣に進出で死を致す輩も。名利を思ふ為なるべし。さる程に誉れを求めて所領を貪り。禄の少きことを怨み。或は人と好悪を争ひて。人の志を奪はん事を専とす。是偏に義を知らずして欲心に任せて。恥を勤る故あり。信有て忠を尽さば何ぞ我身を顧ん。義を知て武勇をなさば何ぞ人と争はんや。一命を国土に換へて死する人は稀なるべし。かほど大切なる命なれども。義理の為には即時に命を捨るは人々の道なり。されば義理ほど重き事あらんや。此理を忘て常に我身に執着し。信の心なき故に終に徳有る事を知らず。苦に苦を重ねて空く三途の古郷に止まる事。浅間しきに非ずや。人と生れたらん思ひ出には。義を重くして一命を軽んじ。己に離れて信の道に入べし。愚なる哉当世の人の有様を見るに。戯れの物語にも主人を誹り。身の憂き事を云ふ類ひ多し。此言葉の源を見れは。欲心胸に満ち愚痴心身に余りて。濫に我と恥と云ひ顕はすのみなり。信有る所まで叶はずとも。何ぞ恥を知ざらんや。縦ひ悪き主人に仕へて遁るゝ所なくとも。更に主人の科に非ず。前世の我が業因を観ぜよ。却て恥に非ずや。或は一生病人となり亦盲目非人と成て。朝夕苦む人多し。箇様の者は誰科ありと怨んや。偏に我科あり。返す〱誤る事なく。万事を放下して忠孝の道に入るべし。迷の心に任せて妻子を思ふには。憐みても〱飽ぎたらず。忠を尽し孝を致す事は。学びても〱浅し。されは迷は誠より出るにや。払へども〱尽ず。仁義を行ふ事は戒めても〱誠なし。是皆六根に遮ぎられ。己に迷ひて信を闇ます故なり。十二時中勤めて己に離れ誠の道に入るべし。誠は更に邪なし。誠の人は唯無事の人あり。歌にたゞありの人は其まゝ仏なり仏を見ればたゞありの人
現代語訳
誠を持って忠孝を勤めなさい。名や利に使われるときは誠がありません。たとえ主人の心に適って親しく仕える人でも、誠がある人は稀でしょう。ただ自分によかれと思う志で、貪る心に使われているのでしょう。よそに恥じることなく、心に心を恥じて、誠があることを知りなさい。何を誠というかといえば、たとえば、自分の子を愛さなくても、自分に誠があれば幼な子も親しみます。人の子を愛していても、自分に誠がなければ親しみません。恥ずべきことです。忠孝の道では、誠があることは難しいでしょう。にわかに一陣に進み出て死を致す者たちも、名や利を思うためでしょう。そのように、誉れを求めて所領を貪り、禄の少ないことを恨み、あるいは人と好悪を争い、人の志を奪うことを専らとします。これはひとえに義を知らず、欲心に任せて、恥を重ねるからです。信があって忠を尽くすなら、どうして我が身を顧みるでしょう。義を知って武勇を行うなら、どうして人と争うでしょうか。一命を国土に換えて死ぬ人は稀でしょう。これほど大切な命であっても、義理のためには即座に命を捨てるのが人の道です。ですから義理ほど重いことがあるでしょうか。この道理を忘れて常に我が身に執着し、信の心がないから、ついに徳のあることを知りません。苦に苦を重ね、空しく三途の古里に留まることは、あさましいことではないでしょうか。人と生まれた思い出には、義を重くして一命を軽んじ、己を離れて信の道に入りなさい。愚かなことに、当世の人の有様を見ると、冗談の話にも主人をそしり、身のつらいことを言う類が多い。この言葉の源を見れば、欲心が胸に満ち、愚かさが身に余って、みだりに自分から恥を言い表しているだけです。信のある所まで及ばなくても、どうして恥を知らないでよいでしょうか。たとえ悪い主人に仕えて逃れるところがなくても、それは決して主人の咎ではありません。前世の自分の業因を観じなさい。かえって恥ではありませんか。あるいは一生病人となり、また盲目や非人となって、朝夕苦しむ人が多いのです。このような者は誰の咎だと恨むでしょうか。ひとえに自分の咎です。くれぐれも誤ることなく、万事を放下して忠孝の道に入りなさい。迷いの心に任せて妻子を思うときは、憐れんでも憐れんでも飽き足りません。忠を尽くし孝を致すことは、学んでも学んでも浅い。それゆえ迷いは誠から出るのでしょうか。払っても払っても尽きません。仁義を行うことは、戒めても戒めても誠がありません。これはみな六根にさえぎられ、己に迷って信を暗ませるからです。一日中勤めて己を離れ、誠の道に入りなさい。誠には少しも邪がありません。誠の人はただ無事の人です。歌に、「ただありのままの人はそのまま仏であり、仏を見ればただありのままの人である」とあります。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之二記に云ふ、説を勦ること毋かれ、と。蓋し他人の説を攬り取りて、以て己が説と為す、之を勦説と謂ふ。夫れ他人の財を窃むすら、猶ほ之を盗と謂ふ。然るを況んや他人の美を掠め取りて、以て己が美と為すをや。賤しむべきの甚だしきなり。先輩長者に好んで人の言を取りて之を用ゐる者有り、人に告げて曰く、惟れ吾が謀に非ず、誰某の説なり、と。是れ言を取るの法と為すべし。然るに近世中華の才子も、亦た往々にして前輩の説を攬り取りて、以て己が説と為す者有り。其の志懾し。近世の薄俗、本邦の人も、往々にして亦た此くの如し。恥を知らざるの甚だしきなり。
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『武士道』第七章 至誠信實・馬鹿と御嘲り被下度候而して予は我国商人も亦た此理を学びつつあるものなりと言はんのみ。余説は此れに関するナップ及びランソム二氏の明快的確なる批評判断に譲る。ただここに特記すべきは、商人すら、債務を起すに当り、正直と名誉とを標して、証書に記入すべき最も確実なる保証なりとしたること是れなり。証文中に、『恩借の金子御返済相怠り候節は、衆人稠坐の前にて御笑ひなされ候とも不苦候』とか、『御返済相致さざる節は、馬鹿と御嘲り被下度候』等の語を加ふるは、其常とする所なりしなり。予はしばしば、武士道の誠は、之れが動機の存する所、勇よりも更に高尚なるものに在りしや否やを疑ふものなり。日本には偽の証を立つること勿れとの(明)戒無きを以て、虚言を罪として責むる事無かりしと雖も、単に之を薄志弱行に帰して擯斥し、従つて甚だ不名誉なりとしたり。
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