盲安杖 / 第三条・物毎に他の心に至るべき事・後半
わづかの身命を助くると雖。食物乏くして憂强し。年貢借物不足して妻子を賣り。生きながら別れて遠國に趣き。其悲と思ひやるべし。亦世に零落たる人妻子を育ゑかね。望々深く諂ふを見て。賤む事有べからず。其人に成て見よ。亦非人乞食飢寒の憂ひに苦々。野山に伏し一生を送る有樣。不便なるに非ずや。亦幼者の科なき心を能受べし。彼を嚇し痛む事有べからず。哀む心則ち身心衰へ病ひと成と云へり。溫しき者の病も七情より起るとなり。されば鳥獸を籠に入れ。繫ぎ苦めて目を悅ばすこと。彼が心を知らざる故なり。野山を思ふ憂ひ切なるべし。心ある人是を憐まざらんや。亦殺生を好むこと仁の心なき故なり。短命は殺生より來ると云へり。我命のをしきを知ば。小き虫ゟ至る迄心を止めて見よ。子を思ひ夫婦をねたみ。命と惜むこと偏に愚痴なれば。人間よりも優りて甚しかるべし。賢聖の敎を受けて道理を知り。常に修し行する人間さへ。我執強く命を惜むこと限なし。况や愚痴一偏の畜類に於てをや。顧みずは有るべからず。惣じて人の憂を知れ。万物隔たると雖。本來の心は一なり。何れを自他と云はんや。愚人の前にては人我の隔あり。聖人の前にては自他の差別なし。さる程に誠の人は情を先として憐深し。釋尊は三界の衆生を一子の如く憐み玉ふなり。かたゞけなきに非ずや。一如の水流れて万波と分る。假令は天上の一月万水に移るが如く。人々の性亦是に異らず。されば賤むべき物もなく。隔つべき物もなし。一切衆生悉有佛性の理を悟るべし。歌に庭ゟ生ふちり〱草の露までも影をほそめて宿る月かな
新字:わづかの身命を助くると雖。食物乏くして憂強し。年貢借物不足して妻子を売り。生きながら別れて遠国に趣き。其悲と思ひやるべし。亦世に零落たる人妻子を育ゑかね。望々深く諂ふを見て。賤む事有べからず。其人に成て見よ。亦非人乞食飢寒の憂ひに苦々。野山に伏し一生を送る有様。不便なるに非ずや。亦幼者の科なき心を能受べし。彼を嚇し痛む事有べからず。哀む心則ち身心衰へ病ひと成と云へり。温しき者の病も七情より起るとなり。されば鳥獣を籠に入れ。繋ぎ苦めて目を悦ばすこと。彼が心を知らざる故なり。野山を思ふ憂ひ切なるべし。心ある人是を憐まざらんや。亦殺生を好むこと仁の心なき故なり。短命は殺生より来ると云へり。我命のをしきを知ば。小き虫ゟ至る迄心を止めて見よ。子を思ひ夫婦をねたみ。命と惜むこと偏に愚痴なれば。人間よりも優りて甚しかるべし。賢聖の教を受けて道理を知り。常に修し行する人間さへ。我執強く命を惜むこと限なし。況や愚痴一偏の畜類に於てをや。顧みずは有るべからず。惣じて人の憂を知れ。万物隔たると雖。本来の心は一なり。何れを自他と云はんや。愚人の前にては人我の隔あり。聖人の前にては自他の差別なし。さる程に誠の人は情を先として憐深し。釈尊は三界の衆生を一子の如く憐み玉ふなり。かたゞけなきに非ずや。一如の水流れて万波と分る。仮令は天上の一月万水に移るが如く。人々の性亦是に異らず。されば賤むべき物もなく。隔つべき物もなし。一切衆生悉有仏性の理を悟るべし。歌に庭ゟ生ふちり〱草の露までも影をほそめて宿る月かな
書き下し
わづかの身命を助くると雖。食物乏くして憂強し。年貢借物不足して妻子を売り。生きながら別れて遠国に趣き。其悲と思ひやるべし。亦世に零落たる人妻子を育ゑかね。望々深く諂ふを見て。賤む事有べからず。其人に成て見よ。亦非人乞食飢寒の憂ひに苦々。野山に伏し一生を送る有様。不便なるに非ずや。亦幼者の科なき心を能受べし。彼を嚇し痛む事有べからず。哀む心則ち身心衰へ病ひと成と云へり。温しき者の病も七情より起るとなり。されば鳥獣を籠に入れ。繋ぎ苦めて目を悦ばすこと。彼が心を知らざる故なり。野山を思ふ憂ひ切なるべし。心ある人是を憐まざらんや。亦殺生を好むこと仁の心なき故なり。短命は殺生より来ると云へり。我命のをしきを知ば。小き虫より至る迄心を止めて見よ。子を思ひ夫婦をねたみ。命と惜むこと偏に愚痴なれば。人間よりも優りて甚しかるべし。賢聖の教を受けて道理を知り。常に修し行する人間さへ。我執強く命を惜むこと限なし。況や愚痴一偏の畜類に於てをや。顧みずは有るべからず。惣じて人の憂を知れ。万物隔たると雖。本来の心は一なり。何れを自他と云はんや。愚人の前にては人我の隔あり。聖人の前にては自他の差別なし。さる程に誠の人は情を先として憐深し。釈尊は三界の衆生を一子の如く憐み玉ふなり。かたゞけなきに非ずや。一如の水流れて万波と分る。仮令は天上の一月万水に移るが如く。人々の性亦是に異らず。されば賤むべき物もなく。隔つべき物もなし。一切衆生悉有仏性の理を悟るべし。歌に庭より生ふちり〱草の露までも影をほそめて宿る月かな
現代語訳
わずかな身命を助けることさえ、食べ物が乏しくて憂いが強い。年貢や借り物が不足して妻子を売り、生きながら別れて遠い国へ行く。その悲しみを思いやりなさい。また、世に零落した人が妻子を育てかねて、望みを深く抱いて人にへつらうのを見て、卑しんではなりません。その人の身になって見なさい。また、非人や乞食が飢えと寒さの憂いに苦しみ、野山に伏して一生を送る有様は、不憫ではないでしょうか。また、幼い者の罪のない心をよく受け止めなさい。彼を脅したり痛めつけたりしてはなりません。哀しむ心があると身も心も衰えて病になると言います。穏やかな者の病も七情から起こるのです。ですから鳥や獣を籠に入れ、つないで苦しめ、目を楽しませることは、彼らの心を知らないからです。野山を思う憂いは切実でしょう。心ある人はこれを憐れまないでしょうか。また、殺生を好むのは、仁の心がないからです。短命は殺生から来ると言います。自分の命が惜しいと知るなら、小さな虫に至るまで心を留めて見なさい。子を思い、夫婦を妬み、命を惜しむことは、ひとえに愚かさゆえで、人間よりもかえって甚だしいでしょう。賢人聖人の教えを受けて道理を知り、いつも修行している人間でさえ、我執が強く命を惜しむことは限りがありません。まして愚かさ一辺倒の畜類ならなおさらです。顧みないではあり得ません。総じて人の憂いを知りなさい。万物は隔たっているようでも、本来の心は一つです。どれを自他と言えましょうか。愚かな人の前では人と我の隔てがあり、聖人の前では自他の差別がありません。ですから誠の人は情を先にして憐れみ深いのです。釈尊は三界の衆生を一人子のように憐れんでくださいます。かたじけないことではありませんか。一如の水が流れて万の波と分かれる。たとえば天上の一つの月が万の水に映るように、人々の本性もこれと異なりません。ですから卑しむべき物もなく、隔てるべき物もありません。一切衆生悉有仏性の道理を悟りなさい。歌に、「庭に生えるちりちり草の露にまで、影を細めて宿る月だ」とあります。(庭の小さな草の露にも月は宿る、つまりどんなに小さなものにも仏性が宿るという意味です。)
解説
この章句が説くこと
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盲安杖・第三条・物毎に他の心に至るべき事・前半物毎に他の心に至れ。人を忘るゝことなかれ。先づ上四恩を知るべし。一には天地の恩。二には師の恩。三には国王の恩。四には父母の恩なり。天地の恩と云ふは四大を天地より仮り。大地に身を置き。衣服食物水火家財雑具等。皆以て天地の恩なり。顧みずは有るべからず。師の恩と云ふは。迷の凡夫三途の苦患を離れ。輪廻の業を免れ。仏果に至るべき諸の教の恩あり。言にはかりなし。国王の恩と云ふは。乱世にして人民身の置所なく。盗賊狼藉の悪党国に満ちて。近里の道路自由ならず。昼夜心の油断なく。戦ふ心はかりにて。さながら鬼畜に異らず。然るに国王国を平らげ玉ひ。政道正しき御代となり。仁義五常も行はれ諸民の心正路にて。学はずして道に近し。身の置所広くして。渡世の営み品々自由なり。此恩徳を知らざらんや。父母の恩と云ふは。母の胎内にやどり十月の苦患をかけ。生れ出しより昼夜乳哺養育に心を尽し。人と成せし恩なり。具に父母恩重経に見えたり。亦衆生恩あり。農人の恩。諸職人の恩。衣類紡績の恩。商人の恩。一切の所作互に相助けらるゝ恩。たしかに是を知て人を隔つること有るべからず。惣じて他の心を能く受くべし。されば主人に向ふ時は主人の心に至りて。我が行ひの至らざるを知れ。下人に向ふ時は下人の心に至りて。万事苦を知れ。日夜心の油断なく極熱飢寒の憂ひ。身の疲れ心の悩み時々に思ひ知るべし。士民百姓等昼夜の営に。身心を苦め五穀を作出し。国土の人民を養ふ。一粒の米に百手の数あたると云へり。如此の苦悩忘るべからず。其上一人の稼を以て数多の眷属を養ひ。
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