武士道 / 第七章 至誠信實・馬鹿と御嘲り被下度候
而して予は我國商人も亦た此理を學びつゝあるものなりと言はんのみ。餘說は此れに關するナップ及びランソム二氏の明快的確なる批評判斷に讓る。たゞ爰に特記すべきは、商人すら、債務を起すに當り、正直と名譽とを標して、證書に記入すべき最も確實なる保證なりとしたること是れなり。證文中に、『恩借の金子御返濟相怠り候節は、衆人稠坐の前にて御笑ひなされ候とも不苦候』とか、『御返済相致さヾる節は、馬鹿と御嘲り被下度候』等の語を加ふるは、其常とする所なりしなり。子は屢ば武士道の誠は、之れが動機の存する所勇よりも更に高尙なるものに在りしや否やを疑ふものなり。日本――には僞の證を立つること勿れとの〓戒無きを以て、虛言を罪として責むる事無かりしと雖單に之を薄志弱行に歸して擯斥し、從つて甚だ不名譽なりとしたり。
新字:而して予は我国商人も亦た此理を学びつゝあるものなりと言はんのみ。余説は此れに関するナップ及びランソム二氏の明快的確なる批評判断に譲る。たゞ爰に特記すべきは、商人すら、債務を起すに当り、正直と名誉とを標して、証書に記入すべき最も確実なる保証なりとしたること是れなり。証文中に、『恩借の金子御返済相怠り候節は、衆人稠坐の前にて御笑ひなされ候とも不苦候』とか、『御返済相致さヾる節は、馬鹿と御嘲り被下度候』等の語を加ふるは、其常とする所なりしなり。子は屡ば武士道の誠は、之れが動機の存する所勇よりも更に高尚なるものに在りしや否やを疑ふものなり。日本――には偽の証を立つること勿れとの〓戒無きを以て、虚言を罪として責むる事無かりしと雖単に之を薄志弱行に帰して擯斥し、従つて甚だ不名誉なりとしたり。
書き下し
而して予は我国商人も亦た此理を学びつつあるものなりと言はんのみ。余説は此れに関するナップ及びランソム二氏の明快的確なる批評判断に譲る。ただここに特記すべきは、商人すら、債務を起すに当り、正直と名誉とを標して、証書に記入すべき最も確実なる保証なりとしたること是れなり。証文中に、『恩借の金子御返済相怠り候節は、衆人稠坐の前にて御笑ひなされ候とも不苦候』とか、『御返済相致さざる節は、馬鹿と御嘲り被下度候』等の語を加ふるは、其常とする所なりしなり。予はしばしば、武士道の誠は、之れが動機の存する所、勇よりも更に高尚なるものに在りしや否やを疑ふものなり。日本には偽の証を立つること勿れとの(明)戒無きを以て、虚言を罪として責むる事無かりしと雖も、単に之を薄志弱行に帰して擯斥し、従つて甚だ不名誉なりとしたり。
現代語訳
そして私は、わが国の商人もまたこの道理を学びつつあるのだと言うにとどめよう。そのほかの話は、これに関するナップとランサム二氏の明快で的確な批評と判断に譲る。ただここで特に記しておくべきは、商人でさえ、借金をするときに、正直と名誉とを掲げて、証文に書き入れるもっとも確かな保証としたことである。証文の中に、「お借りした金子の返済を怠ったときは、大勢の人が居並ぶ前でお笑いになってもかまいません」とか、「返済しなかったときは、馬鹿とおあざけりください」などの言葉を加えるのが、普通のことであった。私はしばしば、武士道の誠は、その動機のあるところが、勇よりもさらに高尚なものにあったのかどうかを疑う。日本には「偽りの証言を立ててはならない」という(明)文の戒めがなかったので、うそを罪として責めることはなかったが、ただこれを意志が弱く行いが伴わないこととして退け、そのためにたいへん不名誉なこととした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二記に云ふ、説を勦ること毋かれ、と。蓋し他人の説を攬り取りて、以て己が説と為す、之を勦説と謂ふ。夫れ他人の財を窃むすら、猶ほ之を盗と謂ふ。然るを況んや他人の美を掠め取りて、以て己が美と為すをや。賤しむべきの甚だしきなり。先輩長者に好んで人の言を取りて之を用ゐる者有り、人に告げて曰く、惟れ吾が謀に非ず、誰某の説なり、と。是れ言を取るの法と為すべし。然るに近世中華の才子も、亦た往々にして前輩の説を攬り取りて、以て己が説と為す者有り。其の志懾し。近世の薄俗、本邦の人も、往々にして亦た此くの如し。恥を知らざるの甚だしきなり。
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
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