名将言行録 / 『名将言行録』眞田幸村 夜討ちの議論
○元和元年、東西の和睦既に破れ、關東の大軍伏見まで着すると聞えしかば、秀賴諸將を集め、軍議す。幸村、家康の軍立は常にはやりたると承はりしが、少しも違はず、其故は只今伏見へ着陣して軍兵の疲をも休めずして、早や茶磨山に押寄すべきとの沙汰、はやり過たるに候はずや、伏見より大和路を押すに、行程十三里なり、彌々疲れぬべし、然らば明夜は東國勢共如何に存ずるとも、冑を枕とし一眠せぬことや候べき、是夜討すべき圖に當れりと存ずるなり、幸村罷向て一擧に勝敗を決すべしと申ければ、後藤基次進み出て、如何にも此謀然るべし、去れども眞田殿を以て夜討の大將とせんに、萬に一つ討死あらん時には、諸人の力落しなるべし、抑々今度諸國の浪人ども馳集まること、偏に眞田殿一人を以て目當に仕りしなり、去らば、夜討には斯く申す基次に仰付られかしと申に、幸村は兎角我等向候べしと言ふ。基次は後の合戰大事なれば、是非とも眞田殿には御殘りあるべしと爭論して終に一決せずして止みにけり。
新字:○元和元年、東西の和睦既に破れ、関東の大軍伏見まで着すると聞えしかば、秀頼諸将を集め、軍議す。幸村、家康の軍立は常にはやりたると承はりしが、少しも違はず、其故は只今伏見へ着陣して軍兵の疲をも休めずして、早や茶磨山に押寄すべきとの沙汰、はやり過たるに候はずや、伏見より大和路を押すに、行程十三里なり、弥々疲れぬべし、然らば明夜は東国勢共如何に存ずるとも、冑を枕とし一眠せぬことや候べき、是夜討すべき図に当れりと存ずるなり、幸村罷向て一挙に勝敗を決すべしと申ければ、後藤基次進み出て、如何にも此謀然るべし、去れども真田殿を以て夜討の大将とせんに、万に一つ討死あらん時には、諸人の力落しなるべし、抑々今度諸国の浪人ども馳集まること、偏に真田殿一人を以て目当に仕りしなり、去らば、夜討には斯く申す基次に仰付られかしと申に、幸村は兎角我等向候べしと言ふ。基次は後の合戦大事なれば、是非とも真田殿には御残りあるべしと争論して終に一決せずして止みにけり。
書き下し
○元和元年、東西の和睦既に破れ、關東の大軍伏見まで着すると聞えしかば、秀賴諸將を集め、軍議す。幸村、家康の軍立は常にはやりたると承はりしが、少しも違はず、其故は只今伏見へ着陣して軍兵の疲をも休めずして、早や茶磨山に押寄すべきとの沙汰、はやり過たるに候はずや、伏見より大和路を押すに、行程十三里なり、彌々疲れぬべし、然らば明夜は東國勢共如何に存ずるとも、冑を枕とし一眠せぬことや候べき、是夜討すべき圖に當れりと存ずるなり、幸村罷向て一擧に勝敗を決すべしと申ければ、後藤基次進み出て、如何にも此謀然るべし、去れども眞田殿を以て夜討の大將とせんに、萬に一つ討死あらん時には、諸人の力落しなるべし、抑々今度諸國の浪人ども馳集まること、偏に眞田殿一人を以て目當に仕りしなり、去らば、夜討には斯く申す基次に仰付られかしと申に、幸村は兎角我等向候べしと言ふ。基次は後の合戰大事なれば、是非とも眞田殿には御殘りあるべしと爭論して終に一決せずして止みにけり。
現代語訳
元和元年、東西の和睦はすでに破れ、関東の大軍が伏見まで着いたと聞こえたので、秀頼は諸将を集めて軍議をしました。幸村は言いました。家康の軍の進め方は、常に先を急ぐと承っていますが、少しも違いません。そのわけは、ただ今伏見に着陣して、軍兵の疲れも休めずに、すぐに茶臼山へ押し寄せようという話は、逸りすぎではございませんか。伏見から大和路を押し進むのは、行程十三里で、いよいよ疲れましょう。そうであれば、明夜は東国勢もどう存じようとも、兜を枕に一眠りしないことがありましょうか。これは夜討ちをすべき局面に当たると存じます。幸村が出向いて、一挙に勝敗を決しましょう、と申しました。後藤基次が進み出て、いかにもこの策はよろしゅうございます。しかし、真田殿を夜討ちの大将としても、万に一つ討ち死にがありましたなら、諸人は力を落とすでしょう。そもそも今度、諸国の浪人どもが馳せ集まったのは、ひとえに真田殿一人を目当てにしてのことです。されば、夜討ちには、このように申す基次にお命じください、と申しました。幸村は、ともかく私が向かいましょうと言いました。基次は、後の合戦が大事ですから、ぜひとも真田殿はお残りくださいと言い争って、ついに一決せずに終わりました。
解説

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