名将言行録 / 『名将言行録』後藤基次 差図をめぐる一言
○此役、宇喜田秀家の兵七八十人亂れ足になりて、福島正則、先手福島丹波守治重が備前を通りしが、地形早くして治重手より見付けず、正則旗本より見付け、使を以て治重に知らせし故、治重五六十人若者を遣はし、秀家が兵を追掛けさせたり。其所へ基次乘來り退後れたる敵七八十、向を横切り通るなり、能き仕物なれば追斷けさせ、若者共に取らせ候へと言ふ。治重は笑つて居る、然る所へ先へ遣はしたる五六十人の若者共、皆首を取て返る、基次笑て、ぬからぬ丹波哉と感じて歸る。後に世間にては、又兵衞、丹波に差圖して高名させたり、丹波が首數は又兵衞が影なりと沙汰せり。治重之を聞き、疑ひもなく基次が過言と奇怪に存じ、何つぞ對面の時分をと心掛居るに、基次、黑田家を去り上方へ上るとて、宮島に船掛りして居る。治重、正則が使として往きし序此事を申出し、其方申されたるや否や、承はりたしと言ければ、基次冷笑ひ少しも騷がずして、貴殿と我等と武邊牛角なり、戰場に臨みて合戰をするに、貴殿の差圖を我等請け候らはんや、然る時は我等差圖を何にとて貴殿請け申さるべきや、むざとしたることを申さるゝもの哉と返答す。治重一言に閉口す。歸りて傍輩に語て曰く、外の者ならば色々申譯をすべきに、又兵衞一言にて我を詰りたり、是に由て之を視れば、我より高知を望むが道理なり、偕々勇材の者哉と言て感稱せり。
新字:○此役、宇喜田秀家の兵七八十人乱れ足になりて、福島正則、先手福島丹波守治重が備前を通りしが、地形早くして治重手より見付けず、正則旗本より見付け、使を以て治重に知らせし故、治重五六十人若者を遣はし、秀家が兵を追掛けさせたり。其所へ基次乗来り退後れたる敵七八十、向を横切り通るなり、能き仕物なれば追断けさせ、若者共に取らせ候へと言ふ。治重は笑つて居る、然る所へ先へ遣はしたる五六十人の若者共、皆首を取て返る、基次笑て、ぬからぬ丹波哉と感じて帰る。後に世間にては、又兵衛、丹波に差図して高名させたり、丹波が首数は又兵衛が影なりと沙汰せり。治重之を聞き、疑ひもなく基次が過言と奇怪に存じ、何つぞ対面の時分をと心掛居るに、基次、黒田家を去り上方へ上るとて、宮島に船掛りして居る。治重、正則が使として往きし序此事を申出し、其方申されたるや否や、承はりたしと言ければ、基次冷笑ひ少しも騷がずして、貴殿と我等と武辺牛角なり、戦場に臨みて合戦をするに、貴殿の差図を我等請け候らはんや、然る時は我等差図を何にとて貴殿請け申さるべきや、むざとしたることを申さるゝもの哉と返答す。治重一言に閉口す。帰りて傍輩に語て曰く、外の者ならば色々申訳をすべきに、又兵衛一言にて我を詰りたり、是に由て之を視れば、我より高知を望むが道理なり、偕々勇材の者哉と言て感称せり。
書き下し
○此役、宇喜田秀家の兵七八十人亂れ足になりて、福島正則、先手福島丹波守治重が備前を通りしが、地形早くして治重手より見付けず、正則旗本より見付け、使を以て治重に知らせし故、治重五六十人若者を遣はし、秀家が兵を追掛けさせたり。其所へ基次乘來り退後れたる敵七八十、向を横切り通るなり、能き仕物なれば追斷けさせ、若者共に取らせ候へと言ふ。治重は笑つて居る、然る所へ先へ遣はしたる五六十人の若者共、皆首を取て返る、基次笑て、ぬからぬ丹波哉と感じて歸る。後に世間にては、又兵衞、丹波に差圖して高名させたり、丹波が首數は又兵衞が影なりと沙汰せり。治重之を聞き、疑ひもなく基次が過言と奇怪に存じ、何つぞ對面の時分をと心掛居るに、基次、黑田家を去り上方へ上るとて、宮島に船掛りして居る。治重、正則が使として往きし序此事を申出し、其方申されたるや否や、承はりたしと言ければ、基次冷笑ひ少しも騷がずして、貴殿と我等と武邊牛角なり、戰場に臨みて合戰をするに、貴殿の差圖を我等請け候らはんや、然る時は我等差圖を何にとて貴殿請け申さるべきや、むざとしたることを申さるゝもの哉と返答す。治重一言に閉口す。歸りて傍輩に語て曰く、外の者ならば色々申譯をすべきに、又兵衞一言にて我を詰りたり、是に由て之を視れば、我より高知を望むが道理なり、偕々勇材の者哉と言て感稱せり。
現代語訳
この戦で、宇喜多秀家の兵七、八十人が乱れた足取りで、福島正則の先手である福島丹波守治重の備えの前を通りました。地形が低く、治重の手からは見つけられず、正則の旗本から見つけて、使いを出して治重に知らせたので、治重は五、六十人の若者を遣わして、秀家の兵を追いかけさせました。そこへ基次が馬で乗って来て、退き遅れた敵七、八十人が前を横切って通っている、良い獲物だから追い斬らせて、若者たちに取らせなさいと言いました。治重は笑っていました。そうするうちに先へ遣わした五、六十人の若者たちが皆、首を取って帰ってきました。基次は笑って、抜かりのない丹波殿よと感心して帰りました。後に世間では、又兵衛が丹波に差図して手柄を立てさせた、丹波の首の数は又兵衛の影のようなものだと言われました。治重はこれを聞き、疑いなく基次の過言だと不愉快に思い、いつか対面する折をと心がけておりましたところ、基次が黒田家を去って上方へ上るとき、宮島に船掛かりしていました。治重は正則の使いとして行ったついでにこのことを持ち出し、あなたが言われたのかどうかお尋ねしたいと言うと、基次は冷笑して少しも騒がず、貴殿と我らとは武辺が互角です、戦場に臨んで合戦をするのに、貴殿の差図を我らが受けましょうか、そのとき我らの差図を、どうして貴殿が受けられましょうか、むやみなことを申されるものよ、と返答しました。治重は一言で黙りました。帰って仲間に語って言いました。他の者ならいろいろ言い訳をするだろうに、又兵衛は一言で私を詰めた、これで見れば、私より高い知行を望むのが道理だ、まことに勇ましい人物であると言って感心しました。
解説

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