呻吟語 / 外篇・品藻・易信の心を以て不實の言を聽く
人言之不實者十九,聽言而易信者十九,聽言而易傳者十九。以易信之心,聽不實之言,播喜傳之口,何由何跖?而流傳海內,紀載史冊,冤者冤,幸者幸。嗚呼!難言之矣。
新字:人言之不実者十九,聴言而易信者十九,聴言而易伝者十九。以易信之心,聴不実之言,播喜伝之口,何由何跖?而流伝海内,紀載史冊,冤者冤,幸者幸。嗚呼!難言之矣。
書き下し
人言の實ならざる者は十に九、言を聽きて信じ易き者は十に九、言を聽きて傳へ易き者は十に九なり。易信の心を以て、不實の言を聽き、喜傳の口に播せば、何に由りて何に跖せん。而して海內に流傳し、史冊に紀載せば、冤なる者は冤、幸なる者は幸なり。嗚呼、言ひ難きかな。
現代語訳
人の言葉で本当でないものが十のうち九、聞いてすぐ信じてしまう者が十のうち九、聞いてすぐ伝えてしまう者が十のうち九です。信じやすい心で本当でない言葉を聞き、伝えたがる口に流せば、どこから来てどこへ行くのでしょうか。それが国じゅうに広まり史書に記されれば、冤罪の者は冤罪のまま、まぐれの者はまぐれのままです。ああ、言い表しがたいことです。
解説
噂が広まる仕組みを、三つの九割で示します。嘘が九割、信じるのが九割、伝えるのが九割。掛け合わせれば、正確に伝わることはほとんどありません。そして史書に記されれば冤罪が固定されると続きます。数字で示されているので、伝聞の当てにならなさが具体的に見えてくる一段です。数字で示されるので、伝聞の当てにならなさが具体的に見えます。
この章句が説くこと
噂九割伝聞冤罪記録
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