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名将言行録 / 『名将言行録』木村重成 家康への誓紙の使者

○東西和睦成る。秀賴、重成をして誓に涖ましむ。十二月二十二日、重成白小袖の上に淺黄小袖、麻上下を着し、蘆毛の馬に乘り、文箱を淺黃の服紗に包み頸に掛け、供の從者七人、郡主馬首良列は二百餘騎、小具足にて跡に從ふ。二の丸水の手門天王寺口より茶磨山に至り、京極若狹守忠高、案内し、本陣の門前にて各々下馬し、玄關に本多上野介正純出向ふ。家康の側には、松平右衞門大夫正綱、秋元但馬守泰朝、成瀨隼人正正成、安藤帶刀直次等侍座し、重成をば書院中央に通し、良列は次の間に留まる。同朋徳阿彌茵を上段に敷く、鳥居左京亮忠政、脇差を持出で側に置く、刀を竹腰山城守正信之を持つ、家康は綿子の上に茶色縮緬の小袖、同色胴服綸子の袴、茶縮緬の頭巾を着す。正純家康前に參り、重成參上の由申す。重成家康前に進み、少しも臆せず、今度不慮の一亂に及びし所、御和睦に相成り、萬事御仁慮を以て太平の基を開かれ、大慶之に過ぎずとて、ものごとに御印拜見の爲め、恐ながら某を差遣ぜられ候と申終て平伏す。家康聞て、和睦の上は其儀に及ばずと雖も、天下靜謐の爲めとあれば、默止すべきにあらずとて、舌の端を小しきり、其血を盟書に灑がれければ、正純取て重成に投く、重成其臺ともに押戴き委しく拜見して、卷納め、文箱に納む。其時鳥居忠政慰斗を持出る。伊奈筑後守忠政、家康の手代りして、其慰斗を重成に授く。其時家康、重成に、汝は常陸が子かと尋ねらる。さん候と答ふ。實にも面ざゝの能く似たることかな、汝が父も秀次關白に仕へ忠義の者なりしが、石田が讒にて無實の罪に身を失へり。弓箭取る物程哀れなるものはなし、汝が父の仇をば我打取りしぞ、疎くな思ひそと言はる。重成盟書を押戴き、文箱を手に持て退出す。始め重成玄關に參りし時、大小名群居の中に、禮を施さず打通りしが、歸路には跪き、先刻は秀賴公御詞を申述ざる間故、各々へ一禮に及ばざりしこと御免を蒙るべしと挨拶す。

新字:○東西和睦成る。秀頼、重成をして誓に涖ましむ。十二月二十二日、重成白小袖の上に浅黄小袖、麻上下を着し、蘆毛の馬に乗り、文箱を浅黄の服紗に包み頸に掛け、供の従者七人、郡主馬首良列は二百余騎、小具足にて跡に従ふ。二の丸水の手門天王寺口より茶磨山に至り、京極若狭守忠高、案内し、本陣の門前にて各々下馬し、玄関に本多上野介正純出向ふ。家康の側には、松平右衛門大夫正綱、秋元但馬守泰朝、成瀨隼人正正成、安藤帯刀直次等侍座し、重成をば書院中央に通し、良列は次の間に留まる。同朋徳阿弥茵を上段に敷く、鳥居左京亮忠政、脇差を持出で側に置く、刀を竹腰山城守正信之を持つ、家康は綿子の上に茶色縮緬の小袖、同色胴服綸子の袴、茶縮緬の頭巾を着す。正純家康前に参り、重成参上の由申す。重成家康前に進み、少しも臆せず、今度不慮の一乱に及びし所、御和睦に相成り、万事御仁慮を以て太平の基を開かれ、大慶之に過ぎずとて、ものごとに御印拝見の為め、恐ながら某を差遣ぜられ候と申終て平伏す。家康聞て、和睦の上は其儀に及ばずと雖も、天下静謐の為めとあれば、黙止すべきにあらずとて、舌の端を小しきり、其血を盟書に灑がれければ、正純取て重成に投く、重成其台ともに押戴き委しく拝見して、巻納め、文箱に納む。其時鳥居忠政慰斗を持出る。伊奈筑後守忠政、家康の手代りして、其慰斗を重成に授く。其時家康、重成に、汝は常陸が子かと尋ねらる。さん候と答ふ。実にも面ざゝの能く似たることかな、汝が父も秀次関白に仕へ忠義の者なりしが、石田が讒にて無実の罪に身を失へり。弓箭取る物程哀れなるものはなし、汝が父の仇をば我打取りしぞ、疎くな思ひそと言はる。重成盟書を押戴き、文箱を手に持て退出す。始め重成玄関に参りし時、大小名群居の中に、礼を施さず打通りしが、帰路には跪き、先刻は秀頼公御詞を申述ざる間故、各々へ一礼に及ばざりしこと御免を蒙るべしと挨拶す。

書き下し

○東西和睦成る。秀賴、重成をして誓に涖ましむ。十二月二十二日、重成白小袖の上に淺黄小袖、麻上下を着し、蘆毛の馬に乘り、文箱を淺黃の服紗に包み頸に掛け、供の從者七人、郡主馬首良列は二百餘騎、小具足にて跡に從ふ。二の丸水の手門天王寺口より茶磨山に至り、京極若狹守忠高、案内し、本陣の門前にて各々下馬し、玄關に本多上野介正純出向ふ。家康の側には、松平右衞門大夫正綱、秋元但馬守泰朝、成瀨隼人正正成、安藤帶刀直次等侍座し、重成をば書院中央に通し、良列は次の間に留まる。同朋徳阿彌茵を上段に敷く、鳥居左京亮忠政、脇差を持出で側に置く、刀を竹腰山城守正信之を持つ、家康は綿子の上に茶色縮緬の小袖、同色胴服綸子の袴、茶縮緬の頭巾を着す。正純家康前に參り、重成參上の由申す。重成家康前に進み、少しも臆せず、今度不慮の一亂に及びし所、御和睦に相成り、萬事御仁慮を以て太平の基を開かれ、大慶之に過ぎずとて、ものごとに御印拜見の爲め、恐ながら某を差遣ぜられ候と申終て平伏す。家康聞て、和睦の上は其儀に及ばずと雖も、天下靜謐の爲めとあれば、默止すべきにあらずとて、舌の端を小しきり、其血を盟書に灑がれければ、正純取て重成に投く、重成其臺ともに押戴き委しく拜見して、卷納め、文箱に納む。其時鳥居忠政慰斗を持出る。伊奈筑後守忠政、家康の手代りして、其慰斗を重成に授く。其時家康、重成に、汝は常陸が子かと尋ねらる。さん候と答ふ。實にも面ざゝの能く似たることかな、汝が父も秀次關白に仕へ忠義の者なりしが、石田が讒にて無實の罪に身を失へり。弓箭取る物程哀れなるものはなし、汝が父の仇をば我打取りしぞ、疎くな思ひそと言はる。重成盟書を押戴き、文箱を手に持て退出す。始め重成玄關に參りし時、大小名群居の中に、禮を施さず打通りしが、歸路には跪き、先刻は秀賴公御詞を申述ざる間故、各々へ一禮に及ばざりしこと御免を蒙るべしと挨拶す。

現代語訳

○東西の和睦が成立しました。秀頼は重成を誓紙の立ち会いに遣わしました。十二月二十二日、重成は白小袖の上に浅黄の小袖、麻の裃を着て、葦毛の馬に乗り、文箱を浅黄の袱紗に包んで首に掛け、供の従者は七人、郡主馬首良列は二百余騎、小具足の姿で後に従いました。二の丸の水の手門、天王寺口から茶臼山に至り、京極若狭守忠高が案内し、本陣の門前でそれぞれ下馬し、玄関に本多上野介正純が出迎えました。家康の側には、松平右衛門大夫正綱、秋元但馬守泰朝、成瀬隼人正正成、安藤帯刀直次らが控えて座っていました。重成は書院の中央に通され、良列は次の間に留まりました。同朋の徳阿弥が茵を上段に敷き、鳥居左京亮忠政が脇差を持ち出して側に置き、刀は竹腰山城守正信が持ちました。家康は綿子の上に茶色縮緬の小袖、同じ色の胴服、綸子の袴、茶縮緬の頭巾を着ていました。正純が家康の前に参り、重成が参上した旨を申し上げました。重成は家康の前に進み、少しも臆することなく、このたび不慮の一乱に及びましたが、ご和睦となり、万事ご仁慮をもって太平の基を開かれ、大慶これに過ぎません。つきましては御印を拝見するため、恐れながら私を遣わされましたと申し終えて平伏しました。家康は聞いて、和睦の上はその儀には及ばないが、天下静謐のためとあれば、黙っていてよいことではないとて、舌の先を少し噛み、その血を盟書に灑がれたので、正純が取って重成に投げました。重成はその台とともに押し戴き、詳しく拝見して、巻き納め、文箱に納めました。そのとき鳥居忠政が慰斗を持ち出し、伊奈筑後守忠政が家康の手代わりに、その慰斗を重成に授けました。そのとき家康は重成に、汝は常陸の子かと尋ねられました。さようですと答えました。まことに面ざしがよく似ていることよ。汝の父も秀次関白に仕えた忠義の者であったが、石田の讒言で無実の罪に身を失った。弓矢取る者ほど哀れなものはない。汝の父の仇を、私が討ち取ったのだ、疎かには思うなと言われました。重成は盟書を押し戴き、文箱を手に持って退出しました。初め重成が玄関に参ったとき、大小名が群れ居る中に、礼もせずに打ち通りましたが、帰りには跪き、先刻は秀頼公のお言葉を申し述べないうちでしたので、各々方への一礼に及びませんでした。ご容赦くださいと挨拶しました。

解説

大坂冬の陣の和睦後、重成が秀頼の使者として家康の陣に赴き、誓紙を受け取る場面です。家康のそばには重臣がずらりと座っていましたが、重成は少しも臆さず、使者としての役目を果たしたと伝わります。注目点は、使命を帯びている間は一礼もせずに通り、役目を終えてから丁重に挨拶し直した筋の通し方です。立場と礼儀を使い分ける姿勢が、相手方の諸将にも強い印象を残したと語られます。服装や座席などの描写は読み物としての脚色を含みうるものです。交渉の場で、役目を果たすまでは主君の名代として振る舞う意識の持ち方を学べます。
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この章句が説くこと

誓紙使者家康茶臼山礼儀名代

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