酔古堂剣掃 / 集靈・終に泥塑の人と成る
子弟排場,有舉止而謝飛揚,難博纏頭之錦;主賓禦席,務廉隅而少蘊藉,終成泥塑之人。
書き下し
子弟の排場は、舉止有りて飛揚を謝すれば、纏頭の錦を博し難く、主賓の禦席は、廉隅を務めて蘊藉少なければ、終に泥塑の人と成る。
現代語訳
若者が芝居の舞台に立つとき、身のこなしは整っていても生き生きとした躍動感がなければ、ご祝儀の錦をもらうことは難しく、主人と客が宴席に着くとき、礼儀の角ばかりを守ってゆとりや含みがなければ、結局は泥人形のような人になってしまいます。
解説
形は整っていても生気のない振る舞いを戒めた一則です。排場は芝居の舞台や見せ場、飛揚は生き生きと躍動することです。纏頭の錦は、芸人の見事な芸に対して贈られるご祝儀のことです。禦席は宴席に着くこと、廉隅は角張った几帳面さ、蘊藉は内に含みを持ったゆとりや温かみです。泥塑の人は泥で作った人形で、形はあっても心の通わない人のたとえです。型どおりの動作や礼儀を守ることは大切ですが、それだけでは人の心を動かせません。仕事でも付き合いでも、形を整えたうえで、そこに自分らしい生気と温かみを加えることが、人を惹きつける秘訣なのでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
礼儀生気処世交友芸道
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名将言行録・『名将言行録』豐臣秀吉 大力の士にも礼を求める○此役、秀吉、沼津に宿陣す。時に小早川隆景の從兵、河田八助、楢崎十兵衞とて、大力の名を顯はしたる者あり。八助は大指物、十兵衞は十八端の母衣を掛けて通る。秀吉遙に見て、使番を以て其姓名を問はせける、命を受て乘付け、馬上より主將の仰なり、各姓名を申されよと言ふ。二士顧みて、返答なし、力及ばず馳歸つて斯くと申せば、秀吉、偖は汝下馬なくて名乘れと言たるならん、御敎書拜帶するか、兩陣勝負に掛る時か、其折には佛神の前にても下馬せぬ作法なり、左なくば何ぞ人に勝れたる大指物を指し、普通に超ゆる母衣を掛けたる士に下馬なきは無禮なり、返答せぬこそ理はりなれとて、餘人を以て下して、問はせければ、二士も又下馬して、各其姓名を名乘れり。 ○此役、秀吉、打越の銃丸、頭を擦る程に通ると大に驚きたり。夫を無念に思ひ、一人城方へ近く寄り、鐵砲の烈敷處にて、小便をせり。近臣竹束を持來り、勿體なきとて、矢表に立つ。秀吉運の者じやと言はれしとぞ。
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『政談』內曲輪外曲輪御門番の事内曲輪にて供の者に笠を脱かする事内曲輪外曲輪の御門にては笠を脱がすへし、馬乗は片鐙を外つし、乗物は女中病人の外は戸を明くへし、箱根等の関所にてさへ辞儀有り、畢竟御城の廓門なる故礼儀斯の如くなるへし、古礼には公門に式すと云ふこと有るなり、近頃内曲輪にて供のものに日照笠をかふらせさすこと是れは聞えさること也、惣して供のものゝ日照笠をかふると云ふこと昔はなきことなり、御先々前御代に下々の炎天に頭を照らせらるゝを不憫に思召して上意あるより、承り伝へ人々炎天に笠をかふせたり、されとも屹としたる仰渡れもなけれは、二三年の間はかふらするものもあり、かふらせぬものもあり、その主人〳〵の心次第也、後は一同に風俗となりてかふせたり、されとも其主人かふれと云はされは下々もかふらす、是れ元来己か主人への礼儀にてかふらぬと云ふ事を下々も知りて斯の如し、屹としたる仰渡されなとも元来かふらぬこと故、飛越して公儀より仰渡さるゝ筋にもあらす、