名将言行録 / 『名将言行録』木村重成 敵の若武者への心づかい
○十二月十三日、東軍壘に逼り鬨を喧とぞ揚たりける。重成櫓に上り一見して後、眞田幸村に逢ひ、只今某が持口に攻寄せたる關東勢の旗の紋、六文錢なり、定めて御一家とこそ存ずるなり、夫に付相尋ね申すは殊の外若輩なる武者二騎眞先に進みて弓銃を事ともせず、冑を傾け仕寄申す、何人の子にて候やらん、櫓より御覽賜はるべしとぞ申ける。幸村見申すに及ばず、如何にも六文錢の旗の紋は同苗伊豆守の紋なり、其先に進みて仕寄申す若輩者は、一人は河内守と申して十八歲、今一人は外記と申て十七歲、二人共に某が甥にて候、哀れ其者を侍分の人に仰付られて討取らせ賜はるべし、然らば十餘歲にて木村殿の持口にて討死致したると申名の後世に傳はらんには、一族の喜慶何事か之に過ぎ候はんと申す。重成聞て、左にあらず一族引分りての軍何にとて後日の御咎あるべきぞ、必ず御和睦に罷成りなば、目出度對面成さるべし、御心底察し申たりと言て、士卒に下知し必ず二騎の若武者を鳥銃にて打つべからず、隨分用捨致せと痛はりけり。
新字:○十二月十三日、東軍塁に逼り鬨を喧とぞ揚たりける。重成櫓に上り一見して後、真田幸村に逢ひ、只今某が持口に攻寄せたる関東勢の旗の紋、六文銭なり、定めて御一家とこそ存ずるなり、夫に付相尋ね申すは殊の外若輩なる武者二騎真先に進みて弓銃を事ともせず、冑を傾け仕寄申す、何人の子にて候やらん、櫓より御覧賜はるべしとぞ申ける。幸村見申すに及ばず、如何にも六文銭の旗の紋は同苗伊豆守の紋なり、其先に進みて仕寄申す若輩者は、一人は河内守と申して十八歳、今一人は外記と申て十七歳、二人共に某が甥にて候、哀れ其者を侍分の人に仰付られて討取らせ賜はるべし、然らば十余歳にて木村殿の持口にて討死致したると申名の後世に伝はらんには、一族の喜慶何事か之に過ぎ候はんと申す。重成聞て、左にあらず一族引分りての軍何にとて後日の御咎あるべきぞ、必ず御和睦に罷成りなば、目出度対面成さるべし、御心底察し申たりと言て、士卒に下知し必ず二騎の若武者を鳥銃にて打つべからず、随分用捨致せと痛はりけり。
書き下し
○十二月十三日、東軍壘に逼り鬨を喧とぞ揚たりける。重成櫓に上り一見して後、眞田幸村に逢ひ、只今某が持口に攻寄せたる關東勢の旗の紋、六文錢なり、定めて御一家とこそ存ずるなり、夫に付相尋ね申すは殊の外若輩なる武者二騎眞先に進みて弓銃を事ともせず、冑を傾け仕寄申す、何人の子にて候やらん、櫓より御覽賜はるべしとぞ申ける。幸村見申すに及ばず、如何にも六文錢の旗の紋は同苗伊豆守の紋なり、其先に進みて仕寄申す若輩者は、一人は河内守と申して十八歲、今一人は外記と申て十七歲、二人共に某が甥にて候、哀れ其者を侍分の人に仰付られて討取らせ賜はるべし、然らば十餘歲にて木村殿の持口にて討死致したると申名の後世に傳はらんには、一族の喜慶何事か之に過ぎ候はんと申す。重成聞て、左にあらず一族引分りての軍何にとて後日の御咎あるべきぞ、必ず御和睦に罷成りなば、目出度對面成さるべし、御心底察し申たりと言て、士卒に下知し必ず二騎の若武者を鳥銃にて打つべからず、隨分用捨致せと痛はりけり。
現代語訳
○十二月十三日、東軍が砦に迫り、鬨の声をあげました。重成は櫓に上って一見した後、真田幸村に会い、ただいま私の持ち口に攻め寄せた関東勢の旗の紋は六文銭です。きっとご一家でしょうと思います。それについてお尋ねしたいのは、とりわけ若い武者が二騎、真っ先に進んで弓や鉄砲をものともせず、兜を傾けて攻め寄せています。どなたの子でしょうか。櫓からご覧くださいと申しました。幸村は見るまでもなく、いかにも六文銭の旗の紋は同族の伊豆守の紋です。その先に進んで攻め寄せる若い者は、一人は河内守といって十八歳、もう一人は外記といって十七歳、二人とも私の甥です。どうか侍分の人にお命じになって討ち取らせてください。そうすれば、十余歳で木村殿の持ち口で討ち死にしたという名が後世に伝わりますから、一族の喜びはこれにまさるものはございません、と申しました。重成は聞いて、そうではありません。一族が分かれての戦をどうして後日お咎めがあるでしょうか。必ず和睦となれば、めでたく対面なさってください。お心の内は察しております、と言って、士卒に命じ、必ず二騎の若武者を鉄砲で撃ってはならない、できるだけ容赦するように、と労わりました。
解説

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