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史記 / 衛将軍驃騎列伝

驃騎将軍少くして侍中、貴く、士を省みず。其の従軍するや、天子為に太官をして数十乗を齎せしむ、既に還るや、重車に粱肉を餘棄するも、而して士に饑うる者有り。其の塞外に在るや、卒糧に乏しく、或いは自ら振ふ能はず、而して驃騎尚ほ域を穿ち鞠を蹋む。事多く此の類なり。大将軍為人仁善退譲、和柔を以て自ら上に媚ぶ、然れども天下未だ称する有らざるなり。

新字:驃騎将軍少くして侍中、貴く、士を省みず。其の従軍するや、天子為に太官をして数十乗を齎せしむ、既に還るや、重車に粱肉を余棄するも、而して士に饑うる者有り。其の塞外に在るや、卒糧に乏しく、或いは自ら振ふ能はず、而して驃騎尚ほ域を穿ち鞠を蹋む。事多く此の類なり。大将軍為人仁善退譲、和柔を以て自ら上に媚ぶ、然れども天下未だ称する有らざるなり。

書き下し

驃騎将軍少くして侍中、貴く、士を省みず。其の従軍するや、天子為に太官をして数十乗を齎せしむ、既に還るや、重車に粱肉を餘棄するも、而して士に饑うる者有り。其の塞外に在るや、卒糧に乏しく、或いは自ら振ふ能はざるに、而して驃騎尚ほ域を穿ち鞠を蹋む。事多く此の類なり。大将軍は為人仁善退譲、和柔を以て自ら上に媚ぶ、然れども天下未だ称する有らざるなり。

現代語訳

「どれほど有能でも、部下の苦しみに無頓着であれば、真の敬愛は得られない」——名将・霍去病の、見過ごせない欠点を率直に描いた一段です。司馬遷は、霍去病の輝かしい武功を描く一方で、その影の部分も正直に記します。霍去病は、若くして皇帝の側近となり、高い地位にあったため、兵士たちの労苦を顧みませんでした(不省士)。彼が従軍するとき、皇帝は宮廷の料理係に、数十台もの車で豪華な食料を持たせました。ところが遠征から帰るとき、その荷車には食べ残しの上等な穀物や肉が捨てられているのに、一方で兵士たちの中には飢えている者がいたのです。また塞外にあって、兵卒が食料に乏しく、立ち上がる力もないほど弱っているときにも、霍去病は自分は地面を掘って蹴鞠(けまり)に興じていた。こうしたことが、たびたびあったといいます。使命には純粋に一点集中しながら、足元の兵士たちの苦しみには、無頓着だったのです。ここで思い起こされるのが、対照的な名将・李広です。李広は、兵が飲み終えるまで水に口をつけず、兵と苦楽を共にしたからこそ、全軍に慕われました。同じ史記の中で、司馬遷はこの二人を、意図的に対比しています。ちなみに、叔父の大将軍・衛青は、人柄が温和で控えめでしたが、そのおとなしさで上に取り入るところがあり、天下から特に称賛されることはなかった、とも記されます。ここに、リーダーの資質についての教訓があります。第一に、どれほど有能で華々しい成果を上げても、部下の苦しみに無頓着であれば、真の敬愛は得られないということ。霍去病は、戦の天才でしたが、飢える兵の傍らで蹴鞠に興じるような無配慮ゆえに、李広のような心からの人望は得られなかった。第二に、上に立つ者は、自らが恵まれた立場にあるときこそ、足元の部下の労苦に目を配るべきだということ。豪華な食料を捨てながら兵を飢えさせる——この鈍感さが、組織の士気を蝕む。第三に、能力と人望は別物であり、部下と苦楽を共にする姿勢があってはじめて、能力が真の統率力になるということ。組織で、どれほど有能でも部下の苦しみに無頓着では敬愛されないと知ること、恵まれた立場にあるときこそ足元の労苦に目を配ること、そして能力に「苦楽を共にする姿勢」を伴わせてこそ真の統率になると理解すること——霍去病の欠点は、リーダーが陥りやすい盲点を、率直に教えます。

解説

あなたは、自分が優れた成果を上げているときほど、足元の部下たちの苦しみや労苦に、目を配れていますか?自分が恵まれた立場や環境にあるとき、その恩恵を独占して、部下を顧みない無配慮に陥っていませんか?能力や成果だけでなく、部下と苦楽を共にする姿勢があってはじめて、真の統率力になると理解していますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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