史記 / 衛将軍驃騎列伝
然少而侍中,貴,不省士。其從軍,天子為遣太官齎數十乘,既還,重車餘棄粱肉,而士有饑者。其在塞外,卒乏糧,或不能自振,而驃騎尚穿域蹋鞠。事多此類。大將軍為人仁善退讓,以和柔自媚於上,然天下未有稱也。驃騎將軍自四年軍後三年,
新字:然少而侍中,貴,不省士。其従軍,天子為遣太官齎数十乗,既還,重車余棄粱肉,而士有饑者。其在塞外,卒乏糧,或不能自振,而驃騎尚穿域蹋鞠。事多此類。大将軍為人仁善退譲,以和柔自媚於上,然天下未有称也。驃騎将軍自四年軍後三年,
書き下し
然れども少くして侍中たり、貴くして、士を省みず。其の軍に従ふや、天子為に太官をして数十乗を齎らしむ。既に還るに、重車に粱肉を余し棄つ。而して士に饑うる者有り。其の塞外に在るや、卒糧に乏しく、或いは自ら振るふ能はず。而るに驃騎は尚ほ域を穿ちて蹋鞠す。事此の類多し。大将軍の人と為りは仁善退譲にして、和柔を以て自ら上に媚ぶ。然れども天下未だ称する有らざるなり。驃騎将軍は四年の軍より後三年、
現代語訳
しかし霍去病は若くして侍中となり、高貴な身であったので、兵士をいたわることがなかった。従軍の際には、天子が霍去病のために宮中の料理を司る太官に数十台の車で食料を届けさせたが、帰還の時には、輸送車に上等の穀物や肉が余って捨てられていたのに、兵士の中には飢えている者がいた。長城の外にいた時、兵士が食糧に乏しく、自力で立ち上がれない者もいたのに、驃騎将軍はなお地面を掘って球技場を造り、蹴鞠をしていた。このような事が多かった。大将軍の人柄は情け深く善良でへりくだり、穏やかで柔和な態度で天子に気に入られていた。しかし天下に彼をたたえる者はいなかった。驃騎将軍は元狩四年の遠征から三年後、
解説
この章句が説くこと
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