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名将言行録 / 『名将言行録』藤堂高虎 殉死と国替えの遺言

○高虎、一つの箱を造りて書院に置き、領國伊賀、伊勢の士殉死せんと欲する者は、姓名を記して、此箱の中に入れよと言ければ簡を箱の中に入る者四十餘人あり。其後駿府にても、亦斯の如くするに三十餘人あり、高虎此簡を以て登城し、某が家人皆簡様に候、是某が子孫の代までも御先を承はらん時、御用に立つ者なり、願くは、上意を以て差止め候はんとて、家康の一覽に備へ、偕宿所に歸て斯く思ひ入れたる上は、殉死も同事なり、徳川公の嚴命背き難し、必ず思止まれと堅く制しけるに、一人右の腕に手に負て不具なる者あり、斯の如くなる身に候間、某は別儀を以て御免を蒙るべしと申す。家康聞かれ和泉は我世々の先手なり、下知に忤て強て殉殺せんと言はゞ、和泉が先手を取上ぐべしと言はれければ、彼者此上はとて止まりぬ。或時高虎、家康の座せられし所の障子を隔て土井利勝に對して曰く、我年老ぬ。我死せば我子大學頭高次、不肖なり、大事の地なれば、速かに國替を仰付られて然るべくとぞ語りける。利勝則ち言上す。家康、高虎を召て、其故を尋ねらる。高虎曰く、伊賀は上國にて然も國人勇氣あり、舟に乘て大和川を下れば、夜中に人知らずして大阪に到る。伊勢は近江、山城に鄰りて、是又大阪に師を出すに便ある地なり。斯る國を不肖の子に傳へ候はんこと、心許なく候、上意を承はりて死せば安堵仕るべしとて、國の繪圖を出しけるを、家康具に見られて、是他人を封ぜん國にあらず、彼の殉死せんと言ひし二心なき者共に守らせば、何ぞ思を勞することあらん、代々伊賀を易ゆべからずと言はれけるとぞ。

新字:○高虎、一つの箱を造りて書院に置き、領国伊賀、伊勢の士殉死せんと欲する者は、姓名を記して、此箱の中に入れよと言ければ簡を箱の中に入る者四十余人あり。其後駿府にても、亦斯の如くするに三十余人あり、高虎此簡を以て登城し、某が家人皆簡様に候、是某が子孫の代までも御先を承はらん時、御用に立つ者なり、願くは、上意を以て差止め候はんとて、家康の一覧に備へ、偕宿所に帰て斯く思ひ入れたる上は、殉死も同事なり、徳川公の厳命背き難し、必ず思止まれと堅く制しけるに、一人右の腕に手に負て不具なる者あり、斯の如くなる身に候間、某は別儀を以て御免を蒙るべしと申す。家康聞かれ和泉は我世々の先手なり、下知に忤て強て殉殺せんと言はゞ、和泉が先手を取上ぐべしと言はれければ、彼者此上はとて止まりぬ。或時高虎、家康の座せられし所の障子を隔て土井利勝に対して曰く、我年老ぬ。我死せば我子大学頭高次、不肖なり、大事の地なれば、速かに国替を仰付られて然るべくとぞ語りける。利勝則ち言上す。家康、高虎を召て、其故を尋ねらる。高虎曰く、伊賀は上国にて然も国人勇気あり、舟に乗て大和川を下れば、夜中に人知らずして大阪に到る。伊勢は近江、山城に鄰りて、是又大阪に師を出すに便ある地なり。斯る国を不肖の子に伝へ候はんこと、心許なく候、上意を承はりて死せば安堵仕るべしとて、国の絵図を出しけるを、家康具に見られて、是他人を封ぜん国にあらず、彼の殉死せんと言ひし二心なき者共に守らせば、何ぞ思を労することあらん、代々伊賀を易ゆべからずと言はれけるとぞ。

書き下し

○高虎、一つの箱を造りて書院に置き、領國伊賀、伊勢の士殉死せんと欲する者は、姓名を記して、此箱の中に入れよと言ければ簡を箱の中に入る者四十餘人あり。其後駿府にても、亦斯の如くするに三十餘人あり、高虎此簡を以て登城し、某が家人皆簡様に候、是某が子孫の代までも御先を承はらん時、御用に立つ者なり、願くは、上意を以て差止め候はんとて、家康の一覽に備へ、偕宿所に歸て斯く思ひ入れたる上は、殉死も同事なり、徳川公の嚴命背き難し、必ず思止まれと堅く制しけるに、一人右の腕に手に負て不具なる者あり、斯の如くなる身に候間、某は別儀を以て御免を蒙るべしと申す。家康聞かれ和泉は我世々の先手なり、下知に忤て強て殉殺せんと言はゞ、和泉が先手を取上ぐべしと言はれければ、彼者此上はとて止まりぬ。或時高虎、家康の座せられし所の障子を隔て土井利勝に對して曰く、我年老ぬ。我死せば我子大學頭高次、不肖なり、大事の地なれば、速かに國替を仰付られて然るべくとぞ語りける。利勝則ち言上す。家康、高虎を召て、其故を尋ねらる。高虎曰く、伊賀は上國にて然も國人勇氣あり、舟に乘て大和川を下れば、夜中に人知らずして大阪に到る。伊勢は近江、山城に鄰りて、是又大阪に師を出すに便ある地なり。斯る國を不肖の子に傳へ候はんこと、心許なく候、上意を承はりて死せば安堵仕るべしとて、國の繪圖を出しけるを、家康具に見られて、是他人を封ぜん國にあらず、彼の殉死せんと言ひし二心なき者共に守らせば、何ぞ思を勞することあらん、代々伊賀を易ゆべからずと言はれけるとぞ。

現代語訳

○高虎は一つの箱を造って書院に置き、領国の伊賀、伊勢の侍で殉死しようと思う者は、姓名を書いてこの箱の中に入れよと言いました。すると札を箱に入れた者が四十余人いました。その後、駿府でも同じようにすると三十余人がいました。高虎はこの札を持って登城し、私の家人はみなこの札のとおりです。これは私の子孫の代までも、先陣を承るとき、お役に立つ者たちです。どうか上意をもって殉死を差し止めていただきたいと言って、家康のご覧に入れ、共に宿所に帰って、このように思い込んだ上は殉死も同じことだ、徳川公の厳命には背けない、必ず思いとどまれと堅く制しました。一人、右の腕に手傷を負って不具になった者がいて、このような身であるから、私は別に御免を蒙りたいと申しました。家康はそれを聞かれ、和泉は我が代々の先手である。その指図に背いて強いて殉死しようと言うなら、和泉の先手を取り上げようと言われたので、その者はこの上はと思いとどまりました。ある時、高虎は、家康が座っておられる所の障子を隔てて、土井利勝に向かって言いました。私は年老いた。私が死ねば、子の大学頭高次は不肖であり、大事な地であるから、速やかに国替えを仰せつけられるのがよいでしょう、と語りました。利勝はそれを言上しました。家康は高虎を召してその理由を尋ねられました。高虎は、伊賀は上国で、しかも国人に勇気があり、船に乗って大和川を下れば、夜中に人知れず大坂に着きます。伊勢は近江、山城に隣り、これもまた大坂へ兵を出すのに便利な地です。このような国を不肖の子に伝えることは心もとなく存じます。上意を承って死ねば安心いたします、と言って国の絵図を差し出しました。家康は詳しくご覧になって、ここは他人を封ずる国ではない。あの殉死しようと言った二心のない者どもに守らせれば、何の心配もない。代々伊賀を替えてはならぬ、と言われたということです。

解説

殉死を望む家臣の名を箱に集め、その札を家康に見せて禁じてもらうという、高虎の取り計らいを語る逸話です。当時は殉死が忠義の表れと見なされていた時代の習いで、現代の命の考え方とは異なりますが、ここでは忠誠の気持ちを命ではなく働きに向けさせた点が注目されます。後半の国替えの願いは、子に力量が足りないことを自分から認め、地の重要さに合わせて備えようとする話です。後継者の力量を見極め、足りなければ仕組みで補うという視点は、事業承継を考える人に響きます。なお、細部は逸話として読むのが無難です。
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この章句が説くこと

殉死忠義国替え後継者家康藤堂高次

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