名将言行録 / 『名将言行録』藤堂高虎 博奕と塩の独占
○高虎、伏見に差置きたる士の中に、過失ある者五人を目代より申出づ、三人は博奕をしたる者、二人は島原の遊女なり、何れも身代沽却せし者なり、博奕したる三人は、百日の閉門にて、減知申付け、以後改むべき由命じたり。二人は阿房拂にせり。高虎曰く、博奕を好む者は、人に勝んと思ふ利心あり、利を知て身を亡す者は、深く責むべからず、猶使ふべき所あり、色を好むことを免すべきことながら、遊女に深く誑され、武用も沽却する如きは、人に勝れたる藝術勇猛なければ、世に曰ふ女郞花なり、吾等扶持するは家中に對して不禮なりと、女郞花とは、此頃の流行言葉にて、無用の士を言ふとかや。 ○高虎へ出入の町人、伊賀一國の鹽を賣らせ賜はらば、銀子五百枚運上を上納すべしと願ひける、高虎聞て、其町人は我等が物をこそ貰て過ぐべきに、我等に過分の銀子を毎年吳れんとは何の故ぞ、伊賀一國へ他の鹽を入れずして、己一人して商ひなば、鹽の價常より三倍すとも、百姓共他より買取ることもなるまじ、我に五百枚吳れんと言ふは其町人は五千枚も一萬枚も取らん工みなるべし、國人を迷惑させて其町人に得を取らすべけんや、畢竟我國の百姓の物を、其町人と相談して相盜みにすると言ふものなり、其百姓の痛みは誰が損と思ふぞや、其樣なる徒ら者は、國中を追すべしと、大に怒られけり。
新字:○高虎、伏見に差置きたる士の中に、過失ある者五人を目代より申出づ、三人は博奕をしたる者、二人は島原の遊女なり、何れも身代沽却せし者なり、博奕したる三人は、百日の閉門にて、減知申付け、以後改むべき由命じたり。二人は阿房払にせり。高虎曰く、博奕を好む者は、人に勝んと思ふ利心あり、利を知て身を亡す者は、深く責むべからず、猶使ふべき所あり、色を好むことを免すべきことながら、遊女に深く誑され、武用も沽却する如きは、人に勝れたる芸術勇猛なければ、世に曰ふ女郎花なり、吾等扶持するは家中に対して不礼なりと、女郎花とは、此頃の流行言葉にて、無用の士を言ふとかや。 ○高虎へ出入の町人、伊賀一国の塩を売らせ賜はらば、銀子五百枚運上を上納すべしと願ひける、高虎聞て、其町人は我等が物をこそ貰て過ぐべきに、我等に過分の銀子を毎年呉れんとは何の故ぞ、伊賀一国へ他の塩を入れずして、己一人して商ひなば、塩の価常より三倍すとも、百姓共他より買取ることもなるまじ、我に五百枚呉れんと言ふは其町人は五千枚も一万枚も取らん工みなるべし、国人を迷惑させて其町人に得を取らすべけんや、畢竟我国の百姓の物を、其町人と相談して相盗みにすると言ふものなり、其百姓の痛みは誰が損と思ふぞや、其様なる徒ら者は、国中を追すべしと、大に怒られけり。
書き下し
○高虎、伏見に差置きたる士の中に、過失ある者五人を目代より申出づ、三人は博奕をしたる者、二人は島原の遊女なり、何れも身代沽却せし者なり、博奕したる三人は、百日の閉門にて、減知申付け、以後改むべき由命じたり。二人は阿房拂にせり。高虎曰く、博奕を好む者は、人に勝んと思ふ利心あり、利を知て身を亡す者は、深く責むべからず、猶使ふべき所あり、色を好むことを免すべきことながら、遊女に深く誑され、武用も沽却する如きは、人に勝れたる藝術勇猛なければ、世に曰ふ女郞花なり、吾等扶持するは家中に對して不禮なりと、女郞花とは、此頃の流行言葉にて、無用の士を言ふとかや。 ○高虎へ出入の町人、伊賀一國の鹽を賣らせ賜はらば、銀子五百枚運上を上納すべしと願ひける、高虎聞て、其町人は我等が物をこそ貰て過ぐべきに、我等に過分の銀子を毎年吳れんとは何の故ぞ、伊賀一國へ他の鹽を入れずして、己一人して商ひなば、鹽の價常より三倍すとも、百姓共他より買取ることもなるまじ、我に五百枚吳れんと言ふは其町人は五千枚も一萬枚も取らん工みなるべし、國人を迷惑させて其町人に得を取らすべけんや、畢竟我國の百姓の物を、其町人と相談して相盜みにすると言ふものなり、其百姓の痛みは誰が損と思ふぞや、其樣なる徒ら者は、國中を追すべしと、大に怒られけり。
現代語訳
○高虎が伏見に置いていた士の中で、過失のある者五人を目代が申し出ました。三人は博奕をした者、二人は島原の遊女に通った者で、いずれも身代を売り払った者でした。博奕をした三人は百日の閉門と減知を申しつけ、今後改めるよう命じました。遊女に通った二人は追放にしました。高虎は言いました。博奕を好む者は、人に勝とうとする利心がある。利を知って身を亡ぼす者は、深く責めるべきではない。なお使うべきところがある。色を好むことは許すべきことであるが、遊女に深く欺かれ、武具まで売り払うような者は、人に勝れた芸術や勇猛もなく、世に言う女郎花である。私が扶持するのは、家中に対して失礼である、と。女郎花とは、この頃の流行言葉で、無用の士のことを言うということです。 ○高虎のもとに出入りする町人が、伊賀一国の塩を売らせていただけるなら、銀五百枚を運上として納めますと願い出ました。高虎は聞いて、その町人は私たちのものをもらって暮らすべき者であるのに、私に過分の銀を毎年くれようとするのはどういう訳か。伊賀一国に他の塩を入れさせず、己一人で商いをすれば、塩の値は常より三倍になっても、百姓どもは他から買い取ることもできないだろう。私に五百枚くれようと言うのは、その町人は五千枚も一万枚も取ろうという企みであろう。国の人を困らせて、その町人に得をさせてよいものか。結局、私の国の百姓の物を、その町人と相談して共に盗むというものである。その百姓の痛みは誰の損と思うのか。そのような不届き者は国中から追い出せ、と大いに怒られました。
解説

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