名将言行録 / 『名将言行録』石田三成 時ならぬ桃と検地
○或年の十月、毛利輝元より、盛りの如くなる桃を三成に便りて、秀吉に獻ず。三成見て、時分と云ひ、見事さ之に越したるはなし、去りながら、時ならざる物なれば、自然召土られ、御毒にも中り申に於ては、毛利殿の御氣遣もあるべし、只何にても、時節の物を御獻上ありて然るべしとて、差戻せり。時人其言に服せり。 ○小田原平ぎて後、秀吉、三成等をして、諸國を檢地せしめらる、之に依て國の風俗、地の肥瘠、人口の多少に至るまで、悉く之を知れり。凡そ武士の外刀を帶するを禁じ、農商の兵器を收め、之を以て、大阪、伏見兩城の忍返を鑄造せり。秀吉其才略を稱せり。 ○三成、幼より學を好み、諸藝に熟達せり。藤原肅を重んじ、戸田内記をして、之を聘せしむ、肅往んと欲して果さず、肅猥りに徵聘に應ぜず、然るに三成の招に應ぜんとせしは、其禮を以て招くを以てなり。 ○秀吉夜話の時、我若し死したらば、誰か又天下を治むる者あらん、苦しからざる間、汝等思ふ所を有りの儘に申べしと言はれければ、何れも御意の上は辭するに及ばずとて、各所存を言ふ、或は前田利家と曰ふ者あり、或又毛利輝元と曰ふ者あり、此の二人の中たるべしと申けれども、秀吉、否汝等の所存は尤もなれども、夫れ愚敷見立なり、此後は德川家康より外は治むべき人なし。然しながら、家康は律義なる人なれば、如何あるべきや、若し然らずんば、石田治部少めたるべし、治部少めは天下にはゞかる程の智慧を持たる奴なりと言はれけり。
新字:○或年の十月、毛利輝元より、盛りの如くなる桃を三成に便りて、秀吉に献ず。三成見て、時分と云ひ、見事さ之に越したるはなし、去りながら、時ならざる物なれば、自然召土られ、御毒にも中り申に於ては、毛利殿の御気遣もあるべし、只何にても、時節の物を御献上ありて然るべしとて、差戻せり。時人其言に服せり。 ○小田原平ぎて後、秀吉、三成等をして、諸国を検地せしめらる、之に依て国の風俗、地の肥瘠、人口の多少に至るまで、悉く之を知れり。凡そ武士の外刀を帯するを禁じ、農商の兵器を収め、之を以て、大阪、伏見両城の忍返を鋳造せり。秀吉其才略を称せり。 ○三成、幼より学を好み、諸芸に熟達せり。藤原粛を重んじ、戸田内記をして、之を聘せしむ、粛往んと欲して果さず、粛猥りに徴聘に応ぜず、然るに三成の招に応ぜんとせしは、其礼を以て招くを以てなり。 ○秀吉夜話の時、我若し死したらば、誰か又天下を治むる者あらん、苦しからざる間、汝等思ふ所を有りの儘に申べしと言はれければ、何れも御意の上は辞するに及ばずとて、各所存を言ふ、或は前田利家と曰ふ者あり、或又毛利輝元と曰ふ者あり、此の二人の中たるべしと申けれども、秀吉、否汝等の所存は尤もなれども、夫れ愚敷見立なり、此後は徳川家康より外は治むべき人なし。然しながら、家康は律義なる人なれば、如何あるべきや、若し然らずんば、石田治部少めたるべし、治部少めは天下にはゞかる程の智慧を持たる奴なりと言はれけり。
書き下し
○或年の十月、毛利輝元より、盛りの如くなる桃を三成に便りて、秀吉に獻ず。三成見て、時分と云ひ、見事さ之に越したるはなし、去りながら、時ならざる物なれば、自然召土られ、御毒にも中り申に於ては、毛利殿の御氣遣もあるべし、只何にても、時節の物を御獻上ありて然るべしとて、差戻せり。時人其言に服せり。 ○小田原平ぎて後、秀吉、三成等をして、諸國を檢地せしめらる、之に依て國の風俗、地の肥瘠、人口の多少に至るまで、悉く之を知れり。凡そ武士の外刀を帶するを禁じ、農商の兵器を收め、之を以て、大阪、伏見兩城の忍返を鑄造せり。秀吉其才略を稱せり。 ○三成、幼より學を好み、諸藝に熟達せり。藤原肅を重んじ、戸田内記をして、之を聘せしむ、肅往んと欲して果さず、肅猥りに徵聘に應ぜず、然るに三成の招に應ぜんとせしは、其禮を以て招くを以てなり。 ○秀吉夜話の時、我若し死したらば、誰か又天下を治むる者あらん、苦しからざる間、汝等思ふ所を有りの儘に申べしと言はれければ、何れも御意の上は辭するに及ばずとて、各所存を言ふ、或は前田利家と曰ふ者あり、或又毛利輝元と曰ふ者あり、此の二人の中たるべしと申けれども、秀吉、否汝等の所存は尤もなれども、夫れ愚敷見立なり、此後は德川家康より外は治むべき人なし。然しながら、家康は律義なる人なれば、如何あるべきや、若し然らずんば、石田治部少めたるべし、治部少めは天下にはゞかる程の智慧を持たる奴なりと言はれけり。
現代語訳
ある年の十月、毛利輝元から、山盛りのような桃を三成に頼んで、秀吉に献上した。三成は見て、時分といい、見事さといい、これに越すものはない。しかしながら時ならざる物なので、自然お召し上がりになって、お毒にでも当たるようなことがあれば、毛利殿のご心配もあるはずだ。ただ何でも時節の物をご献上されるのがよろしいと言って、差し戻した。時の人はその言葉に服した。 小田原が平定された後、秀吉は三成らに諸国を検地させた。これにより国の風俗、地の肥瘠、人口の多少に至るまで、ことごとくこれを知ることができた。およそ武士のほか刀を帯びることを禁じ、農商の兵器を収め、これで大坂、伏見両城の忍び返しを鋳造した。秀吉はその才略を称えた。 三成は幼いころから学を好み、諸芸に熟達していた。藤原粛を重んじ、戸田内記にこれを招かせた。粛は行こうとして果たさなかった。粛はみだりに招きに応じなかったが、三成の招きに応じようとしたのは、礼をもって招いたからである。 秀吉が夜話の時、私がもし死んだなら、誰がまた天下を治める者があるだろう、差し支えないから、おまえたち思うところをありのままに申せと言われると、皆、仰せの上はと辞するに及ばず、各々所存を述べた。あるいは前田利家と言う者があり、あるいはまた毛利輝元と言う者があり、この二人のうちであろうと申したけれども、秀吉は、いや、おまえたちの所存はもっともだが、それは愚かな見立てだ。この後は徳川家康よりほかに治められる者はない。しかしながら家康は律義な人なので、どうなるだろうか。もしそうでなければ、石田治部めだろう。治部めは天下に憚るほどの知恵を持った奴だと言われた。
解説

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