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名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 秀頼上洛を護る策

○秀賴の家康と對顏の時、大野道犬等の老臣、然るべからざる由を申す。清正、道犬老の申さる〻ことなれども、今度秀賴公御上京なからんには、世以て怯弱の君と申し、御威光を損すべし、所詮御參內のことは、差止められ、豐國の社へ御參詣に事寄せ、其の日歸りに船を召し、御上京あらば、某始惣御輿副に候し、二條に於て萬一の結構あらば、幾萬人と云ふとも、片端より蹴殺し、再び當城に供奉し申さん、思召立れよと言ふにぞ、一決しける。偖清正五百餘人を率ゐ、淺野幸長と共に、伏見より歩行にて陪從す。五百の中三百、伏見に隱くし置き、其餘京中に徘徊させ、急事の符を合はせ置き、清正に從て入城せし者、卒隷一人もなく、悉く兵士にて、足輕中間の役を勤めたり、此時家康の二子、義直、賴宣迎ひとして途中まで出られしに、日傘を差懸けたりしを、清正見咎めて、其日傘を取去らしむ。當時德川家の威勢に對し、何人か箇樣のこと申す者あらんや、清正が秀吉の舊恩を忘れざるの致す所なりと、人皆感じける。頓て首尾能く對顏濟み、歸城の後、清正懷中より一つの短刀を出し、押藏き笑て曰く、今日二條に於て、某等が刀劍を乞ひし故、異議なく、相渡せり。秀賴公御側を離れず輔左し奉り、萬一不慮の儀之あるとも、此刀を以て働くべき爲め、用意せし所なり、先づ目出度御城に還御なること某に於て大慶に候とて退出せり。母儀を始め一座の男女感涙を流して稱美しけり。此日家康清正に刀を賜はりければ、虛空に向て、之を戴けり。

新字:○秀頼の家康と対顔の時、大野道犬等の老臣、然るべからざる由を申す。清正、道犬老の申さる〻ことなれども、今度秀頼公御上京なからんには、世以て怯弱の君と申し、御威光を損すべし、所詮御参内のことは、差止められ、豊国の社へ御参詣に事寄せ、其の日帰りに船を召し、御上京あらば、某始惣御輿副に候し、二条に於て万一の結構あらば、幾万人と云ふとも、片端より蹴殺し、再び当城に供奉し申さん、思召立れよと言ふにぞ、一決しける。偖清正五百余人を率ゐ、浅野幸長と共に、伏見より歩行にて陪従す。五百の中三百、伏見に隠くし置き、其余京中に徘徊させ、急事の符を合はせ置き、清正に従て入城せし者、卒隷一人もなく、悉く兵士にて、足軽中間の役を勤めたり、此時家康の二子、義直、頼宣迎ひとして途中まで出られしに、日傘を差懸けたりしを、清正見咎めて、其日傘を取去らしむ。当時徳川家の威勢に対し、何人か箇様のこと申す者あらんや、清正が秀吉の旧恩を忘れざるの致す所なりと、人皆感じける。頓て首尾能く対顔済み、帰城の後、清正懐中より一つの短刀を出し、押蔵き笑て曰く、今日二条に於て、某等が刀剣を乞ひし故、異議なく、相渡せり。秀頼公御側を離れず輔左し奉り、万一不慮の儀之あるとも、此刀を以て働くべき為め、用意せし所なり、先づ目出度御城に還御なること某に於て大慶に候とて退出せり。母儀を始め一座の男女感涙を流して称美しけり。此日家康清正に刀を賜はりければ、虚空に向て、之を戴けり。

書き下し

○秀賴の家康と對顏の時、大野道犬等の老臣、然るべからざる由を申す。清正、道犬老の申さる〻ことなれども、今度秀賴公御上京なからんには、世以て怯弱の君と申し、御威光を損すべし、所詮御參內のことは、差止められ、豐國の社へ御參詣に事寄せ、其の日歸りに船を召し、御上京あらば、某始惣御輿副に候し、二條に於て萬一の結構あらば、幾萬人と云ふとも、片端より蹴殺し、再び當城に供奉し申さん、思召立れよと言ふにぞ、一決しける。偖清正五百餘人を率ゐ、淺野幸長と共に、伏見より歩行にて陪從す。五百の中三百、伏見に隱くし置き、其餘京中に徘徊させ、急事の符を合はせ置き、清正に從て入城せし者、卒隷一人もなく、悉く兵士にて、足輕中間の役を勤めたり、此時家康の二子、義直、賴宣迎ひとして途中まで出られしに、日傘を差懸けたりしを、清正見咎めて、其日傘を取去らしむ。當時德川家の威勢に對し、何人か箇樣のこと申す者あらんや、清正が秀吉の舊恩を忘れざるの致す所なりと、人皆感じける。頓て首尾能く對顏濟み、歸城の後、清正懷中より一つの短刀を出し、押藏き笑て曰く、今日二條に於て、某等が刀劍を乞ひし故、異議なく、相渡せり。秀賴公御側を離れず輔左し奉り、萬一不慮の儀之あるとも、此刀を以て働くべき爲め、用意せし所なり、先づ目出度御城に還御なること某に於て大慶に候とて退出せり。母儀を始め一座の男女感涙を流して稱美しけり。此日家康清正に刀を賜はりければ、虛空に向て、之を戴けり。

現代語訳

秀頼が家康と対面するとき、大野道犬ら老臣は、それはよくないと申しました。清正は、「道犬、老いた者の申されることではあるが、今度、秀頼公がご上京なされないなら、世は怯弱の君と言い、ご威光を損なうだろう。結局、参内のことはお止めになり、豊国社への参詣にかこつけて、その日のうちに船をお召しになり、ご上京になれば、私をはじめ御輿の側に控え、二条において万一のことがあれば、幾万人といえども、片端から蹴殺して、再び当城にお供して帰ります。思い立たれよ」と言ったので、一決しました。そこで清正は五百余人を率い、浅野幸長とともに、伏見から歩行で陪従しました。五百のうち三百は伏見に隠し置き、その余りは京中を徘徊させ、急事の符を合わせておき、清正に従って入城した者は、卒隷が一人もなく、ことごとく兵士で、足軽や中間の役を務めました。このとき家康の二子、義直と頼宣が迎えとして途中まで出られましたが、日傘を差し掛けていたのを、清正が見咎めて、その日傘を取り去らせました。当時、徳川家の威勢に対して、誰がこのようなことを言うでしょうか。清正が秀吉の旧恩を忘れないためだと、人は皆感じ入りました。やがて首尾よく対面が済み、帰城の後、清正は懐中から一つの短刀を出し、押し隠して笑って言いました。「今日、二条において、私どもが刀剣を乞われたので、異議なく渡しました。秀頼公のお側を離れず補佐し奉り、万一不慮のことがあっても、この刀で働くための用意でした。まず目出度くお城に還御なさったことは、私にとって大慶です」と言って退出しました。母君をはじめ一座の男女は感涙を流して称賛しました。この日、家康は清正に刀を賜りましたが、空に向かって、これを戴きました。

解説

秀頼が家康と対面する二条城の場面で、清正が警固の策を立てて付き従った章句です。上京しなければ怯弱と見られる、という判断で、五百人を兵士で固めつつ、表向きは穏やかに対面を終えます。日傘を取り去らせた逸話や、懐中の短刀の話は、伝承としての色が濃く、史実の細部は確かめられません。ただ、緊張した場に備えを整えて臨み、終わった後に静かに種明かしをする姿は、現代でも重要な会談や交渉に備える態度として読めます。
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この章句が説くこと

加藤清正二条城秀頼家康警固備え

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