名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 利家の学問と論語の朱批
○此役の後、清正人に語て曰く、前田利家には、晩年に及びて、聊か學問の志ありしなり、日頃思ひ合はすること多し、中にも太閤薨後宇喜田秀家、淺野幸長及び、我等を招き物語せられしことの序に、論語託孤寄命の章を語り出されしに、其頃は我等は今よりも、猶又文盲にてありし故、何にとも心付かず、其義をも尋ねざりしを、近年淺野幸長と、惺窩先生に依りて、朝暮論語を見るに、誠に今の世に當りて、此語を事とせずんば、人々恐らくは不義に陷らん、利家は元より不學にて、儒佛王霸の議論に於ては疑念ありしと、何つぞや人の語りしが我愚ながらも、熟々思ふに、利家今に存命ならば、學問の功驗もあるべかりしに、偖惜むに猶ほ餘りあることなりとて、深く慕惜まれけり。 ○清正聖經に志し、常に論語を誦讀し、朱批抔せられけり。爰に猿の殊にさがしく、能く馴染て傍を離れざるあり、常に其樣子を見居りければ、清正が厠に立ちし跡にて、是猿論語へ朱筆を以て、散々に書散せり。清正之を見て、汝も聖人の道に志あるやと言て、莞爾として笑ひしとぞ。
新字:○此役の後、清正人に語て曰く、前田利家には、晩年に及びて、聊か学問の志ありしなり、日頃思ひ合はすること多し、中にも太閤薨後宇喜田秀家、浅野幸長及び、我等を招き物語せられしことの序に、論語託孤寄命の章を語り出されしに、其頃は我等は今よりも、猶又文盲にてありし故、何にとも心付かず、其義をも尋ねざりしを、近年浅野幸長と、惺窩先生に依りて、朝暮論語を見るに、誠に今の世に当りて、此語を事とせずんば、人々恐らくは不義に陥らん、利家は元より不学にて、儒仏王覇の議論に於ては疑念ありしと、何つぞや人の語りしが我愚ながらも、熟々思ふに、利家今に存命ならば、学問の功験もあるべかりしに、偖惜むに猶ほ余りあることなりとて、深く慕惜まれけり。 ○清正聖経に志し、常に論語を誦読し、朱批抔せられけり。爰に猿の殊にさがしく、能く馴染て傍を離れざるあり、常に其様子を見居りければ、清正が厠に立ちし跡にて、是猿論語へ朱筆を以て、散々に書散せり。清正之を見て、汝も聖人の道に志あるやと言て、莞爾として笑ひしとぞ。
書き下し
○此役の後、清正人に語て曰く、前田利家には、晩年に及びて、聊か學問の志ありしなり、日頃思ひ合はすること多し、中にも太閤薨後宇喜田秀家、淺野幸長及び、我等を招き物語せられしことの序に、論語託孤寄命の章を語り出されしに、其頃は我等は今よりも、猶又文盲にてありし故、何にとも心付かず、其義をも尋ねざりしを、近年淺野幸長と、惺窩先生に依りて、朝暮論語を見るに、誠に今の世に當りて、此語を事とせずんば、人々恐らくは不義に陷らん、利家は元より不學にて、儒佛王霸の議論に於ては疑念ありしと、何つぞや人の語りしが我愚ながらも、熟々思ふに、利家今に存命ならば、學問の功驗もあるべかりしに、偖惜むに猶ほ餘りあることなりとて、深く慕惜まれけり。 ○清正聖經に志し、常に論語を誦讀し、朱批抔せられけり。爰に猿の殊にさがしく、能く馴染て傍を離れざるあり、常に其樣子を見居りければ、清正が厠に立ちし跡にて、是猿論語へ朱筆を以て、散々に書散せり。清正之を見て、汝も聖人の道に志あるやと言て、莞爾として笑ひしとぞ。
現代語訳
この役ののち、清正は人に語って言いました。「前田利家には、晩年になって、いささか学問の志があった。日ごろ思い合わせることが多い。中でも太閤の薨去後、宇喜多秀家、浅野幸長、そして我らを招いて物語されたついでに、論語の託孤寄命の章を語り出されたが、そのころ私は今よりもさらに文盲で、何とも気づかず、その意味も尋ねなかった。近年、浅野幸長と、惺窩先生によって、朝夕に論語を見ると、まことに今の世に当たって、この語を大事にしなければ、人々は恐らく不義に陥るであろう。利家はもとより不学で、儒仏王覇の議論に疑念があった、と誰かが語ったが、私は愚かながら、つくづく思うに、利家が今に存命であれば、学問の効験もあっただろうに、惜しんでもなお余りあることだ」と言って、深く慕い惜しまれました。 清正は聖経に志し、常に論語を誦読し、朱批などをされました。ここに猿の、ことにさがしく、よく馴れて側を離れないものがありました。常にその様子を見ていると、清正が厠に立った跡で、この猿が論語に朱筆で、さんざんに書き散らしました。清正はこれを見て、「おまえも聖人の道に志があるのか」と言って、にっこり笑ったということです。
解説

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