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名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 豊臣のために東軍に付く

○上方軍起りし時、清正、老臣共へ、秀賴公の御實心より出たる御事ならば、軍の利害を計るに及ばず、御味方申すこと珍しからず、然るに幼君何の思召立もなきに奉行等が淺謀に興みすべき樣なし。戰に於ては、上方敗軍必定なり。然るに、彼等に興みして、倶に亡びなば、秀賴公の御爲、何者か計り申べき、秀賴公の御爲めにも、內府へ屬し、石田以下の兇徒を擧亡し、亂を治むべしと言ければ、老臣何れも其議に服從す、之に依り其旨關東へ注進せしかば、家康大に喜び、書を賜はり、近國の賊城を攻取るべしとの事なりけり。 ○清正、柳川に向ふ。立花宗茂降り、從者四五人にて清正の陣に來る。時に陣營燒亡す、清正曰く、城中の兵士疑ひ動搖すべき間、其心を安ぜん爲め、貴殿の從者に命じ燒亡の由を申遣はされよとありければ、宗茂如何にもとありて、則ち其旨を傳ふ。城中果して動搖せしが、此由を聞て頓に止む。人皆其智に服せり。 ○清正、宗茂を優待し、高瀨に館を築き、宗茂を置き、其郎從百人計り、一所に居宅を作り柳川町と名付け、友義至らざる所なし、人其義に服せり。 ○關ヶ原の後、家康、石田が亂は雨降りて地固まると曰ふに同じ、靜謐ならんと言はれしに、諸大名、皆祝されけり。清正仰の如く、惡逆の輩誅せられ、泰平たらんこと必然に候、然れども、天下の治亂は天の陰晴に譬へなんには、晴渡りたる晴天と見るも俄に雲の出來て雨降す如きこともあるものなり、測り難きは人の心にて候と申ければ、淺からず感ぜられけり。

新字:○上方軍起りし時、清正、老臣共へ、秀頼公の御実心より出たる御事ならば、軍の利害を計るに及ばず、御味方申すこと珍しからず、然るに幼君何の思召立もなきに奉行等が浅謀に興みすべき様なし。戦に於ては、上方敗軍必定なり。然るに、彼等に興みして、倶に亡びなば、秀頼公の御為、何者か計り申べき、秀頼公の御為めにも、内府へ属し、石田以下の兇徒を挙亡し、乱を治むべしと言ければ、老臣何れも其議に服従す、之に依り其旨関東へ注進せしかば、家康大に喜び、書を賜はり、近国の賊城を攻取るべしとの事なりけり。 ○清正、柳川に向ふ。立花宗茂降り、従者四五人にて清正の陣に来る。時に陣営焼亡す、清正曰く、城中の兵士疑ひ動揺すべき間、其心を安ぜん為め、貴殿の従者に命じ焼亡の由を申遣はされよとありければ、宗茂如何にもとありて、則ち其旨を伝ふ。城中果して動揺せしが、此由を聞て頓に止む。人皆其智に服せり。 ○清正、宗茂を優待し、高瀨に館を築き、宗茂を置き、其郎従百人計り、一所に居宅を作り柳川町と名付け、友義至らざる所なし、人其義に服せり。 ○関ヶ原の後、家康、石田が乱は雨降りて地固まると曰ふに同じ、静謐ならんと言はれしに、諸大名、皆祝されけり。清正仰の如く、悪逆の輩誅せられ、泰平たらんこと必然に候、然れども、天下の治乱は天の陰晴に譬へなんには、晴渡りたる晴天と見るも俄に雲の出来て雨降す如きこともあるものなり、測り難きは人の心にて候と申ければ、浅からず感ぜられけり。

書き下し

○上方軍起りし時、清正、老臣共へ、秀賴公の御實心より出たる御事ならば、軍の利害を計るに及ばず、御味方申すこと珍しからず、然るに幼君何の思召立もなきに奉行等が淺謀に興みすべき樣なし。戰に於ては、上方敗軍必定なり。然るに、彼等に興みして、倶に亡びなば、秀賴公の御爲、何者か計り申べき、秀賴公の御爲めにも、內府へ屬し、石田以下の兇徒を擧亡し、亂を治むべしと言ければ、老臣何れも其議に服從す、之に依り其旨關東へ注進せしかば、家康大に喜び、書を賜はり、近國の賊城を攻取るべしとの事なりけり。 ○清正、柳川に向ふ。立花宗茂降り、從者四五人にて清正の陣に來る。時に陣營燒亡す、清正曰く、城中の兵士疑ひ動搖すべき間、其心を安ぜん爲め、貴殿の從者に命じ燒亡の由を申遣はされよとありければ、宗茂如何にもとありて、則ち其旨を傳ふ。城中果して動搖せしが、此由を聞て頓に止む。人皆其智に服せり。 ○清正、宗茂を優待し、高瀨に館を築き、宗茂を置き、其郎從百人計り、一所に居宅を作り柳川町と名付け、友義至らざる所なし、人其義に服せり。 ○關ヶ原の後、家康、石田が亂は雨降りて地固まると曰ふに同じ、靜謐ならんと言はれしに、諸大名、皆祝されけり。清正仰の如く、惡逆の輩誅せられ、泰平たらんこと必然に候、然れども、天下の治亂は天の陰晴に譬へなんには、晴渡りたる晴天と見るも俄に雲の出來て雨降す如きこともあるものなり、測り難きは人の心にて候と申ければ、淺からず感ぜられけり。

現代語訳

上方で軍が起こったとき、清正は老臣たちに言いました。「秀頼公のお心から出たことならば、軍の利害を計るまでもなく、お味方申し上げることは珍しくない。だが、幼君に何のお考えもないのに、奉行らの浅はかな謀りごとに同調すべき道理はない。戦では、上方が敗軍するに違いない。それなのに彼らに同調して、ともに滅びたなら、秀頼公のためを、誰が計るだろうか。秀頼公のためにも、内府に付き、石田以下の凶徒を挙げて滅ぼし、乱を治めるべきである」。老臣たちは皆その議に従いました。これによってその旨を関東に注進すると、家康は大いに喜び、書を賜り、近国の賊城を攻め取るべしとのことでした。 清正が柳川に向かいました。立花宗茂が降伏し、従者四、五人で清正の陣に来ました。そのとき陣営が焼け落ちました。清正は、「城中の兵士が疑って動揺するだろう。その心を安んじるために、貴殿の従者に命じて、焼亡の理由を知らせてやってほしい」と言いました。宗茂は承知して、その旨を伝えました。城中ははたして動揺しましたが、この由を聞いてたちまち止みました。人は皆その智に服しました。 清正は宗茂を優遇し、高瀬に館を築いて宗茂を置き、その郎従百人ばかりを、一所に居宅を作らせて柳川町と名付け、友義に至らない所がありませんでした。人はその義に服しました。 関ヶ原の後、家康が、「石田の乱は、雨が降って地が固まるようなもので、静かになるだろう」と言われると、諸大名は皆祝いました。清正は、「仰せのとおり、悪逆の輩が誅せられ、泰平となることは必然でございます。しかし、天下の治乱は天の陰晴にたとえるなら、晴れわたった晴天と見えても、にわかに雲が出て雨が降るようなこともあるものです。測りがたいのは人の心でございます」と申したので、深く感心されました。

解説

関ヶ原に際し、清正が老臣たちに、豊臣家のために東軍に付く道理を説いた章句です。秀頼の意思ではなく奉行らの謀りであれば、同調して滅びても秀頼のためにならない、という論理が核です。続いて降伏した立花宗茂への配慮が語られ、最後に太平を祝う席での警句が載ります。史実の判断は複雑で、これは岡谷の伝える清正像です。現代でも、組織の意思が誰のためかを問い直し、勝った後の慢心にも備えるという視点は、経営判断に通じます。
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この章句が説くこと

加藤清正関ヶ原立花宗茂道理大義降将への配慮

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