名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 蔚山の救援に船を急がせる
○清正蔚山より、二百五十餘町を隔て西生海に在城せしが、淺野幸長等の軍卒過半討死し、明兵數萬に蔚山を圍まると聞くや、否、清正曰く、我本朝を發するの日、幸長の父、長政に約し、幸長の艱難を救はんと言へり。彼若し戰死せば、我何の面目か、復た長政を見んやとありて、部下をして、速に船を具せしめ、清正、黑糸絨の鎧を着なし內冑の緒をしめ、精兵五百騎を率ゐ、馬藺の馬印船の表に押立て、揉みに揉んで押寄せけるが、清正大音揚げて、今此時に至て水夫少しもたるまば、忽ち海底に切り沈むべし。若し時刻移して、敵に船手を切取られ城に入ること叶はんずんば、船中の水夫に至るまで悉く切捨て、腹搔切て、海に入り、龍神と顯はれ、空を飛行し、鐵火石を降らし、大敵を追逐すべしと、怒り追みて長刀を突き、歩みの板を踏み鳴し、艫軸を翔けて立たるは、殆んど多門天の如くなり。大軍の篝火にて波上を照し、沖は白晝の如くなれば、船は箭を射るが如く、旣に戌の刻計りに蔚山に乘入りたり。今明日陷るべき城に、眞先に乘入りたるは、天晴大剛の猛將とぞ、人皆感じける。
新字:○清正蔚山より、二百五十余町を隔て西生海に在城せしが、浅野幸長等の軍卒過半討死し、明兵数万に蔚山を囲まると聞くや、否、清正曰く、我本朝を発するの日、幸長の父、長政に約し、幸長の艱難を救はんと言へり。彼若し戦死せば、我何の面目か、復た長政を見んやとありて、部下をして、速に船を具せしめ、清正、黒糸絨の鎧を着なし内冑の緒をしめ、精兵五百騎を率ゐ、馬藺の馬印船の表に押立て、揉みに揉んで押寄せけるが、清正大音揚げて、今此時に至て水夫少しもたるまば、忽ち海底に切り沈むべし。若し時刻移して、敵に船手を切取られ城に入ること叶はんずんば、船中の水夫に至るまで悉く切捨て、腹搔切て、海に入り、竜神と顕はれ、空を飛行し、鉄火石を降らし、大敵を追逐すべしと、怒り追みて長刀を突き、歩みの板を踏み鳴し、艫軸を翔けて立たるは、殆んど多門天の如くなり。大軍の篝火にて波上を照し、沖は白昼の如くなれば、船は箭を射るが如く、既に戌の刻計りに蔚山に乗入りたり。今明日陥るべき城に、真先に乗入りたるは、天晴大剛の猛将とぞ、人皆感じける。
書き下し
○清正蔚山より、二百五十餘町を隔て西生海に在城せしが、淺野幸長等の軍卒過半討死し、明兵數萬に蔚山を圍まると聞くや、否、清正曰く、我本朝を發するの日、幸長の父、長政に約し、幸長の艱難を救はんと言へり。彼若し戰死せば、我何の面目か、復た長政を見んやとありて、部下をして、速に船を具せしめ、清正、黑糸絨の鎧を着なし內冑の緒をしめ、精兵五百騎を率ゐ、馬藺の馬印船の表に押立て、揉みに揉んで押寄せけるが、清正大音揚げて、今此時に至て水夫少しもたるまば、忽ち海底に切り沈むべし。若し時刻移して、敵に船手を切取られ城に入ること叶はんずんば、船中の水夫に至るまで悉く切捨て、腹搔切て、海に入り、龍神と顯はれ、空を飛行し、鐵火石を降らし、大敵を追逐すべしと、怒り追みて長刀を突き、歩みの板を踏み鳴し、艫軸を翔けて立たるは、殆んど多門天の如くなり。大軍の篝火にて波上を照し、沖は白晝の如くなれば、船は箭を射るが如く、旣に戌の刻計りに蔚山に乘入りたり。今明日陷るべき城に、眞先に乘入りたるは、天晴大剛の猛將とぞ、人皆感じける。
現代語訳
清正は蔚山から二百五十余町を隔てた西生浦に在城していましたが、浅野幸長らの軍卒の過半が討ち死にし、明兵数万に蔚山が囲まれていると聞くと、すぐに言いました。「私は本朝を出発する日、幸長の父長政に約束し、幸長の艱難を救おうと言った。彼がもし戦死すれば、私は何の面目あって、また長政に会えようか」。そこで部下に、速やかに船を準備させ、清正自身は黒糸縅の鎧を着て、兜の緒を締め、精兵五百騎を率い、馬藺の馬印を船の表に押し立て、揉みに揉んで押し寄せました。清正は大声を上げて、「今この時に水夫が少しでも緩めば、たちまち海底に切り沈めるぞ。もし時刻を移して、敵に船手を切り取られ、城に入ることが叶わなければ、船中の水夫に至るまで残らず切り捨て、腹を掻き切って海に入り、竜神となって現れ、空を飛行して、鉄火石を降らせ、大敵を追い払う」と、怒り迫って長刀を突き、歩みの板を踏み鳴らし、艫軸を駆けて立った姿は、ほとんど多聞天のようでした。大軍の篝火で波上を照らし、沖は昼のように明るくなり、船は矢を射るように、すでに戌の刻ばかりに蔚山に乗り入りました。「今日明日にも陥落する城に、真っ先に乗り入れたのは、あっぱれ大剛の猛将だ」と、人は皆感じ入りました。
解説

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尉繚子・兵教下今戦国相攻め、大いに有徳を伐つ。伍よりして両、両よりして師、其の令を一にせず、率ね民心をして定まらざらしめ、徒らに驕侈を尚び、謀患辨訟し、吏其の事を究め、累ねて且に敗れんとす。日暮れ路遠く、還るに剉気有り、師老い将貪り、争掠して敗れ易し。凡そ将軽く、塁卑く、衆動けば、攻むべきなり。将重く、塁高く、衆懼るれば、囲むべきなり。凡そ囲むには必ず其の小利を開き、漸く夷弱ならしむれば、則ち節吝して食はざる者有り。衆夜撃つ者は、驚くなり。衆事を避くる者は、離るるなり。人の救を待ち、戦を期して蹙まるは、皆心失はれて気傷るるなり。気を傷れば軍を敗り、曲謀は国を敗る。
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『講孟余話』萬章下 第七章此の章、官職ある者の君命に趨くと、庶人敢へて諸侯に見えざると、義自ら別なるを論ず。但し方今官職ある者の君命に趨かざるを患へず、庶人敢へて諸侯に見えざるの風、断えてなきこと、廉恥なきの世間、深く憂ふべし。古人も忠臣を求むるは孝子の門に於てす、事に臨み節に死するの士を求むるは、平時直言の士に於てすべしと云へば、士気を培養するは、兎角平素に在ることなり。平素廉恥なきの極、一旦変起こることあらば、万官奔竄、鳥栖を択ぶに至ること、鏡に掛けて見るが如し。是れ憂ふべしとする所以なり。是を憂へば他なし、千乗の国の士に事ふるの故事を修むるに若かず。是れ久遠の謀なり。