啓発録 / 振氣
此氣ハ生アル者ニハミナアル者ニテ禽獸ニサヘコレアリテ禽獸ニテモ甚シク氣ノ立タル時ハ人ヲ害シ人ヲ苦シムコトアリマシテ人ニ於テヲヤ人ノ中ニテモ士ハ一番此氣强ク有之故世俗ニコレヲ士氣ト唱ヘイカホド年若ナ者ニテモ兩刀ヲ帶シタル者ニ不禮ヲ不致ハ此士氣ニ畏レ候事ニテ其人ノ武藝ヤ力量ヤ位職ノミニ畏レ候ニテハコレナシ
新字:此気ハ生アル者ニハミナアル者ニテ禽獣ニサヘコレアリテ禽獣ニテモ甚シク気ノ立タル時ハ人ヲ害シ人ヲ苦シムコトアリマシテ人ニ於テヲヤ人ノ中ニテモ士ハ一番此気強ク有之故世俗ニコレヲ士気ト唱ヘイカホド年若ナ者ニテモ両刀ヲ帯シタル者ニ不礼ヲ不致ハ此士気ニ畏レ候事ニテ其人ノ武芸ヤ力量ヤ位職ノミニ畏レ候ニテハコレナシ
書き下し
此気は生ある者にはみなある者にて、禽獣にさへこれありて、禽獣にても甚しく気の立たる時は、人を害し人を苦しむことありまして、人に於てをや。人の中にても士は一番此気強く有之故、世俗にこれを士気と唱へ、いかほど年若な者にても両刀を帯したる者に不礼を不致は、此士気に畏れ候事にて、其人の武芸や力量や位職のみに畏れ候にてはこれなし。
現代語訳
この気は生きているものにはみなあるもので、鳥や獣にさえあり、鳥獣でも気が甚だしく立ったときには、人を傷つけ苦しめることがあります。まして人においてはなおさらです。人の中でも士は一番この気が強いので、世間でこれを士気と呼びます。どんなに年若い者でも、両刀を帯びた者に無礼をしないのは、この士気を畏れるからで、その人の武芸や力量や地位や職だけを畏れるのではありません。
解説
気は人だけのものでなく、鳥獣にもあるほど根源的なものだと左内は述べます。そのうえで、士が一番この気が強く、世間がそれを士気と呼ぶのだと進みます。若い者でも両刀を帯びた者に無礼をしない理由を、腕前や地位ではなく士気に求めたところが要点です。ここには、人は肩書きよりも、気迫のようなものに対して敬意を払うのだという観察があります。現代の職場でも、権限や職位だけで人が動くのは限られた間です。持ち場に立つ人の気構えが周りに伝わるとき、初めて信頼になります。管理職が自分の気を見直す手がかりになる段です。
この章句が説くこと
士気気迫両刀権威信頼啓発録
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