名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 油断を戒める上一人の心
見れば米三升、干味噌、銀錢三百あり、其重さ一提あり、是は馬印を指すに腰輕ければ惡しきに依り、斯の如くせしと言はれけり。高政興を醒し、十里二十里に敵もなきに、是は如何なることにやと言ければ、清正去れば其事なり、兎角物の大事は油斷より出で申すなり。尤も敵なければ、物具なくして身を安くする樣に致し度存ずれども、油斷して、萬一急變に出合へば、是までの武邊水になるなり。下々は去らでだに油斷勝なるに、清正物具せずば、下々尙ほ帶紐解で怠るべければ、身の苦みを顧みず、油斷なき爲めに、自分も物具付け候、惣て上を學ぶ下と言て、大將少しくつろげば下々は大に油斷するものなり。是を以て、常々斯の如く勉強致すなり。上一人の心は、下萬人に通ずるとかや承はりしと言ひければ、高政涙を流して感ぜり。 ○朝鮮より虎を引來り、那古耶に在陣せし諸將の中を大力の男餘多左右に鎖を扣へ、□と立て通りけるに、人皆驚きたるに、清正膝立直し拳を握り臂を張りて、虎を屹度睨みければ、虎も暫し立止まりて、清正を睨みて打過ぎしとぞ。
新字:見れば米三升、干味噌、銀銭三百あり、其重さ一提あり、是は馬印を指すに腰軽ければ悪しきに依り、斯の如くせしと言はれけり。高政興を醒し、十里二十里に敵もなきに、是は如何なることにやと言ければ、清正去れば其事なり、兎角物の大事は油断より出で申すなり。尤も敵なければ、物具なくして身を安くする様に致し度存ずれども、油断して、万一急変に出合へば、是までの武辺水になるなり。下々は去らでだに油断勝なるに、清正物具せずば、下々尚ほ帯紐解で怠るべければ、身の苦みを顧みず、油断なき為めに、自分も物具付け候、惣て上を学ぶ下と言て、大将少しくつろげば下々は大に油断するものなり。是を以て、常々斯の如く勉強致すなり。上一人の心は、下万人に通ずるとかや承はりしと言ひければ、高政涙を流して感ぜり。 ○朝鮮より虎を引来り、那古耶に在陣せし諸将の中を大力の男余多左右に鎖を扣へ、□と立て通りけるに、人皆驚きたるに、清正膝立直し拳を握り臂を張りて、虎を屹度睨みければ、虎も暫し立止まりて、清正を睨みて打過ぎしとぞ。
書き下し
見れば米三升、干味噌、銀錢三百あり、其重さ一提あり、是は馬印を指すに腰輕ければ惡しきに依り、斯の如くせしと言はれけり。高政興を醒し、十里二十里に敵もなきに、是は如何なることにやと言ければ、清正去れば其事なり、兎角物の大事は油斷より出で申すなり。尤も敵なければ、物具なくして身を安くする樣に致し度存ずれども、油斷して、萬一急變に出合へば、是までの武邊水になるなり。下々は去らでだに油斷勝なるに、清正物具せずば、下々尙ほ帶紐解で怠るべければ、身の苦みを顧みず、油斷なき爲めに、自分も物具付け候、惣て上を學ぶ下と言て、大將少しくつろげば下々は大に油斷するものなり。是を以て、常々斯の如く勉強致すなり。上一人の心は、下萬人に通ずるとかや承はりしと言ひければ、高政涙を流して感ぜり。 ○朝鮮より虎を引來り、那古耶に在陣せし諸將の中を大力の男餘多左右に鎖を扣へ、□と立て通りけるに、人皆驚きたるに、清正膝立直し拳を握り臂を張りて、虎を屹度睨みければ、虎も暫し立止まりて、清正を睨みて打過ぎしとぞ。
現代語訳
見ると、米三升、干し味噌、銀銭三百があり、その重さは一提げほどありました。「これは馬印を差すのに腰が軽いと具合が悪いので、このようにしたのだ」と言われました。高政は興が冷め、「十里、二十里に敵もないのに、これはどうしたことか」と言うと、清正は、「それです。ともかく物事の大事は油断から出るのです。もちろん、敵がなければ武具を着けずに身を楽にしたいと思いますが、油断して万一の急変に出合えば、これまでの武辺は水の泡になります。下々は、そうでなくても油断しがちですのに、清正が武具を着けなければ、下々はなおさら帯紐を解いて怠るでしょう。身の苦しみを顧みず、油断のないために、自分も武具を着けるのです。総じて『上を学ぶ下』と言って、大将が少しくつろげば、下々は大いに油断するものです。このため、常にこのように励んでいるのです。上の一人の心は、下の万人に通ずると聞いております」と言ったので、高政は涙を流して感服しました。 朝鮮から虎を引き連れて来て、名護屋に在陣していた諸将の中を、大力の男が大勢で左右から鎖を押さえて通ったとき、人は皆驚きましたが、清正は膝を立て直し、拳を握り、肘を張って、虎をきっと睨むと、虎もしばらく立ち止まり、清正を睨んで通り過ぎたということです。
解説

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