名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 使うところは器に従う
○清正の中備吉村又市、釜山海に於て群賊と戰ひ、旣に日暮に及ぶ。清正人數を引揚げずば危かるべし、誰をか遣はすべしと、其邊を見廻はすに、庄林隼人遙の末に屆たるを呼び、之に人數を引揚げしむ。隼人承はり、采幣取つて兩陣の間に乘入り、難なく引揚げて歸る。此時森本儀太夫傍に在りけるが涙を流して、怒れる色あり。清正其體を怪みて故を問ふ。森本、君臣を見給ふこと庄林に若かず、是武士の恥辱に候、庄林と、臣と同く君に從て白刄を踏みしが、庄林に劣らざることは君の眼前に御覽ぜし所なり。庄林、君の傍に在りて、臣居らずば恨み申べきことなし。臣近く謁在りしに、御詞も掛られず、遙の末なる庄林を召て、命ぜられしこと、年來も斯くこそ優劣を分ち給ひしことを、疾く知らざるも、愚昧の至りに候と申ければ、清正笑て、汝等は均く予が股肱腹心なり。使ふ所は其器に從ふのみ。今汝を遣はさば、必ず敵に馳合て力鬪すべき勇敢の氣あり。左すれば人數を害ふべし。庄林が如きは、今見よ、難なく引揚げて歸るべし。若し剛敵堅陣ならば、汝に命じて之に當らしめん、倍々の兵なりとも恐るゝに足らず。群を拔き衆を越え、擊て之を敗ること、別人は及ぶべからず。是汝が長ずる所なりと言はれければ、森本、君さ思召候へば面目あるに似たりとて、止みぬ。
新字:○清正の中備吉村又市、釜山海に於て群賊と戦ひ、既に日暮に及ぶ。清正人数を引揚げずば危かるべし、誰をか遣はすべしと、其辺を見廻はすに、庄林隼人遥の末に届たるを呼び、之に人数を引揚げしむ。隼人承はり、采幣取つて両陣の間に乗入り、難なく引揚げて帰る。此時森本儀太夫傍に在りけるが涙を流して、怒れる色あり。清正其体を怪みて故を問ふ。森本、君臣を見給ふこと庄林に若かず、是武士の恥辱に候、庄林と、臣と同く君に従て白刄を踏みしが、庄林に劣らざることは君の眼前に御覧ぜし所なり。庄林、君の傍に在りて、臣居らずば恨み申べきことなし。臣近く謁在りしに、御詞も掛られず、遥の末なる庄林を召て、命ぜられしこと、年来も斯くこそ優劣を分ち給ひしことを、疾く知らざるも、愚昧の至りに候と申ければ、清正笑て、汝等は均く予が股肱腹心なり。使ふ所は其器に従ふのみ。今汝を遣はさば、必ず敵に馳合て力闘すべき勇敢の気あり。左すれば人数を害ふべし。庄林が如きは、今見よ、難なく引揚げて帰るべし。若し剛敵堅陣ならば、汝に命じて之に当らしめん、倍々の兵なりとも恐るゝに足らず。群を抜き衆を越え、撃て之を敗ること、別人は及ぶべからず。是汝が長ずる所なりと言はれければ、森本、君さ思召候へば面目あるに似たりとて、止みぬ。
書き下し
○清正の中備吉村又市、釜山海に於て群賊と戰ひ、旣に日暮に及ぶ。清正人數を引揚げずば危かるべし、誰をか遣はすべしと、其邊を見廻はすに、庄林隼人遙の末に屆たるを呼び、之に人數を引揚げしむ。隼人承はり、采幣取つて兩陣の間に乘入り、難なく引揚げて歸る。此時森本儀太夫傍に在りけるが涙を流して、怒れる色あり。清正其體を怪みて故を問ふ。森本、君臣を見給ふこと庄林に若かず、是武士の恥辱に候、庄林と、臣と同く君に從て白刄を踏みしが、庄林に劣らざることは君の眼前に御覽ぜし所なり。庄林、君の傍に在りて、臣居らずば恨み申べきことなし。臣近く謁在りしに、御詞も掛られず、遙の末なる庄林を召て、命ぜられしこと、年來も斯くこそ優劣を分ち給ひしことを、疾く知らざるも、愚昧の至りに候と申ければ、清正笑て、汝等は均く予が股肱腹心なり。使ふ所は其器に從ふのみ。今汝を遣はさば、必ず敵に馳合て力鬪すべき勇敢の氣あり。左すれば人數を害ふべし。庄林が如きは、今見よ、難なく引揚げて歸るべし。若し剛敵堅陣ならば、汝に命じて之に當らしめん、倍々の兵なりとも恐るゝに足らず。群を拔き衆を越え、擊て之を敗ること、別人は及ぶべからず。是汝が長ずる所なりと言はれければ、森本、君さ思召候へば面目あるに似たりとて、止みぬ。
現代語訳
清正の中備え吉村又市が、釜山の海で多くの賊と戦い、すでに日暮れに及びました。清正は、「人数を引き揚げさせなければ危ない。誰を遣わそうか」とあたりを見渡し、庄林隼人が遠くの末席にいるのを呼んで、人数を引き揚げさせました。隼人は承って、采幣を取り、両陣の間に乗り入れ、難なく引き揚げて帰りました。このとき森本儀太夫が傍らにいましたが、涙を流して怒りの色がありました。清正はその様子を怪しんで理由を問いました。森本は、「君が臣をご覧になることは、庄林に及ばないのでしょうか。これは武士の恥辱です。庄林と私は同じく君に従って白刃を踏みましたが、庄林に劣らないことは、君が眼前にご覧になったところです。庄林が君の傍らにいて、私がいなかったのなら、恨むことはありません。私は近くで拝謁していたのに、お言葉もかけられず、遠くの末席にいる庄林を召してお命じになったことは、年来もこのように優劣を分けておられたのに、早く気づかなかった自分の愚かさの至りです」と申しました。清正は笑って、「おまえたちはひとしく私の股肱腹心である。使う場所は、その器に従うだけだ。今、おまえを遣わせば、必ず敵に駆け合って力戦するほどの勇敢な気があるだろう。そうなれば人数を損なう。庄林のような者は、今見たとおり、難なく引き揚げて帰る。もし剛敵の堅陣であれば、おまえに命じて当たらせよう。倍の兵であっても恐れるに足らない。群を抜き衆を越え、撃ってこれを破ることは、他の者の及ぶところではない。これがおまえの長ずるところだ」と言われました。森本は、「君がそのようにお思いなら、面目が立つように思います」と言って、止みました。
解説

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