説苑 / 修文
天子諸侯無事則歲三田,一為乾豆,二為賓客,三為充君之庖。無事而不田,曰不敬,田不以禮,曰暴天物。天子不合圍,諸侯不揜群;天子殺則下大緌,諸侯殺則下小緌,大夫殺則止佐轝,佐轝止則百姓畋獵。獺祭魚,然後漁人入澤梁;鳩化為鴈,然後設罻羅;草木零落,然後入山林。昆蟲不蟄不以火田,不麛不卵,不殀夭,不覆巢;此皆聖人在上,君子在位,能者在職,大德之發者也。是故皋陶為大理乎,民各服得其實;伯夷主禮,上下皆讓;倕為工師,百工致功;益主虞,山澤辟成;棄主稷,百穀時茂;契主司徒,百姓親和;龍主賓客,遠人至。十二牧行,而九州莫敢僻違;禹陂九澤,通九道,定九州,各以其職來貢,不失厥宜,方五十里至于荒服,南撫交趾、大發,西析支渠、搜氐羌,北至山戎、肅慎,東至長夷、島夷,四海之內皆戴帝舜之功。於是禹乃興九韶之樂,致異物,鳳凰來翔,天下明德也。
新字:天子諸侯無事則歳三田,一為乾豆,二為賓客,三為充君之庖。無事而不田,曰不敬,田不以礼,曰暴天物。天子不合囲,諸侯不揜群;天子殺則下大緌,諸侯殺則下小緌,大夫殺則止佐轝,佐轝止則百姓畋猟。獺祭魚,然後漁人入沢梁;鳩化為鴈,然後設罻羅;草木零落,然後入山林。昆虫不蟄不以火田,不麛不卵,不殀夭,不覆巣;此皆聖人在上,君子在位,能者在職,大徳之発者也。是故皋陶為大理乎,民各服得其実;伯夷主礼,上下皆譲;倕為工師,百工致功;益主虞,山沢辟成;棄主稷,百穀時茂;契主司徒,百姓親和;竜主賓客,遠人至。十二牧行,而九州莫敢僻違;禹陂九沢,通九道,定九州,各以其職来貢,不失厥宜,方五十里至于荒服,南撫交趾、大発,西析支渠、捜氐羌,北至山戎、粛慎,東至長夷、島夷,四海之内皆戴帝舜之功。於是禹乃興九韶之楽,致異物,鳳凰来翔,天下明徳也。
書き下し
天子諸侯事無ければ則ち歲に三たび田す、一を乾豆と為し、二を賓客と為し、三を君の庖に充つと為す。事無くして田せざるを、不敬と曰い、田するに禮を以てせざるを、天物を暴うと曰う。天子は合圍せず、諸侯は群を揜わず。天子殺せば則ち大緌を下し、諸侯殺せば則ち小緌を下し、大夫殺せば則ち佐轝を止め、佐轝止まれば則ち百姓畋獵す。獺魚を祭りて、然る後漁人澤梁に入る。鳩化して鴈と為りて、然る後罻羅を設く。草木零落して、然る後山林に入る。昆蟲蟄せざれば火田せず、麛せず卵せず、殀夭せず、巢を覆さず。此れ皆聖人上に在り、君子位に在り、能者職に在るは、大德の發する所なり。是の故に皋陶大理と為るや、民各おの服して其の實を得。伯夷禮を主どり、上下皆讓る。倕工師と為り、百工功を致す。益虞を主どり、山澤辟き成る。棄稷を主どり、百穀時に茂る。契司徒を主どり、百姓親和す。龍賓客を主どり、遠人至る。十二牧行われて、九州敢えて僻違せず。禹九澤を陂き、九道を通じ、九州を定め、各おの其の職を以て來貢し、厥の宜しきを失わず、方五十里より荒服に至る。南は交趾・大發を撫し、西は析支渠・搜氐羌に、北は山戎・肅慎に至り、東は長夷・島夷に至り、四海の內皆帝舜の功を戴く。是に於て禹乃ち九韶の樂を興し、異物を致し、鳳凰來翔し、天下德を明らかにするなり。
現代語訳
天子や諸侯は特に事がなければ年に三度狩りを行う。一回目は乾し肉にして祭祀に供え、二回目は賓客をもてなすため、三回目は君主自身の厨房を満たすためである。特に事がないのに狩りをしないのは不敬とされ、礼にかなわない方法で狩りをすることは天の恵みである万物を無駄に損なうことだとされる。天子は獣を完全に包囲することはせず、諸侯は群れを丸ごと捕らえることはしない。天子が獲物を仕留めれば大緌(狩りの旗印)を下ろし、諸侯が仕留めれば小緌を下ろし、大夫が仕留めれば補助の車を止め、補助の車が止まれば一般の民も狩猟を行ってよい。かわうそが魚を並べて祭る(獲物が豊富になる)時節になって初めて漁師は堤や堰に入り、鳩が変じて雁になる(春が来る)時節になって初めて網を仕掛け、草木が枯れ落ちる時節になって初めて山林に入る。冬眠中の虫には火を用いた狩りをせず、幼獣や卵は取らず、若い命を奪わず、巣を覆すこともしない。これらはすべて、聖人が上にあり、君子が地位にあり、有能な者がその職にあることによって、大いなる徳が発現した結果である。だから皋陶が司法を司ると、民はそれぞれ服して真実を得た。伯夷が礼を司ると、上下ともに譲り合った。倕が工師となると、あらゆる職人が功績をあげた。益が山沢を司ると、山や沢が切り開かれ整った。棄が農業を司ると、あらゆる穀物が時節にかなって茂った。契が民政を司ると、民衆は親しみ和した。龍が外交を司ると、遠方の人々がやってきた。十二人の地方長官がその職務を行き渡らせると、九州のどこもあえて逸脱することがなかった。禹は九つの沢の水を治め、九つの道を通じさせ、九州を定め、それぞれがその職掌に応じて貢物を献上し、その適正さを失うことがなく、都から五十里四方の地から辺境の地に至るまで治まった。南は交趾・大発の地を安撫し、西は析支渠・氐羌の地を治め、北は山戎・粛慎に至り、東は長夷・島夷に至り、四海のうちすべてが帝舜の功績を仰いだ。そこで禹はついに九韶の楽を興し、珍しい物が集まり、鳳凰が飛来し、天下に徳が明らかになったのである。
解説

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