名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 虎を自ら討つ胆力
○此役、清正大山の麓に陣せしことあり、或夜虎來て馬を中に引提げ虎落の上に飛出たり。清正口惜きことゝなりと怒りけるに、小姓上月左膳をも、虎來て噛み殺せり。清正夜明くると均く山を取卷て虎を狩りたるに、一疋の虎、生茂りたる萱原を掻き分け、清正目掛けて來る。清正大なる岩の上に在りて、鳥銃を持ち狙はるゝに、其間三十間計り、虎、清正を睨みて立止る。人々鳥銃を揃て打んとするを、清正下知して打せず、自ら打た殺さんとの志なり、斯くて虎間近く猛り來り、口を開て飛掛る所を打ちたりしに、咽に打込みたれば、そこに倒れ、起上らんとせしかども、痛手なれば遂に死せり。 ○在韓の諸將連署して、書を秀吉に奉る時、清正の花押の點畫甚だ繁くして、漸々手間取りければ、福島正則冷笑て、死に臨み遺狀を作るに遠かになるべからずと言ふ。清正聞て、我は左は存ぜず、屍を戰場に暴すとも、褥の上にて死んとは思ひ設けず候、左れば遺狀何かし候べきと言ひしかば、正則詞なかりけり。
新字:○此役、清正大山の麓に陣せしことあり、或夜虎来て馬を中に引提げ虎落の上に飛出たり。清正口惜きことゝなりと怒りけるに、小姓上月左膳をも、虎来て噛み殺せり。清正夜明くると均く山を取巻て虎を狩りたるに、一疋の虎、生茂りたる萱原を掻き分け、清正目掛けて来る。清正大なる岩の上に在りて、鳥銃を持ち狙はるゝに、其間三十間計り、虎、清正を睨みて立止る。人々鳥銃を揃て打んとするを、清正下知して打せず、自ら打た殺さんとの志なり、斯くて虎間近く猛り来り、口を開て飛掛る所を打ちたりしに、咽に打込みたれば、そこに倒れ、起上らんとせしかども、痛手なれば遂に死せり。 ○在韓の諸将連署して、書を秀吉に奉る時、清正の花押の点画甚だ繁くして、漸々手間取りければ、福島正則冷笑て、死に臨み遺状を作るに遠かになるべからずと言ふ。清正聞て、我は左は存ぜず、屍を戦場に暴すとも、褥の上にて死んとは思ひ設けず候、左れば遺状何かし候べきと言ひしかば、正則詞なかりけり。
書き下し
○此役、清正大山の麓に陣せしことあり、或夜虎來て馬を中に引提げ虎落の上に飛出たり。清正口惜きことゝなりと怒りけるに、小姓上月左膳をも、虎來て噛み殺せり。清正夜明くると均く山を取卷て虎を狩りたるに、一疋の虎、生茂りたる萱原を掻き分け、清正目掛けて來る。清正大なる岩の上に在りて、鳥銃を持ち狙はるゝに、其間三十間計り、虎、清正を睨みて立止る。人々鳥銃を揃て打んとするを、清正下知して打せず、自ら打た殺さんとの志なり、斯くて虎間近く猛り來り、口を開て飛掛る所を打ちたりしに、咽に打込みたれば、そこに倒れ、起上らんとせしかども、痛手なれば遂に死せり。 ○在韓の諸將連署して、書を秀吉に奉る時、清正の花押の點畫甚だ繁くして、漸々手間取りければ、福島正則冷笑て、死に臨み遺狀を作るに遠かになるべからずと言ふ。清正聞て、我は左は存ぜず、屍を戰場に暴すとも、褥の上にて死んとは思ひ設けず候、左れば遺狀何かし候べきと言ひしかば、正則詞なかりけり。
現代語訳
この役で、清正が大山の麓に陣を敷いたことがありました。ある夜、虎が来て馬をくわえて引き、柵の上に飛び出しました。清正は口惜しいことだと怒りましたが、小姓の上月左膳をも虎が来て噛み殺しました。清正は夜が明けるとすぐに山を取り巻いて虎を狩りました。一頭の虎が生い茂る萱原を掻き分け、清正めがけて来ます。清正は大きな岩の上にいて、鳥銃を持って狙いました。その間は三十間ほどで、虎は清正を睨んで立ち止まります。人々が鳥銃を揃えて撃とうとするのを、清正は指図して撃たせず、自ら撃ち殺すつもりでした。こうして虎が間近に猛り来て、口を開けて飛びかかるところを撃つと、喉に撃ち込まれて、そこに倒れ、起き上がろうとしましたが、深手なので、ついに死にました。 在韓の諸将が連署して秀吉に書を奉るとき、清正の花押の点画がたいへん繁くて、次第に手間取りました。福島正則が冷笑して、「死に臨んで遺書を作るのも、遅くはなるまい」と言いました。清正は聞いて、「私はそうは思いません。屍を戦場にさらすことはあっても、布団の上で死のうとは思っておりません。ですから遺書など書くことはありません」と言ったので、正則は言葉がありませんでした。
解説

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