名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 水鳥で見抜く偽の陣
○清正、材武絕倫、數々殊功を建つ、秀吉、將帥の器ありと言て、征韓の先鋒を命ぜらる、清正旣に朝鮮に押渡り、都城を指して押行く所に、大河ありて、船一艘もなく渡たすべき樣なし。日も旣に夕陽に及びければ、是非なく河邊に宿す、朝鮮勢漢江を守て居たりけるが、清正王城を志し、侵掠して進む。其勢に氣を奪はれ、敢て一戰にも及ばず、臨津指して落行ける。清正は、是をも知らず翌日河邊に出て望み見けるに、川向には舟共多く繫ぎ置て、陸には敵大勢備を立て並居、方々の木陰には、白旗川風に飜れり。士卒之を見て、船にて渡らんと欲すれども、一艘も求め得ず、馬にて越さんとすれども、白波岸を浸して、冷間敷見えければ、諸勢茫然として居たりけり。然れども、清正は少しも屈せず、良久敷眺め居けるに、川上より水鳥四五羽浮み連れて、向の岸を如何にも悠々と靜に流れ下りければ、清正、屹度眼を付て、敵軍向の岸に備なば水鳥如何んぞ、悠々と流れ遊ばんや、察する所、あの兵士と見ゆる者は、如何にも作り物にてぞあるらん、いで水練の達者游ぎ渡て見るべしとありければ、曾根孫六言下に川へ飛入たり。之を見て究竟の若者共、我劣らじと川へ飛入り、游ぎ渡り、向の岸に繫置きたる船に取乘り、總軍安々と川を渡りける、敵軍と見えしは皆藁苞を束ねたるに物具せさせ、弓箭鎗刀の如き物共取り持たせて立並べ置き、旗と見えたるは、白紙を織合せ、樹間に立置きたるなり。 清正の明察を皆々感じける。
新字:○清正、材武絶倫、数々殊功を建つ、秀吉、将帥の器ありと言て、征韓の先鋒を命ぜらる、清正既に朝鮮に押渡り、都城を指して押行く所に、大河ありて、船一艘もなく渡たすべき様なし。日も既に夕陽に及びければ、是非なく河辺に宿す、朝鮮勢漢江を守て居たりけるが、清正王城を志し、侵掠して進む。其勢に気を奪はれ、敢て一戦にも及ばず、臨津指して落行ける。清正は、是をも知らず翌日河辺に出て望み見けるに、川向には舟共多く繋ぎ置て、陸には敵大勢備を立て並居、方々の木陰には、白旗川風に翻れり。士卒之を見て、船にて渡らんと欲すれども、一艘も求め得ず、馬にて越さんとすれども、白波岸を浸して、冷間敷見えければ、諸勢茫然として居たりけり。然れども、清正は少しも屈せず、良久敷眺め居けるに、川上より水鳥四五羽浮み連れて、向の岸を如何にも悠々と静に流れ下りければ、清正、屹度眼を付て、敵軍向の岸に備なば水鳥如何んぞ、悠々と流れ遊ばんや、察する所、あの兵士と見ゆる者は、如何にも作り物にてぞあるらん、いで水練の達者游ぎ渡て見るべしとありければ、曽根孫六言下に川へ飛入たり。之を見て究竟の若者共、我劣らじと川へ飛入り、游ぎ渡り、向の岸に繋置きたる船に取乗り、総軍安々と川を渡りける、敵軍と見えしは皆藁苞を束ねたるに物具せさせ、弓箭鎗刀の如き物共取り持たせて立並べ置き、旗と見えたるは、白紙を織合せ、樹間に立置きたるなり。 清正の明察を皆々感じける。
書き下し
○清正、材武絕倫、數々殊功を建つ、秀吉、將帥の器ありと言て、征韓の先鋒を命ぜらる、清正旣に朝鮮に押渡り、都城を指して押行く所に、大河ありて、船一艘もなく渡たすべき樣なし。日も旣に夕陽に及びければ、是非なく河邊に宿す、朝鮮勢漢江を守て居たりけるが、清正王城を志し、侵掠して進む。其勢に氣を奪はれ、敢て一戰にも及ばず、臨津指して落行ける。清正は、是をも知らず翌日河邊に出て望み見けるに、川向には舟共多く繫ぎ置て、陸には敵大勢備を立て並居、方々の木陰には、白旗川風に飜れり。士卒之を見て、船にて渡らんと欲すれども、一艘も求め得ず、馬にて越さんとすれども、白波岸を浸して、冷間敷見えければ、諸勢茫然として居たりけり。然れども、清正は少しも屈せず、良久敷眺め居けるに、川上より水鳥四五羽浮み連れて、向の岸を如何にも悠々と靜に流れ下りければ、清正、屹度眼を付て、敵軍向の岸に備なば水鳥如何んぞ、悠々と流れ遊ばんや、察する所、あの兵士と見ゆる者は、如何にも作り物にてぞあるらん、いで水練の達者游ぎ渡て見るべしとありければ、曾根孫六言下に川へ飛入たり。之を見て究竟の若者共、我劣らじと川へ飛入り、游ぎ渡り、向の岸に繫置きたる船に取乘り、總軍安々と川を渡りける、敵軍と見えしは皆藁苞を束ねたるに物具せさせ、弓箭鎗刀の如き物共取り持たせて立並べ置き、旗と見えたるは、白紙を織合せ、樹間に立置きたるなり。 清正の明察を皆々感じける。
現代語訳
清正は、武勇が際立ち、たびたび殊功を立てました。秀吉は、「将帥の器がある」と言って、朝鮮出兵の先鋒を命じました。清正はすでに朝鮮に押し渡り、都城を指して進むうち、大河があって船が一艘もなく、渡す方法もありません。日もすでに夕暮れに及んだので、やむなく河辺に宿りました。朝鮮の軍勢は漢江を守っていましたが、清正が王城を目指して侵攻してくる勢いに気を奪われ、一戦にも及ばず、臨津を指して落ちて行きました。清正はこれを知らず、翌日、河辺に出て見渡すと、川向こうには舟が多く繋いであり、陸には敵が大勢で陣を立てて並び、あちこちの木陰には白旗が川風にひるがえっています。士卒はこれを見て、船で渡ろうとしても一艘も得られず、馬で越えようとしても白波が岸を浸して冷たげに見え、諸勢は茫然としていました。しかし清正は少しもひるまず、しばらく眺めていると、川上から水鳥が四、五羽浮かび連れ立って、向こう岸をいかにものびやかに静かに流れ下ってきました。清正はきっと目を付けて、「敵軍が向こう岸に備えを立てているなら、水鳥がどうしてのんびり流れ遊ぼうか。察するに、あの兵士に見えるものは、作り物であろう。さあ、水練の達者が泳ぎ渡って見よ」と言いました。曽根孫六が言下に川へ飛び込みます。これを見て、屈強の若者たちが、我も劣るまいと川へ飛び込み、泳ぎ渡って、向こう岸に繋いである船に乗り取り、全軍が安々と川を渡りました。敵軍と見えたのは、みな藁苞を束ねたものに武具を着せ、弓矢や槍刀のようなものを持たせて立て並べたもので、旗と見えたのは、白紙を織り合わせて樹間に立て置いたものでした。 清正の明察に、皆々が感嘆しました。
解説

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