呻吟語 / 外篇・天地・星は日の光を借りて光と為さず
天地原無晝夜,日出而成晝,日入而成夜。星常在天,日出而不顯其光,日入乃顯耳。古人云星從日生。細看來,星不借日之光以為光。嘉靖壬寅日食,既滿天有星,當是時,日且無光,安能生星之光乎?
新字:天地原無昼夜,日出而成昼,日入而成夜。星常在天,日出而不顕其光,日入乃顕耳。古人云星従日生。細看来,星不借日之光以為光。嘉靖壬寅日食,既満天有星,当是時,日且無光,安能生星之光乎?
書き下し
天地は原と晝夜無し。日出でて晝と成り、日入りて夜と成る。星は常に天に在り、日出づれば其の光を顯はさず、日入れば乃ち顯はるるのみ。古人云ふ、星は日より生ずと。細かに看來たれば、星は日の光を借りて以て光と為さず。嘉靖壬寅の日食、既に滿天に星有り。當に是の時、日且つ光無し。安くんぞ能く星の光を生ぜんや。
現代語訳
天地にはもともと昼も夜もありません。日が出て昼になり、日が入って夜になります。星は常に天にあり、日が出れば光が現れず、日が入れば現れるだけです。昔の人は、星は日から生まれると言いました。細かに見てみれば、星は日の光を借りて光っているのではありません。嘉靖壬寅の日食のとき、空いっぱいに星が出ました。その時、日には光がありませんでした。どうして星の光を生めたでしょうか。
解説
星が自ら光ることを、日食の観察から証明します。日が欠けた時に星が見えたのだから、日の光を借りているはずがない。自分が実際に見た日食を根拠に、昔の人の説を覆しています。前の段で月は借り物だとしたのと対になっており、観察によって二つを区別した一段になっています。観察によって、月と星を区別した一段になっています。
この章句が説くこと
星日食観察自光検証
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